冬冬(トントン)の夏休みのレビュー・感想・評価
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子供の頃に知らない男の子と公園でオモチャの交換をした事があった。 ...
子供の頃に知らない男の子と公園でオモチャの交換をした事があった。
2階で廊下を滑って遊んでいると1階で仕事をしている祖父からこっ酷く怒られた事があった。
そんな事を思い出しながら鑑賞した。
母親が病気の少年と幼い妹。田舎に行く。急な階段。『となりのトトロ』と少しだけ設定が似ているが全く違う。
線路のシーンは驚いた。冬冬には妹を邪険にせず、もっと可愛がって欲しいとも思う。
出番は少ないが『牯嶺街少年殺人事件』『ヤンヤン 夏の思い出』のエドワード・ヤン監督が俳優として冬冬の父親役を演じるほか、劇中音楽の選曲も手がけている。脚本は『悲情城市』をはじめ数々のホウ・シャオシェン作品を支えてきたチュー・ティエンウェン、撮影は『台北ストーリー』『風櫃の少年』などの撮影を手がけたチェン・クンホウが担当。
不思議に思ったのが、最初の方で駅で会った冬冬の友達が「15歳になったら出国出来ないので、それまでに日本のディズニーランドに行くんだ」みたいな事を言ってた。80年代の台湾を少し調べたが解らなかった。しかし別の台湾事情が沢山出てきて少し勉強になった。
今でも実に瑞々しい
ホウ・シャオシェンによる、家を離れ叔父の家で過ごすひと夏の物語。
まさか今劇場で観れるとは思いもよりませんでした。
まず冒頭の卒業式。そうそう、「仰げば尊し」や「赤とんぼ」と完全に日本式のものなんですよね。
統治時代の面影が見れます。
そして冬冬の家族はその身なりから裕福なのが伺えます。
また預けられるおじさんも医者だからか、とても立派な家。
ここら辺の設定はいつもの監督作品と違うのが面白い。
あと雀漁?これも斬新でしたね。
逆に亀に意地悪してるのはちょっと嫌な気分に…。
あと普通に娘に「避妊手術させる」とか言ってて、色々文化の違いにも驚かされました。
それと怖かったのが妹が線路で轢かれそうになるシーン。
スタントでもCGでも無いのに本当にやばく無いですか?
やはり観ていて「ひえ!」っと鳥肌が立ちました。
そんな兄弟の過ごした時間も、大切な思い出になるのでしょう。
美しい自然に子供たちの友情と夏。
今でも実に瑞々しい、素晴らしい作品でした。
9月新学期
何も起こらなくはないけれど、何が起きたという訳でもない。
どこか懐かしい風景がそこにはある
ワタシの幼少期アルアル。少しないのもあるけど…
実は賢くて世渡り上手なトントンとひと夏で成長を見せるティンティンの兄妹は台湾新世代の象徴か? 80年代 戒厳時代末期の台湾のリアリティ
20年ほど前、台湾出張時に桃園国際空港から台北市内のホテルまでの道すがら、利用したタクシーの運転手さんの家族の歴史について聞いたことがあります。当時、中国語をかじり始めて数年だった私と、あまり「隠私」(中国語でプライバシーの意)を気にしないその運転手さん(一般的に中華文化圏の人たちは隠私の概念が希薄のような気がします)は、約1時間かけて彼の両親の話をしました(私のあやしげな中国語だと時間の割に話の内容が少なくなりますが)。それによると、彼の父親は国民党員で共産中国が誕生したときに、蒋介石とともに台湾に逃れて来た、いわゆる「外省人」とのことでした。で、彼は最近、両親とともに生まれて初めて中国大陸の土を踏んでご先祖さまの墓参りをしたと話していました。20年ちょっと前の時点での最近ですから、戦後50年以上たってから、彼の両親は初めて里帰りをしたということになります。
この映画で主人公のトントンとその妹ティンティンが夏休みにいっしょに暮らすこととなる母方のおじいちゃんは、この外省人ではないでしょうか。中国大陸内のブルジョワ家庭の出身で教育水準も高く、親は国民党支持者、戦後間もない頃、20代の彼は両親とともに台湾にやってきて、国民党軍が接収した、かつて日本人が住んでいた屋敷にて医院を開業したと考えるとこの映画の背景が腑に落ちる気がします(ちなみに、この作品の監督ホウ•シャオシェンは広東省生まれで1歳のときに家族で台湾に移住してきた外省人です。また、この映画ではトントンの父親で出演している映画監督のエドワード•ヤンも外省人で上海生まれで2歳のとき移住。二人にはどちらも1947年生まれで外省人という共通点がありました)。
