ヒトラー 最期の12日間のレビュー・感想・評価
全47件中、1~20件目を表示
ベルリンの惨状とヒトラーに対する盲信
スターリングラードの戦いで敗北した時点で、ドイツの敗戦は目に見えていたにもかかわらず、ヒトラーは降伏を決して許さず徹底抗戦を命じた。その結果、遂にベルリンにまで度重なる空襲が始まり、砲弾が打ち込まれ続けるという地獄の様相を呈することになる。そのためドイツの将兵の士気は明らかに低いことだろうと思いきや、一概にそうとは言えないようだ。ヒトラーを盲信する多数の将兵達は、彼に忠誠を誓ったという理由から、そして第一次世界大戦で敗北した屈辱から、降伏など頭に無いのは驚いた。また、逆に状況を冷静に認識している人々もいた。ドイツ国内でも、現状の認識は様々だったことが窺える。このように、ベルリンの惨状や当時の人々の様子を描いた点で、今作は貴重な映画だと思う。
ヒトラーユーゲント
だった父を持つ、ドイツ系カナディアンとカナダでよく第二次大戦の話しをしました、こちらも気を使って、ヒトラーやドイツばかりが悪いわけではなく、ベルサイユ条約で法外な賠償金を要求して世界恐慌と重なりハイパーインフレーションを引き起こしドイツ経済を破壊したイギリス、フランスにも責任はある、追い込まれたドイツ国民は選挙でヒトラーを選択して経済を立て直し賠償金支払いストップ、アウトバーン建設、再軍備、返す刀で旧領回復、ドイツ人人口の多い地域の占領、とエスカレートし過剰防衛に走ったと説明すると感心していた、日本も三国同盟、対米戦に反対した海軍の三人のリベラル派、真珠湾攻撃を立案した、イソロクヤマモトもその1人、と言うとドイツにも、反乱軍を興したシュタウフェンヴェルクや軍需大臣で密かに焦土作戦に従わずインフラを守ったシュペーアがいたと教えてくれた。
イスラエルに行ったことはあるか?と聞いたら、とんでもない、ドイツ人とわかったら殺されちゃう、と。
カナダ、アメリカで話した何人かのドイツ人は皆そのぐらいの教養があって洗脳されていたとは思われない、もちろん、世代は違うし当事者ではないが、親や祖父母が戦時中何をしていてどういう状況たったか聞いて学んでいることは伺えた。
最近、日本でも戦中のこと、特に特攻隊を語る時、洗脳という言葉を耳にするようになった、映画の中の秘書も知らなかったと言っていたが、パットン将軍が強制収容所を解放し、後世無かった事にしないよう周囲のドイツ市民に見せると皆、知らなかったと。他の周囲の住民に聞き込みをすると、臭い匂いと人間の声とは思えないような絶叫が聞こえたと証言している、どちらが正しいことを?
戦争の現実、厳しさ、辛さを知る作品
CSで録画視聴。
色々、考えさせられた作品。戦争の現実、厳しさ、辛さを知る事ができる作品。
もし、自分がこの場にいたらどうするかを考えて観た。
ただ、時間は作品の性格上、仕方なしにしても長すぎる印象が強い。
悪人をただ在るとしない。
ヒトラーが自決するまでの最後の12日間を描いた作品。
ナチスドイツの中枢で働く人々が戦況の劣勢によって焦燥や盲信、未来への展望が絶望によって染まっていく様子が見て取れる。
ナチスドイツは非道な行いをしたが、「ただ悪として存在した」としてはいけないと私は思う。
独裁者。
差別主義者。
優生思想。
戦勝国が作り上げた「正しさ」によって単純化してしまうことに危機感を覚える。
彼らも同じ血の通った人間であり、大切なもののために考え決断をした人々。
そして、それを支持した人々もいる。
彼らの決断を現代を安穏と生きる私が現代の価値観で論じることにはとても抵抗を覚える。
敗軍の幹部の妻子がどのように扱われるのか。
自分の命一つの覚悟ならできる。
しかし、愛する人の苦渋に満ちた人生を憂えばこそ。
そして薬を飲ませ、食卓で手榴弾のピンを抜く。
ナチスドイツを、ヒトラーを悪と断じて単純化しがちだが、同じ血の通った人間であることを思い出させてくれた。
悪夢のような大戦禍と、悲哀に満ちた「最期」。
○作品全体
ヒトラーの描き方が独特な作品だ。
ナチスドイツの終わりの時期に焦点を当てることで、快進撃の根幹にいたヒトラーの姿は一抹も感じさせない。「カリスマ性」とか「煽動力」といった、ヒトラーを語るうえでよく出る単語からはほど遠い姿が印象的だ。
構成やセリフから「悪夢」という単語が浮かんだ。
ドイツという国そのものが「悪夢」の真っ只中である12日間だが、ファーストシーンが真夜中で、ラストシーンが夜明けである本作の構成そのものも「悪夢」を想起させる。ユンゲが地下へと潜って行くのも悪夢という眠りの淵へと向かって行くかのようだ。そしてラストシーンでユンゲが語る「目を見開いていれば…」という言葉が、瞳を閉じて見続けている悪夢の世界を印象付ける。
