バッファロー'66のレビュー・感想・評価
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最低な男の最高な恋愛映画!
若手タレントを売るためだけのクソみたいな恋愛映画を観るくらいなら、コレを観た方が絶対に良い。 キスもセックスもバイオレンスもエロもグロも無いけど、愛だけがある。 主人公を筆頭にヤバいやつしか出てこないのに、愛だけがある。 20年前も今も、色褪せない作品。
セオリー無視。なのにオーソドックスでクソ面白い映画です!!
たぶんこの映画を観たのは18年ぶりぐらいだと思います。シネ・リーブル梅田でリバイバル上映していたので観に行きました。
くだらない映画だなぁと思いました。
──でも、最高でした!!
ビリーが刑務所から出てきてスコットを殺しに行くまでのせいぜい18時間くらいを描いているだけです。しかも動機は逆恨み。ビリーは、アメフトで地元チームのバッファローが勝って優勝する方に大金を賭けたのですが、負けてしまったためマフィア(?)のボスの怒りを買い、刑務所に入ることになってしまいました。バッファローが負けたのは、当時バッファローの選手だったスコットがゴールを外したのが原因で、ビリーは彼がわざと外したと思っています。だから「殺してやる」というわけです。
アホだなぁと思いました。
きっとこの映画の脚本を監督やプロデューサーに持って行っても、おそらく却下ですよ。だってリアリティないですもん。酷評されて終了だと思います。
例えばレイラがビリーについていく理由って、まったく分からないですよね。脅されているとはいえ、逃げたり警察に駆け込むチャンスはいくらでもあります。何せレイラを車の中に残して立ちションしに行くのですから。「いや、そこで逃げないのがこの映画の世界観だし、この作品の面白いところじゃない」と反論されるでしょう。その通りなんですけど、脚本だとここで何で逃げないんだって思われてアウトだと思います。
そもそもレイラのことは素性も何もまったく分かりませんしね。あえてそうしているのでしょうし、謎めいているからこそ、この作品のヒロインにふさわしいのかもしれません。でも、そのキャラクターにふさわしい納得のできる行動をしてほしいです。まだただの誘拐犯でしかないビリーに従って両親に会うのは納得できないです。正直、ちゃんとプロフィールやバックストーリーを作っているのかどうか疑わしいと思っています。
ビリーの両親もヤバいです。二人とも息子にまったく関心がありません。何年も音信不通になっていた息子が久しぶりに帰ってきたのに。母親なんて「ビリーを出産してたせいでひいきのフットボールチームが優勝した瞬間が見れなかった。産まなきゃ良かった」とか本人に言ってしまう有様です。
僕がプロデューサーならきっと「こんな親いねー」って言うと思います。
まともに人物造形されているのはビリーだけです。
でも、残念ながら面白いんですよね。僕が学んできた脚本のセオリーとか、一体なんだったんだって思っちゃいますよ。
きっとビリーを描くとことにしか興味がないんでしょう。その他の登場人物はビリーを描くための、まさに脇役にすぎないんだと思います。おそらくビンセント・ギャロは「ビリーさえきちんと描ければ他の人物は何も描かなくて良い」と腹を括ったに違いありません。知らんけど。
ビリーだけに焦点を絞り込んで、そのために必要のない設定は削ぎ落としている、と考えると潔い気がしてきました。
映画の基本は主人公の葛藤や変化を描くことなので、ビリーに焦点を絞り込むっていうのは正しいんですよね。先ほど「僕が学んできた脚本のセオリー」が云々って書いたところで正反対のことを言いますが、こうして考えると『バッファロー’66』は極めて基本に忠実な、オーソドックスな作品なのかもしれません。
でも、それでもレイラのことは、もうちょっと描いて良い気がしますけどね。
見るものに自身のクズ性を振り返らせる映画
