夕陽のガンマン

劇場公開日:

解説

「荒野の用心棒」で世界中に“マカロニ・ウエスタン”ブームを巻き起こしたセルジオ・レオーネ監督と主演のクリント・イーストウッド、音楽のエンニオ・モリコーネが再結集し、2人の賞金稼ぎの共闘と友情をスタイリッシュに活写した西部劇アクション。

凶悪犯エル・インディオが刑務所から脱獄し、1万ドルの賞金が懸けられた。インディオ一味を追う若き賞金稼ぎ・モンコと商売敵のモーティマー大佐は、一味全員の賞金を山分けすることを条件に手を組むことに。2人は反発し合いながらも次第に絆を深め、インディオを追い詰めていくが、大佐にはある別の目的があった。

「真昼の決闘」のリー・バン・クリーフがモーティマー大佐を存在感たっぷりに演じた。同じくレオーネ監督とイーストウッド、モリコーネがタッグを組んだ「荒野の用心棒」「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」とあわせて「ドル3部作」と呼ばれる。

1966年製作/132分/イタリア・スペイン・西ドイツ合作
原題または英題:Per qualche dollaro in meno
配給:アーク・フィルムズ
劇場公開日:2024年3月22日

その他の公開日:1967年1月20日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

フォトギャラリー

  • 画像1
  • 画像2
  • 画像3
  • 画像4
  • 画像5

(C)1965 P.E.A. Films, Inc. All Rights Reserved

映画レビュー

4.5最高のマカロニウェスタン!

2024年11月28日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

4Kリバイバルで劇場初鑑賞。

とにかくモンコ(イーストウッド)と、大佐(リー・バン・クリーフ)の顔面力とコンビが素晴らしい〜!

▽好きなシーン
全然腐するシーンがない!この映画!ほんと無駄がない。
ただただ好きなシーン羅列をする。

序盤の酒場の襲撃シーン!
全然キレのないファイトシーンから、敵3人を電光石火で撃つ射撃シーンに度胆を抜かれる。

モンコと大佐が帽子を打ち合うシーン!
モンコが当たらない距離から大差が帽子を空中で当てまくるのがいい。このシーンだけで大佐スゲーってなるし、そこから2人で酒飲んでしまう流れがいいよ。

牢屋に爆竹入れられた時の奴の顔!
モンコがアジトで助けた理由を聞かれた時の返事が、正直すぎて草。

強盗シーンで、壁を爆発してキャビネット盗むのは驚いた(ワイスピ4の元ネタ!?)

出番は少ないけど、端役のキャラも立ってる。
チップをねだる少年、宿屋の夫婦。駅の窓口のオッサンと車掌。

シリアスとギャグの緩急、少なめでくどくない会話のテンポも素晴らしく最後までめちゃくちゃ面白く鑑賞出来た!最高の娯楽映画!
もっかい上映するならもっかい行きたい!

コメントする (0件)
共感した! 0件)
Duchamp

3.5若きクリント・イーストウッドさんがメチャクチャかっこいい

2024年11月18日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

セルジオ・レオーネ監督渾身の演出、マカロニ・ウェスタン映画の代表格の一本

銃を撃つシーンが痺れるほどにカッコいい
大荒野をバックに馬や馬車が闊歩するシーン
熱苦しい荒くれ達がいつ死ぬかわからない命懸けの日々を暮らす緊張感
といったこの手の映画の世界観が好きです

モーティマー大佐を演じるリー・ヴァン・クリーフさんもイーストウッドさんに負けじと見た目だけでなく所作が最高にカッコいい

さらにヴィランのインディオを演じるジャン・マリア・ボロンテさんの迫力の演技も印象的で見ごたえがあります

エンニオ・モリコーネさんの独特で個性的な音楽がとても印象的

ホント、このくらいの時代の作品って勢いがあるし、随所に作り手の力強さを感じ、でも時々へんてこな演出があったりと、とても見応えがあってすごく楽しいです

コメントする (0件)
共感した! 1件)
Jett

4.5西部劇の「けれん」を抽出し純化してみせた、映画史上もっとも「かっこいい」ウエスタン。

2024年11月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

あれだけ、セルジオ・レオーネが好きだと公言し、
「ベスト1」に『続・夕陽のガンマン』を挙げ、
ヴィデオでは何度も観直してきたドル三部作だが、
映画館では残念ながら、観たことがなかった。
そりゃそうだ、やらなかったんだから。