この映画は1984年の作品ですが、本篇に1983年開園の東京ディズニーランドについて語られるシーンがあり、ほぼ、同時代を舞台にしていると考えてもよいと思います。この頃の台湾はまだ1949年に布告された戒厳令下にあり、87年の戒厳令解除まで続く38年間の「戒厳時代」の末期で、本篇にあるように海外渡航の制限は続いておりましたが、社会の潮流は近代化、民主化のほうに流れてゆく時期でもありました。外省人と本省人(もともと台湾に住んでいた人々)の関係も徐々に変化していったのではないでしょうか。
さて、主人公のトントンは小学校を卒業して夏休みを迎え(卒業式で『仰げば尊し』が歌われていました。この時点で戦後約40年ですが、日本統治時代から続く日本文化の影響が見られます。ただ、9月から新学年が始まるとか、自動車が右側通行とかの制度面は大陸側の中国と同化しています)、母親が病気で入院しているなか、妹のティンティンとともに夏休みを過ごすために田舎町で開業医をしている母方のおじいちゃんの家に行きます。このトントンがなかなか世渡り上手なんです。地元の子供たちともすぐ仲良くなりますし、あまり出来のよくない(失礼!)叔父(母親の弟。おじいちゃんから見たら、まあ不肖の息子でしょうね)にもいろいろと配慮します。また、おじいちゃんの質問に応えて漢詩の暗誦をきちんとすることからわかるように賢くて、おそらく学校の勉強もよく出来るのでしょう。夏休み中に両親に宛てて書いた手紙の内容もしっかりしていました。一方、妹のティンティンは兄と地元の男の子たちのグループからは仲間はずれにされますし、男尊女卑の風潮の子供版みたいな感じであまりいい思いをしません。男の子たちのガサツさにあきれたりもして、少し精神的に不安定にもなりますが、地元であまりよく思われていない知的障がいのある女性に助けられ、彼女を慕うようになります。
この台北からやって来た兄と妹は夏休みの経験を通じて成長します。彼らは都市の勤労所得者の子供たちで核家族の年少のメンバーでもあるように描かれていると思われます。面白いのは古いタイプの男尊女卑の家父長家族の長である彼らのおじいちゃんに彼らに触発されてか、若干、「軟化」するきざしが見えることです。地元の人たちと交流する自分の孫たちの姿を見て、外省人としてエリート意識の高いおじいちゃん(おそらく、ですが)も今後、地元の本省人の皆さんとの付き合い方を考え直してゆくかもしれません。
ということで、この作品は子供たちの夏休みを描いた詩情あふれる物語であると同時に1980年代半ばの台湾のある側面を活写した作品だとも言えるのではないでしょうか。あそこに出ていた子供たちも今ではもう50代に入っているはず。ここで何回か使った「外省人」「本省人」という言い方が実は「台湾省」という言葉を前提に成り立っている言葉であることからわかるように、台湾の人々は常に中国大陸の政府を強く意識していると思いますが、同時に外省人、本省人の枠を超えた台湾人としての意識もあるように思います。「台湾有事」という言葉が新聞紙面に躍る昨今ですが、今後も関心を持って情報を追ってゆきたいと思っています。
風景と音楽は◯
地域社会の記憶──40年で消えたものと変わったこと
随分ノスタルジックな映画だった。
舞台は1980年台の台湾。僕も90年代には何度か台湾を訪れた。この映画の祖父母にあたる世代の人から、何度か日本語で話しかけられたりもした。何度訪れても、日本をより親しみやすくしたような居心地のいい国でもある。この祖父母も日本統治時代の台湾で生まれて、日本語を母語のように話せるはずだ。
主人公のトントンは僕より年下だ。作中では10歳くらいに見えるから、今ではおそらく50歳前後になっているだろう。その彼の小学校時代の一夏、父母と離れて田舎の祖父母の家で過ごした日々が描かれる。
最初に目が惹きつけられたのは、映画の細部だった。母の病室に置かれた花柄の魔法瓶、木造の駅舎、窓の開く特急列車──すべて僕の子供時代にも確かにあったものだ。けれどもう失われ、普段は忘れてしまっているものでもある。映画はそれを、確かに存在したものとして思い出させてくれた。
トントンは社交上手で、都会から持ち込んだラジコンカーを駅前で披露し、あっという間に地元の子供たちと打ち解ける。そして気前よく亀と交換してしまう。