どうしようもない惨めで悲しく情けない不器用なクズ野郎というのが世の中にはいる。
それは、おそらく世の中の男性の結構な数が抱える闇の、あるいは病みの性分であり、この映画はそんな反社会的な見る側(男性)の一部分を悲しく切なく馬鹿らしく見せつけてくる。
主人公ビリー・ブラウンは、恋人はいないし、友達も互いに切磋琢磨できるような親友ではなく、髪がボサボサの浮浪者のような格好で、頭が悪いグーン(のろま)しかいない。普通はのろま扱いして馬鹿にしてる人のことは友達とは言えない。だから、友達もいない。
そして、両親はというと、地元バッファローのアメフトチームの応援に人生を捧げて、一人息子の人生に全く関心のない母親、そして息子のやることなすことに腹を立てて怒鳴り散らす父親だ。この両親から全く愛情を授かったことがないビリー。
だからこうした愛もへったくれもない両親がビリーのような惨めで情けない男を世の中に意図せずして放り投げたかのようにみえる。でも、非常に個人的な話、こんな親はけっこういる。アメリカのバッファローだけじゃなく、日本だってたくさんいる。世界中にいる。だから共感できるわけだ。わたしの両親もどこかこういう面があった。世の中のダメな親の要素を、犯罪者手前の要素を濾してところてんにしたらこんな素晴らしいキャラクターが出来あがった!この映画には惨めなビリーを産み育てたこの親とじぶんの親を照らし合わせ想いをはせることができる、そんな絶妙な素晴らしさがある。
この親が世界規模で存在するなら、そのビリーの惨めさ情けなさ不器用さはもちろん世界規模だ。これは俺だ!と観客(私)は思い、ビリーがデニーズの便所で「もう生きられない」と泣くシーンに共感してしまい…追い詰められて、ストリップを開いたと聞き、そいつの罪をかぶった、中年ハゲのジャバザハットのような男と共にキングクリムゾンの絶妙な脳内選曲でストリップでスイサイドする。素晴らしい!そしてものすごく悲しい。人生はカスだと皆(男性諸君)が思い、ビリーのスイサイドの刹那にカタルシスを得る。
と思いきや、あのなんとも志村けんのだっふんだのようなラストの展開に、若い頃見た時は安心したのに、結末を忘れていておじさんになった今、改めて観て、少しムカついてしまった。若い時は純粋にビリーが可哀想で死んでほしくなかった。おじさんの今、ビリーのスイサイドを望んでいる自分に自身がビリー化、クズ化しているのではと思わせる恐怖の瞬間だった。
クズ性は、生まれつき性格がよいか、しっかりものの親の愛情たっぷりなしつけがない限り多くの人が自然と授かるものだと思う。でもこの年になって親がどうのこうのは恥ずかしくて…そんな惨めな発想しかできない自身のクズ性は消えるどころか増幅していると思わせる恐怖の映画であった。
狂気は狂気を呼ぶのか
たまたま時間があったので、なんの予備知識もなく観たのだが、観て良かった。何がどうして面白いのかさっぱり分からないが面白かった。何ならしまいにはニヤニヤクスクスしながら観ていた。 至極真っ当なアメリカの田舎町を舞台とした物語だが、登場人物が全員頭がおかしい。理解しがたい行動原理で、互いになんの共感もないままやたらとあちこちに行っては奇行を繰り返す、主人公とヒロイン。単に巻き込まれただけだったはずの彼女は、やがて誰もが予想だにしなかった言動で観客を唖然とさせる。 特にコメディでもないし、割とひりつくような展開が続く中、頭のおかしい連中の行動が予期せぬ可笑しさを生むような、そんな作品。
ラスト10分をリピートしたくなる
ポスターがかっこ良くて印象に残っていた映画。回想シーンで別スクリーンが出てくる演出に、すげー!と思うが、あれっ!こんなにつまらなかったっけ?と思いながら物語が進行。ところが、ところが。エンディングに向かう最後の10分は必見。何度もリピートしてしまった。あのサウンドに、スロー描写。ヴィンセントギャロの才能が爆発している。
真っ赤っかな靴の男