これだけ面白い映画をなんで小屋でやらないんだと、
30年間ぼやきつづけていたら、
春ごろにまさかのロードショー公開。
行く気満々で備えていたものの、
あの時期はちょうど、仕事が地獄の忙しさ。
結局、足を運ぶことができなかった。
どうせ名画座でかかるだろうとたかをくくっていたら、
意外にふっつり上映館が途絶え、行きそびれてしまった。

と思っていたら、早稲田松竹で三連休に三本立てをやるというではないか。
これは行かずばなるまい、と張り切ってみたものの、
2日は休日なのに一日中仕事をせざるを得ず、
3日は石川県七尾で海門寺千手の御開帳があって、日帰りで行ってくるしかなかった。
4日も朝から仕事が終わらず、結局『夕陽のガンマン』と『続・夕陽のガンマン』だけ観ることが出来た次第。

いやあ、大画面で観るセルジオ・レオーネは、やっぱりこたえられんね!!!
ほんっと、最高でした!!!

― ― ―

僕がレオーネ映画と出会ったのは、大学生のときだった。
あの頃はホラー、サスペンス、文芸映画を中心に、中身もわからないまま手あたり次第に借りてみては、感想をつける毎日だった。
ホラーとサスペンスはそれぞれ、1920年代から2000年まで200作くらいのベスト作品年表を先に作って、体系立てて観ていたが(本格ミステリの読書でも同じことをしていた)、それ以外の映画については、ぴあの全ヴィデオカタログの最後のページに、監督毎のリストがついていて、それを手帖にメモって順繰りに観ていたのを覚えている。

そんななか、あまり期待もせずに予備知識なしに出逢ったレオーネのドル三部作は、まさに衝撃的な面白さだった。
『荒野の用心棒』で度肝を抜かれ、
『夕陽のガンマン』で余りの面白さに驚倒し、
『続・夕陽のガンマン』で完全にノックアウトされた。
その後、僕は人生を通じて4000本だか5000本だかくらいの映画は観てきたはずだが、『続・夕陽のガンマン』を超える映画に出逢ったことは未だない。

もちろん、面白い面白くないだけでいえば、最近の映画のほうが情報量もアクションの派手さも上かもしれないし、純粋な娯楽作品としては、今の若者には古く感じられる部分もあるかもしれない。
それでもやはり、「画格の高さ」「娯楽としての面白さ」「キャラクターの強度」「音楽のキャッチーさ」の4点セットで考えたとき、いまでもセルジオ・レオーネのドル三部作はダントツで図抜けた映画群だと思うし、誰に薦めても恥じるところのない圧倒的な傑作だと信じてやまない。

― ― ― ―

『夕陽のガンマン』は、『続・夕陽のガンマン』と比べて「劣る」映画かというと、断じてそんなことはない。
ただ、レオーネのドル三部作というのは、「発展していく」三部作である。
『荒野の用心棒』の時点からゆるぎない完成度を示しつつも、
「1対1」 →「1対2」 → 「1対1対1」
と、共闘関係が複雑化し、ストーリーラインも複層化してゆく。

最もシンプルな作りで、アイディアも黒澤から頂きの『荒野の用心棒』。
敵をめぐる2人の賞金稼ぎの裏の読み合いが楽しい『夕陽のガンマン』。
20万ドルの金貨をめぐって3人がしのぎ合う『続・夕陽のガンマン』。
どの作品も抜群に面白いは面白いけど、「構造」「スケール」「長さ」「予算規模」すべての面で「後にいくほどアップグレード」していくので、どれか一本を選べということになると、どうしても『続・夕陽のガンマン』を挙げざるを得ない。

とはいえ、『夕陽のガンマン』だって捨てたものではない。
捨てたものではないどころか、世にゴマンとあふれる娯楽映画のなかで、『夕陽のガンマン』を超える作品がいったい何本あるというのか。

タイトルロールの主題曲と踊るタイポグラフィー。
モーティマー大佐のケレン味あふれる登場シーン。
モーティマー大佐とモンコのしびれる賞金首狩り。
両雄の帽子トバシ合いと共闘決定までの探り合い。
クソ悪そうなインディオの脱獄と残虐な振る舞い。
潜入工作のスリルと裏をかかれる銀行強盗大作戦。
時計をめぐるモーティマーとインディオの因縁話。
リンチから最終決戦まで続く息つく間もない展開。

