野いちご

ALLTIME BEST

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野いちご

解説

スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンが、ひとりの老人の1日を通して人生のむなしさや孤独をつづり、ベルリン国際映画祭金熊賞をはじめ数々の映画賞に輝いた傑作ドラマ。名誉博士号を授与されることになった老教授が車で授与式場へと向かう道のりを、老教授の回想や悪夢を織り交ぜながら描いていく。老教授を演じるのはサイレント期の名監督として知られるビクトル・シェストレムで、本作が遺作となった。2013年、デジタルリマスター版でリバイバル公開。2018年の「ベルイマン生誕100年映画祭」(18年7月~、YEBISU GARDEN CINEMAほか)でもリバイバル上映。

1957年製作/89分/スウェーデン
原題:Smultronstallet
配給:ザジフィルムズ、マジックアワー
劇場公開日:2018年7月21日

その他の公開日:1962年11月(日本初公開)、2013年7月20日

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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(C)1957 AB Svensk Filmindustri

映画レビュー

5.0イングマール・ベルイマン監督の最高傑作‼️

2024年6月17日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

泣ける

興奮

幸せ

わが敬愛するイングマール・ベルイマン監督作品の中でも一番優れている作品だと思うし、一番好きな作品ですね‼️ベルイマンの作品には夢や幻覚のシーンが多く見られ、時に難解と思われる作品もありますが、この「野いちご」はそれが最も美しく、そして最もわかりやすく表現されていると思います‼️ストックホルムで孤独に生きる78歳の老医師イーサクは、名誉博士の称号を授与されることになる。別居中の息子の妻マリアンと車で式典に向かう途中、イーサクは60年前の恋人サーラとの悲恋を回想する。サーラによく似た女性ら若者三人組や、喧嘩ばかりしてる老夫婦を車に拾うなどしながら目的地へ向かうが・・・‼️自分の死体と出会う奇怪な夢や、恋人が弟に奪われる回想シーン、妻が男と密会する現場を目撃したことを思い出したり、医師の試験を受けさせられたあげくの有罪判決、マリアンから子供を産むことを息子が許さないと相談されたり・・・‼️回想場面に現在の主人公自身が登場するのも独創的だし、夢と回想と現実が錯綜するような構成も印象的で、老いて死を予感している主人公の内面のイメージが見事に表現されていますよね‼️そんな夢と回想を織り交ぜながらのロードムービーを鑑賞しているうちに、イーサクのこれまでの様々な人生模様が浮かび上がってくる、まるで走馬灯のような映画ですね‼️そして若者三人組に祝福されたり、息子夫婦の仲直りを見ているうちに、名誉よりも心を開くことが大切であると気づいた主人公が、安らかな心でサーラの夢を見るラスト‼️なんて素晴らしい着地点なんでしょう‼️まさに人生に対するノスタルジー‼️ベルイマン監督の演出は静かで詩的で美しく、ホント心に沁みる‼️深みのあるモノクロ映像も格調を高めていてホント素晴らしいですね‼️

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活動写真愛好家

5.0医学博士の車旅

2024年6月7日
PCから投稿

映画は78歳の医学博士イサク(Victor Sjöström)の独白ではじまる。

『いわゆる「人づきあい」の主な中身は、そこに居ない誰かの噂をし悪口を言うことだ。私はそれが嫌で友を持たず、人とのつきあいを断った。歳をとった今ではいささか孤独な日々だ。・・・』

映画野いちごはイサクが学位の授与式に参列するためストックホルムからルンドまで車で移動する道中の様子を描いている。マップを開いたら直線で500キロほど、車で7時間──と出た。当時の車/インフラならもっとかかっただろう。
車旅は息子の嫁(イングリッド・チューリン)と三人の若者が道連れとなり、折々夢へ飛躍しながらイサクはじぶんの人生の再評価を余儀なくされる。

イサクは人々から尊敬され感謝される医者であり大学から叙されるほどの成功者だが、息子や亡妻に対して常に不機嫌で頑固で自己中心的であった──ことがイサクの見る白昼夢や息子の嫁の証言によって明らかになっていき、過去の自分自身を観察しながら次第に内省へと落ち込んでいく。

wikiの解説に『ベルイマンはストックホルムからDalarnaまでのドライブ中故郷のUppsalaに立ち寄ったときに映画「野いちご」のアイデアを思いついた。』とあった。