20年前程に観て、ヴンセント “御洒落ぇ” ギャロの魅力とスタイリッシュで且つほろっと切ない内容が好印象だったと記憶している。 本作品が映画館で再上映されるって事で 映画館鑑賞推奨委員会会長のアタクシとしてはどうしても観に行きたくなったのである。 で、観てみたらえらいモンで 全 く 覚 え て へ ん っ っ !! (゜ロ゜ノ」ノ!!!! だども、是がほんまに堪らんかったっっ!! 20年前のアタクシに感謝っっ!!涙 (?) いゃぁ~せやけど、 酒にもクスリにも溺れずともここ迄ヘタクソな主人公ビリーにぐっと惹き付けられるってのはレイラ曰く 「世界一優しい人」 やからなんゃろなぁ~☆彡
映画人生に深く深く刻みました
映画凍結期に公開された作品なので今回が初見。 観始めてすぐに心がざわついた。 これは自分にとって大切な作品になると。 ドキドキしながら観た。 壊れてしまって社会に適合しない主人公のビリー(ヴィンセント・ギャロ)と彼に拉致された少女レイラ(クリスティーナ・リッチ)の道行。 二人はビリーの故郷・バッファローに向かった。ビリーの両親も壊れていた。家族として歪だった。 ビリーを優しく受け止めたレイラ。彼女は天使だった。夢に見ることはあっても現実には決して存在することのない天使だった。 キング・クリムゾンの『ムーンチャイルド』に合わせてタップを踏むレイラ。あまりにも美しいシーンだ。そこに映画の神様が舞い降りた。 ギャロはプログレが好きなんだろうなぁ。クライマックスはイエスの『燃える朝やけ』に乗っかってスロー&ストップモーションのバイオレンス。これも快感。 ビリーはセイラとともに生き直そうと。 ほんとクソみたいに都合のいいヤツ。 自分のように最低なヤツ。 これは壊れた人間がすがりつきたくなるような作品。 宝物になった。
途中までイライラしながら観ていたのですが、最後に「なんか良いかも」に変化しました。魔法にかけられた気分になる不思議な作品です。
何となく上映作品一覧を眺めていて
これは良いかも? と気になる作品があります。
これもその流れで鑑賞しました。
務めを終えて刑務所から出てくる一人の男。
刑務所前でバスを待っていたが、何やら非常事態
「トイレ貸してくれ」
「一度出た人間は入れない」 …そりゃそうだ
この 「トイレ緊急事態」 と
両親に見栄を張った 「嫁を見せに連れて行く」 とのウソが
場当たりな 「拉致監禁劇」 へ繋がっていき… ふぅ
そんなわけで
トイレを探しながら「ダミー嫁」も探す主人公
ダンス教室(?)でたまたま見かけた20才くらいの少女を
強引にさらうのですが、
その一連の場面が 「突っ込み所満載」…
そしてまた
この少女がまたヘンというか変わっているというか (あ、同じ意味か…)
「なんで逃げないの?」 心の声
というのも
この少女の車を使って
この少女に運転させて
途中おしっこガマンの限界に達し
逃げるなよと声をかけただけで
車から離れて「立ち○ョン」 …
「ねぇ、なんで今逃げないの …?」 心の声(大)
ホント逃げないんですよ、この娘…
「立ちショ○中」の男を置いて、そのまま車で逃げてしまえば
そこで「拉致監禁」 終了なのに…
けれど、この娘ば逃げません。
ボウリング場でゲームを始めたり
両親に見せる写真を肩を並べて撮っていた と
次第に犯人の男に協力的になっていく…
◇
正直なところ、終わり10分前くらいまでは
「ハズレ作品だったかなぁ」
との気分で一杯でした。
それが
最後に見事にひっくり返ります。
「あいつだけは許せない」
その相手に引導をわたしてやる と
少女をホテルに残し、銃を手に立ち去ろうとする男。
「戻ってくるんでしょ?」
眠っていると思った少女が声をかける。
「…」
「あぁ、戻ってくる」
そのままホテルを後にする男。
「やはり奴を許せない」
やがて男は拳銃を持って
標的の目の前にたつ。そして ずどーん
ストップモーションで血を噴く相手
自分のコメカミに銃口を当て ずどーん
おしまい
と思いきや …あらら?