改めて劇場の大画面と大音響で観てると、ほんっと上がるよね。

― ― ― ―

『夕陽のガンマン』で重要なのは、「けれん」だ。

たとえば、モーティマー大佐の組み立て銃。
敵が目の前にいるのに、そこでおもむろに組み立て出すのは、間違いなくそのほうが「かっこいい」からだ。独特のホルスターの位置もそう。
徹底した、帽子撃ちやノールック撃ちといった「曲撃ち」もそう。

リアリティより、「けれん」「かっこよさ」「あざとさ」を優先し、それを「完成された型」として磨き上げる。西部劇という枠組みのなかで、「ストーリー」以上に、「キャラ立て」と「けれんのギミック」のほうに全力を注ぎ、その「かっこよさ」を極めようとする。

この姿勢は、もちろんアメリカに従来からある西部劇に由来するものではあるが、レオーネほどにそれを突き詰めて追求した監督は過去にいなかった。それは確かだ。
セルジオ・レオーネは、西部劇という娯楽ジャンルが持つ「かっこよさ」の本質を抽出し、煮詰めて、とことんまで純化させようとした。「何をやるからガンマンはかっこいいのか」を徹底的に研究し尽くした。

要するに、レオーネはアメリカ土着の西部劇の構造を「分析」し、その「かっこよさ」に全振りする形で「様式化」してみせた。
それはちょうど、西部劇の定型的な演出のなかから、歌舞伎における「型」や「見栄」や「にらみ」、オペラの「見せ場」に相当するような「キメの極意」を抽出する作業ともいえる。
ちょうど日本の戦後期のミステリ作家たち(横溝正史・高木彬光・鮎川哲也)が、欧米の本格ミステリを模倣する過程で、その要素を純化させて「どぶろくを蒸留酒へと精製」してみせたように、イタリアのレオーネは、アメリカの西部劇を模倣するなかで、その娯楽的な本質を純化させてみせた。

その結果生み出されたのが、キャラクターごとに際立つ漫画チックな個性と、人間離れしたガン・テクニックおよび曲芸撃ち、極端なズームと引き延ばされた間を用いたガン・ファイトのモンタージュ、とことんあざとくてキャッチーなモリコーネ・ミュージック……といった、レオーネ特有の「脳をゆすぶるようなかっこよさの演出」の数々である。

レオーネの西部劇が、なぜにこんなにもかっこいいのか。
それは、西部劇の「けれん」を、「型」として抽出することに成功しているからだ。

― ― ― ―

『夕陽のガンマン』は、気楽な娯楽作品に見せかけて、いろいろと考え抜かれた作りをしている。

たとえば、モンコとモーティマー大佐の対比。
銃が違う。ホルスターの位置が違う。
恰好が違う(ポンチョとネクタイ)。
帽子が違う。毛量が違う。
肩書きが違う(「名無し」と大佐。綽名と本名)。
垂れ目と吊り目。あごひげと口ひげ。
そして、アイコンとしてのシガーとパイプ。
すべてが極端なまでに対比的であり、
だからこそ観客は二人を
「相並び立つ両雄」として認識できる。

語り口(あるいは語らない度合い)も絶妙だ。
たとえば、なぜクリント・イーストウッドは「モンコ」なのか。実はこれって「片腕」という意味合いの綽名なのだが、それは彼が「撃つ時」以外かたくなに利き腕の右手を使おうとしないからだ。だが、そのことについて映画内で殊更の言及はない。やたらクセのあるマッチの付け方やカードの配り方にひっかかった勘の良い観客だけが気づけるくらいの「ギミック」として機能している。
あるいは、なぜ賞金首を倒したモンコは、保安官に対して「勇気よりも正直さが大切だ」と説くのか。それは、保安官に誘導された酒場で敵の仲間に「待ち伏せ」されていたからだ。でも、それを台詞ではいわせずに、ちゃんと客に考えさせるように作ってある。
その他、本作には「客が自分で考えないと理由のわからない行動や結果」があちこちに潜ませてある。単なる娯楽映画のように見えて、実のところ「ちゃんとしたまっとうな映画」を志向した映画でもあるのだ。