車を運転される方であればお解りになると思うが、ドライブ中はいろんなアイデアを思いついたり、あるいは嫌なことを思い出したりする。いいことはあまり思い出さず、不意に恥ずかしい失敗を思い出して車内で独りなのをいいことに、大声をあげてその記憶を振り払ったりする、こともある。
つまりベルイマンは「野いちご」のアイデアを閃いたことと、映画中でイサクが自省の念へ立ち戻っていく──という事象をドライブに紐付けながら語っている。

人生の黄昏期、集大成のような功労賞が与えられるという節に7時間のロングドライブをしたら、確かにあんなことやこんなことや、悲喜こもごもを思い出しながら、ひょっとしたら暗い気分になってしまうかもしれない──と思わせる普遍的な完成度をもった映画だった。

普遍的というのは、じぶんが78歳の医学博士に至っていなくても、まったく別の年齢で何も達成していなくても、この話はとてもわかる話だ──という意味であって、イサクが幻想でまみえる夢判断のような劇中劇も解りやすく、結果本作はベルイマンの代表作にもなり、キューブリックやタルコフスキーのような巨匠中巨匠でさえもが野いちごをAll Time Favoriteに挙げている。

ただしベルイマンの主潮流である神の不在とは印象が異なり別サイドの代表作という感じ。
個人的に普遍性と家族と、ある種の虚無感によって「東京物語のB面」というのはどうだろう。我ながらいい短評だと思う。

wikiによれば1957年撮影時のベルイマンは体調も悪く私生活も混乱していた。
前にも言ったことがあるがベルイマンという人は理知の塊のような映画をつくるのに反して結婚離婚を繰り返した人だった。それを「反して」というのは語弊があるかもしれない。ただすごく悟性に訴える映画をつくるのに何度も結婚離婚をしていることが日本人の見地からは違和があった。むろんそれがだめと言いたいわけではないしスウェーデンがそういう国なのかもしれないが、野いちごの撮影時には胃疾患とストレスでの入院後だったのに加え、出演者の一人であるBibi Anderssonとの関係が終焉していた──と概説にあった。ビビとは要するに不倫をしていたわけ。
わたしはどなた様の不倫にも感心がなくましてそれに善悪是非を裁定する権利がないと思っているがベルイマンが恋多き男だということは映画のピューリタンな印象とは異なっていた──という話である。
ただしもちろん、往々にして世の傑物がそうであるように、何度でも女性とくっついたり離れたりするような甲斐性や執着心がなければ人はクリエイターなんかになれない、というのは解る。(もちろんそうではないクリエイターもいくらでもいるが)

それらの絶不調に加えて主演のVictor Sjöströmが難物で、かれはサイレント映画時代の重鎮でベルイマンの大先輩でもあった。
ベルイマンは──

『Victorは憂鬱な気分でいて、映画をやりたがらなかった。彼は人間嫌いで疲れていて、老いを感じていた。彼にこの役を演じてもらうために、私はあらゆる説得力を駆使しなければならなかった』

──と述懐している。

つまりイサク役はVictor Sjöströmそのものだった。歳も同じくらいで、ベルイマンは時々脚本の細部について屁理屈を言われながら、最終的に撮影時間が変更されSjöströmが彼が日課にしている午後5時からのウイスキーを飲む時間に帰宅できるようになると、事態は好転した。──そうである。w

ベルイマンの苦労が報われ野いちごのVictor Sjöströmは迫真だった。Victor Sjöströmが遠くを見る目をするだけですでにドラマチックだった。

ラスト、イサクは幻想のなかでBibi Andersson扮するサラに誘導され、湖のほとりでピクニックする家族のヴィジョンが見えると、そこでやっとイサクは肯定的な歓びの表情をする。
あれはまもなく死ぬからだろうと思う。あれはハッピーエンドのイメージじゃなくて涅槃のイメージだ。だから野いちごは「人はどんな風に死んでいくのか」という映画だ、と(個人的には)思っている。

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津次郎

3.5人間の死や老い、家族などの普遍的なテーマ

2023年8月8日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

名誉学位の授与式に向かう老教授の一日を
彼の悪夢や空想、追憶などの心象風景を交えて
描写した作品。

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ほんのり

3.5イーサクの遺作

2022年7月27日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

何が彼をそーさせたのか、孤独で静かに頑迷だった親父の晩節が描かれている。夢は逃避の象徴として扱われることが多いですが、その逃避の夢が現実を変えるキッカケになり、ラストシーンでみる夢の慰めも深まる。

義理の娘は東京物語の原節子か。誰にでも女神はいる。

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filmpelonpa