以下、ラストに続きます。
この後の展開は、ご自分で確かめてみてください。
◇
私は、ハズレ評価から
「悪くはないかも」 そして 「観て良かった」に変わりました。
主人公たちにイライラ感じていたものが
いい意味でひっくり返りました やられた
「いい感じ」 ⇒ 「なんだこれ」 になるパターンなら
結構あるかと思うのですが
この作品は、「逆」 でした。
すくなくとも私にとっては。 やられました
オセロゲーム
最後の一手でひっくり返された気分。
なんだこりゃ一転
微笑んで見守るしかないエンディングになりました。
(苦笑いも含みますが…)
◇
それにしても主人公とヒロイン
イケメンなのか可愛いのか
それとも、そうじゃないのか
見方によってどちらにも見える絶妙な配役でした。
ボウリング
なんか懐かしくなりました。
長いことやっていません。
もう一度やってみたくなりましたが、体が動くかどうか…。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
好きだなぁー、好きですぅーこの作品
おもしろすぎました!!そして、なんと愛おしく可愛い作品なんでしょう。 映画館で鑑賞できる機会を作ってくれたシネクイントさんに感謝です。 厨二男子?いや、愛を知らない(多分)チェリーボーイの物語。よかったなぁ。 あぁ、20年前の作品なのかぁ。。。リアルタイムで観るべきだったなぁ。 お話の始まりからは想像もできない展開とラスト。素晴らしいエンタメ作品ともいえますし、 斬新なカット割り、飽きさせないカットの連続で会話劇が別の何かに見えちゃう演出もなかなかです。テーブル囲んでのシーンは素晴らしい、秀逸です。感心しちゃいます。 ストーリー、演出の一部ではありますが、ちょっとした笑いも散りばめられていて良いのです。 トイレ探しとか親父のスケベ心を感じさせるところとか・・細かいところが「イイ」のです。 ビリー(主人公)の人物像の作り込みが非常にしっかりしているんですよね。家庭環境などの背景含めて。それらがあるからこのシンプルなストーリーで描かれるさまざまなエピソードが、時に可笑しく、時に哀しく、切なく伝わってくるのです。 ビリーへの気持ちが最初とラストで変わっている自分に驚きました。心揺さぶられたなぁ。 「本気のしるし(劇場版)」でも揺さぶられたけど、本作でもまた・・・願っちゃったもんな!自分が思うラストを。なんだかね、クリスティナ・リッチ演じるレイラの気持ちがわかっちゃう自分もいて・・・。 もーーー!やられたー!って感じです。 クリスティナ・リッチ良いですなぁ〜。 凍てついた心は帰るべき場所の窓の光が溶かしてくれる。 良いお話でした!いつかまた観たくなる作品です。 あと、キング・クリムゾンとイエスの曲がかかるとは!なんと効果的!選曲も見事。 僕は♪Moon Child♪のシーンが大好きです。 傑作です!