そして悪夢だと感じているのはドイツ国民だけではない。親愛なる国土を蹂躙され、なすすべもなく喚くも状況が変わらないヒトラーも悪夢の中を過ごしている。「偉大な総統」だった頃こそが夢であったかのようなヒトラーの姿は、作中では癇癪持ちの疲れ切った老人でしかない。時折ユンゲたちに見せる優しい表情が、むしろその悲哀を助長させる。
夢破れ、夢から醒めた老人という部分にスポットをあてていることが、「最期」の無情さを最大限に感じさせていた。ヒトラーが総統でなく、ただの老人になってしまったことがナチスドイツの「最期」で、その描き方はベルリンの大戦禍とは裏腹に、穏やかな老衰死のような、なだらかな死のように描いていたのがまた印象的であった。
○カメラワークとか
・地下施設の映し方が上手だった。狭苦しい環境のはずだけど、ヒトラーからすると心許せる人物が少ない場所。時折ガランとした空間を映すことでヒトラーの空虚に接近する。
・最初のヒトラー激怒シーン。怒る直前、メガネをゆっくりと外すのはシンプルにカッコよかった。怒ってからヒトラーの背中をなめて、奥に立つ将軍たちを映す。意見の決定的な乖離が際立つカメラ位置だった。
リアルなヒトラー。
esの監督が撮った作品だったのか。全然知らずに鑑賞。
ユダヤ人のことやヒトラーを題材にした作品はいくつか見たが、リアリティのある作品として上位な気がする。
ヒトラーの描写が細かくされている。
ネットで検索したらパーキンソン病だったらしく、手が震えるシーン。
だんだん皺が深くなり、やつれていく様子。
戦況が悪くなり、弱気になった部下に恫喝する場面。
決して降伏しないと決めている芯の強さとまだいけると思う強い心。
ズーンと疲れる作品だったが、見たことに後悔はない。
戦争の現実をリアルタイムでみることになるとは
アマゾンプライムで鑑賞。
冒頭から最後までヒトラーは要塞の地下で過ごしている姿が描かれており、
世界大戦の暴君という固まったイメージとは異なる描写だった。
最終の結末は知っているものの、周囲の人々の描き方から戦争の無常さを感じた。
2022年4月現在、ロシアはウクライナへ侵攻しており、連日テレビでは戦場が現実
のものとしては放送されており、劇中の戦闘、廃墟が非日常とは感じられなかった。
【”時は来た、終わりだ・・”忌むべきナチスドイツを率いた男の狂気の最期を演じた故、ブルーノ・ガンツの姿と、ヒトラーの個人秘書ユンゲの回想シーンが忘れ難き作品。】
ー 1945年4月20日、ベルリン。
第二次大戦は佳境を迎え、迫りくるソ連軍の砲火を避けるためヒトラーは身内や側近とともに首相官邸の地下要塞に潜っていた。
誰もが敗戦を覚悟する中、冷静さを失い狂人と化していたヒトラーは、ある重大な決断を下す。
◆感想
・ナチスドイツの蛮行を描いた作品は、数多ある。
だが、今作はナチスドイツの崩壊の瞬間を”ドイツ人監督”である、オリヴァー・ヒルシュビーゲルがメガホンを取った事に大きな意義があると思う。
・自分に忠誠を誓っていた、ヒムラー、ゲーリングが敗戦を悟り、自らの元を去っていく中、ヒトラーが下した決断。
それは、連合国に降伏する前に自らの命を断て、と渡した毒薬である。
- ”責任を感じて、死ぬのであれば、自分一人で命を断てよ!”
だが、ヒトラーは愛人であり、直前に妻となったエヴァと自殺する。-
・物凄く嫌いなシーンは、ヒトラーのプロパガンダ政策を牽引したゲッペルスの妻が、6人の子供たちを眠り薬を飲ませた後に服毒させるシーンである。
- 子供に、罪は無い。何故に嫌がる長女に薬を飲ませたのか・・。-
<後年、「ゲッペルスと私」を見た際にも思ったのであるが、ゲルマン民族と大和民族は似ている部分が多いと思う。
それは、知的に優れながらも、プロパガンダにたやすく翻弄される所と、自らの民族性を神聖化し、他民族に対する残虐性を持つ所である。
再後半に、ヒトラーの最期の秘書になったトラウドゥル・ユンゲ自身の、「若いころの自分を諫めたい。」という言葉が重く響く作品であり、この作品をドイツが中心になって制作した事に意義があると思う作品でもある。>
最後まで観てしまった
録画した映画、面白くなかったらすぐ消しちゃおうと思っていたが、最後まで観てしまった。追い詰められた人々の心理描写が素晴らしく引き込まれてしまった。私も最後まで逃げ出す勇気はなかったかも。
「アンネの日記」とか。「戦場のピアニスト」とか「素晴らしきかな人生...