さらに、イタリア映画らしい複層的な「含意」がこめられている可能性もある。
たとえば、脱獄したインディオがアジトにしているのが屋根の抜けた教会であることには、一定の宗教的な意味合いも見いだせそうな気がする。部下は14人で「12使徒」よりは少し多いが、密告者との決闘がまさにここ(教会内)で行われるのは、宗教裁判のようなものだ。
さらには、「使徒」にひとり「裏切者=ユダ=モンコ」が交じる展開や、最初から「教祖=インディオ」が「ユダが裏切ることは知っていた」と主張する点なども、聖書をなぞっている可能性がある。思い出してほしい。映画のしょっぱなにモーティマーは何を読んでいたか?(聖書だ) 向かいの乗客に何と間違われたか?(牧師だ) 潜入作戦を考えたのは誰だったか?(モーティマーだ)
リンチを受けるモンコとモーティマーを、インディオと仲間たちが笑って笑って笑いまくる印象的なシーン。あれも、「嘲笑されるキリスト」の主題が色濃く影を落としている可能性は十分あるだろう。なんならヒエロニムス・ボスの同主題絵画と見比べてみるといい。レオーネが画づくりと主題の多くを泰西名画からインスパイアされていることを物語る好例だ。

他にも『夕陽のガンマン』には、注目すべき点がいくつもある。

●モーティマー大佐がインディオの賞金首ポスターを見つけたときの、目の表情とモンタージュ。ほぼこの作品のテーマのすべてが、ここに込められているといっても過言ではない。

●撃ち合いやせめぎ合いのシーンでは毎回、第三者の「見物人」がいて、彼等の目線や表情で状況を雄弁に「解説」している点も見逃せない。
モーティマーvs最初の賞金首での酒場のオヤジ。
モンコvs最初の賞金首でのカードプレイヤー。
インディオが密告者を処刑するシーンの部下たち。
モンコvsモーティマーの帽子の撃ち合いでの三人の子どもたち。
クラウス・キンスキーをモーティマーが挑発するシーンでの、背後のモンコ。
金庫強奪シーンにおける、目撃者としてのモンコとモーティマー。
そして、ラストの対決における、介添え人としてのモンコ。
ね、必ず「決闘」に「観客」がいて、きょろきょろしてるでしょ?(笑)

●あれだけ騙し合っていたモーティマーとモンコが、最終決戦の前に交わす言葉。
「インディオは俺にまかせろ」「わかった」
あれだけ金に執着してやり合っていたはずのモーティマーが放つ最後の台詞。
うううん、いいねえ。かっこよすぎる。
金と欲まみれの物語を、家族と復讐の物語へと一変させる、憎い演出だ。

その他、クラウス・キンスキーの怪演や、その他の仲間たちの異様な面相、ジャン・マリア・ヴォロンテのマリファナ中毒を念頭に置いた名演技なども見逃せない。
敵一派に関しては文句がないこともなくて、特に最後の「ふたりを逃がす」というインディオの選択は余りにリスキーすぎる上に、ふたりに有利すぎるし(若干作り手の都合でそうさせている感がある)、「俺とお前とでなら戦える」と言って残した部下が弱すぎるのもひっかかる(笑)。
まあ、「結局あのお金はどうなった??」「ふたり残ったうちのもう一人はどうした??」という観客側の疑問を、上手く最後のサスペンスにつなげてはいるんだけどね。

あとはなんといっても、エンニオ・モリコーネの音楽。
これについては昔、ジュゼッペ・トルナトーレのドキュメンタリー映画『モリコーネ』の感想で詳細に記したので繰り返さないが、やっぱりモリコーネあってのレオーネってのは、映画館で観るとさらに痛感せざるをえない。

未見の方にはぜひ観てほしい、世紀の傑作です。

コメントする 1件)
共感した! 2件)
じゃい

4.0登場人物の行動によって状況を理解させる構成が良い

2024年7月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

 登場人物の台詞を減らして、行動によって状況や心情の説明を行うことで、視聴者にストーリーを理解させる構成になっている。そういった間の使い方が、リアリティを生じさせていて良かった。それは下手をすると冗長な感じになりそうな映画の撮影方法だ。しかし主演2人の友情や、華麗な銃さばきを披露するアクションによって飽きさせない面白い映画だった。

 映画後半で、マフィアのボスが大金を一部の仲間と独占するために、賞金首2人と手下を戦わせて共倒れを画策する。そんな非情でセコい思考のボスに、なぜ大勢の人間が付き従っているのかやや疑問だった。やはりアウトローとしてそれだけの実力があるのだろうか。悪い面と良い面を持ち合わせている、そんな複雑な人物像にした方が、悪役としてはより魅力的になったんじゃないかと思う。

コメントする 4件)
共感した! 3件)
根岸 圭一