時代の違いはだいぶ感じるけど楽しめた
98年公開作品となると今から20年も前の作品になるのか。主人公の女性に対するオラオラ感など時代の違いはだいぶ感じるシーンは多々あったけど普通に楽しく2時間鑑賞する事ができた。
主人公のビリーは刑務所から出てきて早々とレイラを拉致して妻のふりして自分の妻のフリをしろと脅すところから作品は始まる。
仕事も政府関係の仕事だの両親に嘘をつき、そこまで見栄を張らなきゃいけない由緒正しい家庭なのかと思いきや訳あり両親であり、あまり息子のことなんか気にもかけてない。
ストーリーが進むにつれてビリーは愛されることを知らずに育ってきたんだなというのがひしひし伝わる。
レイラも拉致された身でありながらビリーに好意を抱き側に寄り添い愛を与える。
ビリーに心を許したレイラに対しても作中内では一定以上男女関係にはならず、その辺りもビリーのこれまでの生い立ちや背景がひしひしと伝わる。
この辺のビリーの確固たる過去の描写とかを描かず想像させてくれるのは見ていて楽しいものだ。
楽しむ事はできたがビリーのレイラに対する横暴さは作品といえどこの時代でみるとやっぱり不快感は覚えるよね。
あんなにイライラする姿は共感はできないが愛なく育つとビリーのような拗らせた性格になるのもとてもリアルな感じで理解はできる。
あまりこの時代の作品を積極的に映画館で見ることはないが今回シネクイント系列の招待券をもらい行く機会ができ、そして楽しむ事ができたのでとても幸せな気持ちになれた。
両親に虐げられて育った背景がつらい。
ほんと、この父親と母親の最悪のキャラクター設定がすばらしい。
だから、天使に出会っても文句はありません!
奪うんじゃなくて与える(奢る)ことを選んだ主人公に幸あれ!
【溶ける】
バッファロー・ビルズのスーパーボウルでの一点差負けは、あまりにも有名で、伝説だ。 今年は、タンパベイ・バッカニアーズが、QBトム・ブレイディが移籍して来てすぐ、近年で最強と言われたグリーンベイ・パッカーズを接戦の末に破り、スーパーボウルでは、カンザスシティ・チーフスを難なく下した。 これは、バッファローと対極的な意味で伝説になるに違いない。 この「バッファロー’66」は、ビリーと、レイラと、ビリーの両親の食卓の場面の定点カメラを使った撮影など、小津安二郎的と言われたり、全体的に暗い色調の画面にビリーの赤いレザーブーツが妙に目立つような不思議な色彩感覚が印象的だったり、それは、すごく分かる。 でも、僕は、なんか初恋の相手と童貞を失くす時の、朝会った親の話は耳に入ってこないとか、誰かに話したいとか、落ち着きのない、そわそわした感じから、裸で抱き合ってゾクっとして、そして、…、溶け合うような感覚を覚える作品だと思っている。 僕は、初恋の人が相手ではなかったけれども、童貞を失くした相手はヴァージンだった。 そんなことも、そう感じた理由かもしれない。 こんなことを思うのは僕だけだと思うが、とにかく、この作品が大好きだ。 カルト的とか違うと思うのさ。
負け犬の巻き返し
評価が既に決まった良い映画であっても新たな発見はある。かなり強引なシナリオとストーリーであっても、確かに心は打たれる。妙な魅力と希望に溢れた映画だ。独特のユーモアと無理矢理な映像に破綻しかかった危うさはあっても、勢いに丸め込まれる。ヴィンセント・ギャロの才能か?至る所の粗は目立っても、グッと来る良い映画であることには違いない。劇場で観たい映画だ。 余談だが、ヴィンセント・ギャロの履いていた赤いブーツが凄くカッコイイ。ペラペラのスタンドカラーの革ジャンもカッコイイ。クリスティーナ・リッチのやり過ぎなメークを施したムチムチのミューズはとても魅力的だ。
いやしのレイラ
ニューヨーク州バッファローの壊れた家庭で育ったビリー(ガロ)。
すぐに激昂する癇癪持ちの親父。ビリーが子供のころ可愛がっていた子犬をうるさいとひねり殺してしまう回想シーン。
