ミーン・ストリートのレビュー・感想・評価
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スコセッシとデ・ニーロの伝説はここから始まった。。。
スコセッシとデ・ニーロが初めて組んだ伝説的な作品。この前年、ちょうどコッポラが「ゴッドファーザー」で格調高いマフィアの神話を奏でたわけだが、クイーンズ生まれでイタリア系マフィアを肌身に感じながら育ったスコセッシはまるでカウンターパンチを放つように、下っ端ギャングのリアルなドラマを紡ぎ上げた。今でこそスタンダードとなったが、当時の映画人や観客たちはこのむせ返るほどの生々しさに衝撃を受けたことだろう。また一説によると、コッポラは「ゴッドファーザーPart2」をスコセッシに任せようと提案していたというし、同作にデ・ニーロが抜擢されたのも「ミーン・ストリート」の怪演が決定打になったとも言われる。本当の主人公はデ・ニーロではなく、ハーベイ・カイテルなのだけれど。ともあれ70年代の初め、映画界で何かが起こりそうな予感を充満させた一作。だからこそ「アイリッシュマン」と併せて観ると、何だか泣けてくるのだ。
スコセッシ版の青春群像
フェリーニの青春群像はイタリアの田舎の海辺の保養地の5人組だった
本作はニューヨークのイーストサイドにあるイタリア人街リトルイタリーを舞台にしてイタリア系の3人組の青春群像を描く
ミーンストリートとはヤバい街の意味
主人公の叔父はマフィアの顔役
つるむ仲間もろくでもないばかりだ
公開は1973年の10月3日だから、撮影はその9月だろうか、それとも前年の9月だったのだろうか
毎年9月半ばに10日程続くリトルイタリーのお祭り、サンジェナーロ祭の最中のその3人組の日々を描く
フェリーニの青春群像はラストで大人になっていく姿を描いて見せたように、本作ではスコセッシ監督が彼らの青春の終わりをラストでみせる
それはミーンストリートの名前のとおりの無惨な結末だが
若いデ・ニーロはどうしようもない最低のクズを好演している
見終わった感触は、なるほどスコセッシ監督がこの3年後、タクシードライバーを撮ると予告しているのだと思えるものだ
ジョニーボーイの人間らしいクズさ
借りた金を返さない。まさしく人間のクズだが、こういった人間が得てして
魅力的に映る事がある。リトル・イタリーにおける裏社会の模様を描く
この映画は決してジョニーボーイ以外の人間も褒められた人間ではない。
それでも守るべきルールや彼らなりの流儀があって、それを悉く破る
「異端」たるジョニーボーイが全ての事件の火種である。
こういう人間はどこにでもいる。邪悪かというとそうではない。
そうであれば、仲間に恵まれない。しかし、存在そのものが時に有害となり
周りを傷つけるのだ。かといって大人しく皆分別を弁えて生きるのが正しい
のだろうか。それは果たして人生を生きているのだろうか。ふとそういう事を考えてしまう。
私映画の持つ人間臭さ
多様な人種が入り乱れるアメリカという国はつくづく特異な国だと感じる。 同じ街でもたった数ブロック先は全く別の世界だ。
そんな奇妙な世界の一つリトル・イタリーに育ったマーティン・スコセッシが自身のルーツをたどった"私映画"である。
極端ではあるが、言ってしまえばこの作品は監督が育った時代のリトル・イタリーの縮図である。
ナンパしたり、道端にたむろったり、屋上から射撃をしたり、エピソードの多くは自身の経験であると彼は語っていた。
そして、同時に破滅的に毎日を生き延びる青年達の青春を切り取った時代を反映したニューシネマであり、何があっても絶えることの無い友情を描いた作品でもある。
まさに"今を生きる"男ジョニー・ボーイを演じたデ・ニーロの演技も素晴らしかった。
大作主義のブロックバスターの時代が続き、作品の舞台やストーリーがパターン化され型が決まってしまっている今日、このような自身を表現する個人的私映画は改めて映画からにじみ出る"人間臭さ"を感じさせてくれる。
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