ミーン・ストリートのレビュー・感想・評価
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スコセッシとデ・ニーロの伝説はここから始まった。。。
スコセッシとデ・ニーロが初めて組んだ伝説的な作品。この前年、ちょうどコッポラが「ゴッドファーザー」で格調高いマフィアの神話を奏でたわけだが、クイーンズ生まれでイタリア系マフィアを肌身に感じながら育ったスコセッシはまるでカウンターパンチを放つように、下っ端ギャングのリアルなドラマを紡ぎ上げた。今でこそスタンダードとなったが、当時の映画人や観客たちはこのむせ返るほどの生々しさに衝撃を受けたことだろう。また一説によると、コッポラは「ゴッドファーザーPart2」をスコセッシに任せようと提案していたというし、同作にデ・ニーロが抜擢されたのも「ミーン・ストリート」の怪演が決定打になったとも言われる。本当の主人公はデ・ニーロではなく、ハーベイ・カイテルなのだけれど。ともあれ70年代の初め、映画界で何かが起こりそうな予感を充満させた一作。だからこそ「アイリッシュマン」と併せて観ると、何だか泣けてくるのだ。
スコセッシのリアル
オープニングはThe Ronettesの「Be My Baby」が心地良く、今となってはベタに思えるストーンズの「Tell Me (You're Coming Back)」からDerek and the Dominosの「I Looked Away」が垂れ流し状態の中、デ・ニーロ演じるジョニー・ボーイにスポットを当て流れる「Jumpin Jack Flash」が最高にイカした演出として。
どの場面でも衣装を変えながら全てにおいてキマっている異次元的なデ・ニーロの存在感がハーヴェイ・カイテル含めた誰よりも格好良く役者冥利に尽きる才能がダダ漏れ、酔っ払いのデビッド・キャラダインが弟のロバートに撃ち殺され、どうしようもないジョニー・ボーイに終止符を撃ち?損ねた?自らトドメを指すスコセッシ、ジョー・ペシの専売特許の元祖はデ・ニーロにしろ、情けなさに哀愁を感じるジョニー・ボーイから目が離せない。
今、観るからこそ『グッドフェローズ』や『カジノ』に『アイリッシュマン』の原型としての意味合いが、初々しいヤンチャなデ・ニーロが暴れマクる姿を堪能出来る初期衝動が炸裂!!
マーティン・スコセッシ監督初期作にして傑作!
何という衝撃的で壮絶なラスト!
ニューヨークの裏社会でクライム雰囲気たっぷりのマーティン・スコセッシ監督初期作にして傑作!
リトル・イタリーで友人たちと過ごす男が描かれるが、その中心はチャーリー(ハーヴェイ・カイテル)とジョニー・ボーイ(ロバート・デ・ニーロ)。
ジョニーは、突然郵便ポストを爆破したり、屋上から銃を発砲したりする借金まみれのイカレた男。そんなジョニーを友人のチャーリーは助けようとする。ジョニーの叔父はマフィアっぽい権力者だが、その叔父に「ジョニーなんていう男とは付き合うな!」と言われてもジョニーのために何かと奔走するチャーリーだったが……というクライム的な友情映画という感じで物語は進む。
チャーリーは火に指をかざして「自分への刑罰」を課すのだが、ジョニー・ボーイがやって来た時に「刑罰が来た」というのは笑える。その場面でストーンズの「♪ジャンピング・ジャック・フラッシュ」が流れるのは印象的。
音楽面でも多数のオールディーズが流れるが、ビリヤード場での喧嘩シーンでの「♪プリーズ・ミスター・ポストマン」も良い。
この映画、途中の「薄暗いバーでの射殺シーン」から俄然と面白くなって、上り詰めていってのクライマックス。見事な盛り上がり。
自分は1979年12月に名画座(池袋テアトルダイヤ)で『タクシー・ドライバー』を観て衝撃を受け、その後のマーティン・スコセッシ監督作品はほとんど観ているが、あれを超える作品は出てこないだけでなく「明らかに退屈、しかも長尺」という映画ばかりだったので、あまり好きな監督ではない。→スコセッシ監督ファンには「すみません」ですが、個人的見解なので。
しかし、『タクシー・ドライバー』よりも前に作られた本作は「素晴らしき傑作」であった。
観て良かった。
スコセッシ版の青春群像
フェリーニの青春群像はイタリアの田舎の海辺の保養地の5人組だった
本作はニューヨークのイーストサイドにあるイタリア人街リトルイタリーを舞台にしてイタリア系の3人組の青春群像を描く
ミーンストリートとはヤバい街の意味
主人公の叔父はマフィアの顔役
つるむ仲間もろくでもないばかりだ
公開は1973年の10月3日だから、撮影はその9月だろうか、それとも前年の9月だったのだろうか
毎年9月半ばに10日程続くリトルイタリーのお祭り、サンジェナーロ祭の最中のその3人組の日々を描く
フェリーニの青春群像はラストで大人になっていく姿を描いて見せたように、本作ではスコセッシ監督が彼らの青春の終わりをラストでみせる
それはミーンストリートの名前のとおりの無惨な結末だが
若いデ・ニーロはどうしようもない最低のクズを好演している
見終わった感触は、なるほどスコセッシ監督がこの3年後、タクシードライバーを撮ると予告しているのだと思えるものだ
ジョニーボーイの人間らしいクズさ
私映画の持つ人間臭さ
多様な人種が入り乱れるアメリカという国はつくづく特異な国だと感じる。 同じ街でもたった数ブロック先は全く別の世界だ。
そんな奇妙な世界の一つリトル・イタリーに育ったマーティン・スコセッシが自身のルーツをたどった"私映画"である。
極端ではあるが、言ってしまえばこの作品は監督が育った時代のリトル・イタリーの縮図である。
ナンパしたり、道端にたむろったり、屋上から射撃をしたり、エピソードの多くは自身の経験であると彼は語っていた。
そして、同時に破滅的に毎日を生き延びる青年達の青春を切り取った時代を反映したニューシネマであり、何があっても絶えることの無い友情を描いた作品でもある。
まさに"今を生きる"男ジョニー・ボーイを演じたデ・ニーロの演技も素晴らしかった。
大作主義のブロックバスターの時代が続き、作品の舞台やストーリーがパターン化され型が決まってしまっている今日、このような自身を表現する個人的私映画は改めて映画からにじみ出る"人間臭さ"を感じさせてくれる。
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