祖父母は特別に甘やかすわけでもなく、自然に距離をとって接している。その日々には、親戚の叔父やその交際相手、近所の人たち、そして近所の知的障害のある若い女性までもが関わってくる。妹ティンティンが彼女に惹かれていくサイドストーリーはこの映画の骨子に感じるくらい印象的だ。
思えば、僕の子供時代の近所にもこうした知的障害のある人が普通に暮らし、働いていた。
僕自身も川遊びはよくしたし、近所にたくさん親戚もいて、近隣との交流も絶えなかった。
けれど今はどうだろう。たまに田舎に帰っても、外を出歩いている人がほとんどいない。当然、川で遊ぶ子供も見かけない。小学校のグランドにも子供はいない。
そして40年で親戚も散り散りになり、交流はほとんどなくなった。
たった40年でこれほど多くがなくなったのは、僕が地元を離れたからだけではないだろう。
地域社会の変質、そして2020年代になり、日本で最も多いのが単身世帯になったという社会構造の変化が重なっている。
映画を観終えた帰り道に散歩をして、その喪失感を反芻しているうちに、ついつい新宿武蔵野館から飯田橋まで歩いてしまった。
一服しようと入った喫茶店で携帯のニュースをみたら、単身世帯で亡くなった場合、親しい友人でも死亡届を出せない」という記事を目にした。
日本の社会制度はいまだに血縁と家制度を前提に組み立てられている。けれど実際の社会はもう、そこから大きくずれてしまっている。
侯孝賢が40年前に撮った「当時の台湾の日常」は、僕の子供時代と重なりながら、同時に「すでに失われたもの」として迫ってきた。そしてそれに代わる新しい共同体のかたちを、僕らはいまだに設計できていない。そんな複雑な思いを抱えたまま、映画を見終わった。
いつまでも心に残る映画
時代は84年、台北の小学校で卒業式を終えたトントンとその幼い妹ティンティンは、母親が入院しているため、台北から110 kmあまり離れた銅鑼にある外祖父の家で、夏休みを過ごす。
一番印象深かったのは、二人の外祖父。銅鑼で診療所を営んでいる開業医、内科から妊娠の診断までをこなし、周囲からの信頼も厚い。この時代、台湾の家族は男系中心、家長が全てを仕切る社会構造と知れた。この祖父は、全ての決定を自ら下し、しかも結論だけを体で示すが、説明はしない。
男優位を示す情景として、暑い夏の日、トントンは近所の子供達と川遊びに出るが、裸になって川で泳ぐのは男の子のみ。女の子は見ることも許されない。これに怒ったのが、幼いティンティン、彼らの下着を川に投げ捨てる。これが新たな潮流のサインなのだろう。
この社会構造に、日本統治時代の影響が顕著に残っている。冒頭から、卒業式では、日本でも歌われなくなりつつあった「仰げば尊し」が聞こえる。祖父が仕切っている建物は日本風で、一階が診療所、2階が畳敷の寝室で、2階に上がる時、履き物を脱ぐ。
トントンの母親の弟(叔父)は、からきし頼りないが、トントンは優秀のようで、外祖父は目をかけており、王維の漢詩「独り異郷に在りて異客と為る」を暗誦させる。この時、手回しの蓄音機で、SPレコードを聴かせる。スッぺの「詩人と農夫」。
幾つかの事件が起きるが、叔父さんと知的障害の女性、ハンズがからむことが多い。ハンズは、悪い男に騙されて妊娠してしまう。一方で、仲間はずれのティンティンを危ういところで助ける。この女性は、街の皆に後ろ指刺される状態ではあるけれど、それでいて、あの権威的な外祖父を含めて、大事に見守っていることがわかる。
一方、頼りない叔父さんは、やはり可愛い彼女を妊娠させてしまい、その母親が、診療所に怒鳴り込んでくる。外祖父は、彼を家から追い出すが、彼が幼馴染の犯罪に絡んだ時には、ぎりぎりのところで救ってやる。外祖父は、知的障害の女性に託けて、最低限のことだけはしてやると、トントンに話す。
日本は、台湾統治時代、中国南部の伝統である男性優位の社会構造には手をつけず、西洋音楽を含む教育を中心に、台湾の近代化を図ったのではなかろうか。おそらく、鉄道や水道、医療体制の整備もしたのだろうけど。支配された台湾の人々は、強い反発心を抱きながら、心の内では感謝している部分もあり、それを象徴しているのが、この映画に出てきたあの手回しの蓄音機と、今は電化されている狭軌の鉄道ではないかと思った。最後に流れたのは、何と我々も馴染んでいる「赤とんぼ」だった。
風景が自分の子どもの頃のようで懐かしく