「アンネの日記」とか。「戦場のピアニスト」とか「素晴らしきかな人生」
とか「シンドラーのリスト」とか「パリは燃えているか」とか「夜と霧」とか
「ヒトラーの防具」とかで、ユダヤ人虐殺や、ナチス末期はなんとなく知っている。
改めて映像で見ると、栄枯盛衰というか、独裁者の末期はあっけなく、滑稽でもある。
戦争末期ヒトラーの秘書だった主人公ユンゲ本人は語る。
『目を見開いていれば気づけていた。』
しっかり見て、小さな違和感のうちに対処することが大事なのだろう。
ゲッペルスの妻が6人の子供たちに嘘をついて、毒殺するシーンは哀しい。
ただただ、圧倒されました。
NHKのBSで視聴。
公開当時、縁がなく鑑賞できず。
ヒトラーが肖像画を見つめる人物が誰かわからない、とか、登場人物がすぐにわからないなど。
自国ではないもどかしさを感じることもあり。
速記官だった女性から見たドイツ帝国とヒトラーを糾弾する視点でもなく、もちろん容認することもなく。
スっと一歩引いた目線に感じた。
戦争の爆発、爆破シーンには肝を冷やし。
だけど、いちばんゾッとするのは
この狂気に至る歴史と権力を握っている者達が陥る「増上慢」「世界は自分を中心に回る」錯覚。
ゲッベルス夫人が我が子を手にかけるシーンは胸が痛くなる。
後味は何にもよくありませんが、歴史の中にいる人間である以上、見た方が有益。
帝国の末路
ブルーノガンツ扮するアドルフヒトラーは、12kmまで敵が迫っているのに報告が無いのを怒っていた。あと数日で首都は陥落しそうだった。それでもナチではダンスに興じたりしたが、爆撃が襲った。帝国の末路にあたりヒトラーは喚きだしたが、死に方についても考えていた。逃亡者の処刑やら将校覚悟の自爆やら弾薬が尽きたあとの指示を仰ぐなどたまったもんではないね。アレクサンドラマリアララ扮する総督秘書トラゥドルユンゲらも口述遺書の速記など活躍していたんだね。
異常が健常になっていく瞬間
ドイツが、ナチ党が、ヒトラーが追い詰められていく中で、息が詰まりそうな圧迫感が伝わってくる。
おもちゃのような短銃で話しながらなんでもないことのように自決する。
もっと焦って、もっと取り乱しながら惨めに自決するのだと思っていた。あまりにも淡々と死んでいく様は、もはや異常が健常に、非日常が日常になったのだと思わせられた。
ヒトラーがこうやって死んだの、知らなかった。こういうナチスの裏側を描写した映画は新鮮だった。
重くもあるが、
以前も見たことあったけど、改めて再度見た。
史実のリアルな映画は好きだけど、内容が内容なだけに重かった。
でも、長く感じさせない緊迫した内容で見応えはあった。
この当時の歴史のことは、安易に語れないし感想を言えるものではない。
(2022.11.2再々度見た)
もはや伝説的な(非現実的な)題材になってるかもしれないけど
ちょうど日が暮れていく時間に見たからか、余計に入り込んでしまった。
ヒトラーの複雑さを、改めて垣間見た気がする。
何故あんな状況でも、誰もヒトラーを止められなかったのか。
今見れば、狂気の沙汰、子供のワガママにしか見えないような彼の指揮に、何故部下は従ったのか。
人は、権力を前にすると、正しいことをするのがこうも難しくなるのか。
処刑への恐怖。
そして、自分のアイデンティティを失うことへの恐怖。
ヒトラーの夢。
みんながそれに乗っかった。
乗っからせるだけの魅力が、彼にはあった。
そういうことなのかもしれない。
ナチス政権をリアルタイムで知らない私ですら、ヒトラーの影響力や、その生き方には、なぜか興味を抱いてしまう。
実際に彼とともに生きた人たちが、彼に引きずられたのは、仕方のないことなのかもしれない。
見るたびに、違うことを考えさせられるのかもしれない映画。
よく、作りこんだと思う。
戦争の狂気
ヒットラーの第三帝国の妄想と狂気に巻き込まれたドイツ国民が気の毒になった。もちろん
その狂気の犠牲になったユダヤ人やヨーロッパ諸国の人達も忘れてはいけないけど。
最後の市街戦で殆ど武器もなく、犠牲になる
国民にヒットラーは「彼らに同情はしない。彼らが私達に委ねたのだ。」と言い放つ。
命やモラルが軽んじられるのが戦争。
繰り返してはいけない。
全47件中、1~20件目を表示