病的なほどにアメフトチームに入れ込み過ぎの母親。ご贔屓のチームが最後に優勝した66年はビリーを産んだ年で、そのため優勝を決めた試合を見ることができなかったと今でもいうほど。それも冗談ではない。マジだ。チョコレート(カカオ)アレルギーのビリーにチョコレートドーナッツをすすめる母親。回想シーンは漫画の吹き出しのように四角の画面から始まるのでわかり易い。
そんな家に育ったビリーは嘘をつかなきゃやってられない人間になってしまったのかな。可哀想!と思いはじめたということはわたしも立派なストックホルムシンドロームですね。
母親の影響か一発逆転を賭けて、バッファロー・ヒルズに実際は持ってない一万ドルを賭けてしまう大馬鹿野郎。ノミ屋の元締めの怒りを買う。その代償は真犯人として名乗り出て、刑務所に収監されている元締の仲間の刑を肩代わりすることだった。
5年の刑期を終えて刑務所を出るビリー。バス停🚏でオシッコ!となる。刑務所に戻って、トイレを借りようと門番を呼ぶが「一度出たものは入れない。もうすぐバスが来るぞ」と門前払い。延々、オシッコを我慢するロードムービー。オシッコなのか💩なのかわからなかったもので、ヒヤヒヤしました。駅のトイレは清掃中で閉鎖、お店では断られ、忍び込んだビルで用を足すかと思いきやトイレにいた男にキレまくり。家の両親に公衆電話から電話しようとしたところを通りかかったダンス練習中のレイラに小銭を出させて、親に嘘ばっかり話す。オヨヨ。さらにレイラを拉致して、レイラのトヨタセリカXXGTで自宅に向かう途中でやっと、立ち小便。少し落ち着いて、レイラに詫びて謝る。政府の仕事で長いこと留守にしていたけど、フィアンセ連れて凱旋する演技をして取り繕ってくれと。名前もレイラはダメだ。ウェンディ・バルサムだと押しつける。
見栄からにせよ、親孝行息子を演じたくなったのは、あんな家でも親子は親子だからかな。かわいいじゃないですか。拉致されたレイラはブロンドヘアで色白の爆乳娘。両親も喜ぶ。おまけに妊娠していると、ダメ押し。
CIAにお勤めのすごく優しくてハンサムなビリーに首ったけのフィアンセを演じ切って、家をあとにする二人。
それから、ボーリング🎳場に行ったり、ファミレスに行ったり、モーテルに泊まったり。ボーリング場でのレイラのタップダンスシーンもありました。
ビリーが刑務所に入ることになったのは八百長(フィールドキックをわざと失敗して、ジャイアンツに一点差で負けた)選手のせいだと思い込むようになり、復讐を計画するその選手スコットはストリップ劇場を経営していることを突き止めて、心配するレイラを残して、深夜にひとりで行くのだが・・・・
クライマックス直前で、おーっと、横の奥の席のカップルの男が途中退場。
スコットのストリップ劇場の場面がきれいに終わってから戻ってきた。
馬鹿だなぁ! オシッコなんかビリーみたいに我慢しなよ!と思った私。
スコットが太った田中哲司に見えてしまったw
優しいレイラの過去には何があったのかな。それとも、何もないからアホなビリーを赦せるようになって行ったのかなぁ?
音楽もよかった。
昭和な映画を令和に見て、レイラに癒されました。
ビリー、あなたは世界で一番優しい人よ。ハンサムだわ
彼女がビリーに惹かれていくのには、彼女なりの理由があるのだろう。だけど僕には、DV受けてても「うちの人、ほんとは好い人なんです。仕事だってちゃんとやれるんです。」って庇う夫婦と同等にしか見れず、この映画を評価される方々とは好みが違うのだと痛感した次第。最後に、結局お前は甘えん坊なんだろ、ってクスリっとしたけど。
クリスティーナリッチが見たくて!
クリスティーナリッチさんが出演している作品をかなり多く見ていたころに鑑賞した。イライラする作品だが凄く印象深く感じた作品だった。ガロが出演した作品もこれで物色して見た。気になる方は是非見てください!
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