台湾の若い時代を切り取った秀作
ホウ・シャオシェンと、この映画にも役者として出演している映画監督エドワード・ヤンは実は同じ年の生まれである。(1947年)
この二人の優れた映画監督は、日本統治が終わった後の台湾の、世界史上類を見ない奇怪ともいえる政治的流転、経済発展、社会の変容を、あたかも同時中継するように映画で発信してきた。主として80年代はホウが、そして90年代はヤンが。活動時期がずれているため二人がリレーしているような印象だが、共にターゲットとして捉えたのはトントンの、つまり70年代生まれの現在50歳前後の世代である。
視点人物は小学校を卒業したばかりのトントン。でも原題は「A Summer at Grandpa's」でありキーパーソンはトントンの外祖父(母方の祖父)である。医師で町の重要人物。この映画は外祖父が統べる家父長制が緩やかに解体する様を描いている。彼は、自分の息子(トントンの叔父)が恋人を妊娠させ勝手に結婚してしまうことを最初は許さない。トントンや妹のティンティンに対しても峻厳な態度をみせる。だがいろいろな騒動があった末、息子は許されて所帯を持つこととなるし、トントンとティンティンはおじいちゃん、おばあちゃんに気持ちよく送られ台北に戻っていく。イエは核家族単位に分離されていくのである。一方、町が抱える「問題人物」である寒子についても優生思想的な処分をしようとする話から、そのままで地域で共生する方向に落ち着いていく。これも社会の変容を表している。
1984年の作品である。冒頭に「日本のディズニーランドへ行く」というトントンの友達の発言があるため(東京ディズニーランドは1983年開園)同時代を映画化していることが分かる。当時は蔣経国総統時代で総統直接選挙を含む民主化まではまだ遠かったが、地方でもすでに改革は始まりかけていた。台湾の若くそして希望に満ちた未来をこの映画は予見しており眩しいまでに光溢れるトーンはそこに由来する。
だから、この映画を日本における「少年時代」と並べ同じようなものだと評する向きがあるがそれは全く違う。
もちろん時代も場所も全く異なるのだが、それ以上に、少年時代(特に漫画)が子どもたちの世界に権威主義的な規律と順位付けが暴力的に持ち込まれる話であるのに対し、本作は個人を重視した相互理解と和解が平和にそしてとても明るく語られる。田園の風景が等しく、美しく描写されているからといって一緒にしては駄目だと思うな。
ジワジワ〜っと懐かしさが込み上げる
【”夕焼け小焼け” 台湾と日本の昭和の少年の夏休みは、似ていたのかな・・】
これは素晴らしいですね
侯孝賢の映画を初めて見た。
子供が主人公だから私の嫌いなファミリードラマとは思ったけど、それほどファミリードラマではなかった。はじめのうち、これは学園祭で見る学生が作った映画と同じ雰囲気でアマチュアチックだなと思った。そしてストーリーも本当にアマチュアライターが書くような感じの素朴なエピソードの積み重ねで。しかしそれが 何か別なことも積み重ねていたようで最後にはとても感動した。単に小さなトーリーの積み重ねで終わるのではなくクライマックスにそれなりに大きなストーリーが入っているのでこれだけ脚本として成功しているのだと思う。お兄ちゃんのエピソードと妹のエピソードのバランスも良かったな。全体に登場人物たちのエピソードのバランスが良かったと思う。そしてファミリードラマファミリードラマしないように工夫がなされていたと思う。親子が直接会話するという場面がとても少ないとか。この映画は作家の魂が入っていて作家としての本質的なメッセージが全て詰まっていると思った。
そしてそのメッセージや全体ストーリー構成が宮崎駿のとなりのトトロにとても似ていると思った。ついでに言うと紅の豚も同じストーリー構成となっている。気になったので調べてみたら冬冬の方がトトロよりも4年も早かった。侯孝賢、えらい。これを見たおかげでトトロの評価が10%~20%ほど下がったな。冬冬が有名な映画だけに。
写真的には古いフィルムカメラの良さがとても出ていて味わいのあるいい映像が撮れてたと思う。またその写真とカメラワークがとても合っていた。
映画監督よ映画はフィルムカメラで撮ってくれ。
当時は当たり前だったことも。
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