ティファニーで朝食をのレビュー・感想・評価
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ザ妖精
オードリーは好きだけど、そしてこれは代表作だけど、今回初見。
ん?ティファニーって食べるとこ併設されてた?
しかも朝からやってるの?なんて思って観てみたら。
あらら、こんなお話。
昔のお話ですからこんなのもありかな〜と私は思いました。ちょっといっちゃってる系の女の子?ホントは10代で卒業して欲しい。(笑)
でも14で結婚しちゃったらこうなっちゃうかも?
虹の向こうに何かがある。と信じてる。
オードリーだからこんな破天荒なキャラも清潔感を保って成立したような気がする。本当に素晴らしく綺麗。
みなさん、気にされてる出っ歯さん。
あれはおそ松くんのイヤミにしか見えなかった。
化粧室の50ドル
「バカな娘とお思いでしょう」
午前十時の映画祭14異例の夜間上映に参加。
もう今更言うまでもない、オードリー・ヘップバーンの代表作のひとつ。トルーマン・カポーティの短編小説をブレイク・エドワーズ監督が映像化した。
だが、本作がカポーティの本意だったかはよく分からない。原作を読んだわけではないが、カポーティにしては甘ったるい感じが漂うし、本来ならばホリーはマリリン・モンローが相応しいのだろう。試写を観たカポーティがひっくり返ったという噂を真とするならば、大分原作蹂躙されたことは想像に難くない。
そういった経緯もあり、僕は本作をオードリーのNo.1の作品には持ってきたくない。だが、ビジュアル面ではあらゆるオードリーの中で最も好きだ。盛り上がった髪、小さな顔を埋め尽くさんばかりの大きなサングラス、そして煙草…ジバンシィが素材本来の味を最大限に引き立たせるものだから、やることなすこと全て無茶苦茶なのにホリーのことを何故か憎めない。むしろたまらなく愛おしい。ここにヘンリー・マンシーニのスコアが加われば、オードリー、ジバンシィ、マンシーニのトリニティが完成しここまでのありとあらゆるマイナスが全て帳消しになる。
もはや古典の域に達しつつある本作。しかしながら、劇中のティファニー本店の店員の言葉を借りるならば、「目まぐるしい中でどこかホッとした思いがする」のが本作の魅力だ。
私事だが、8年前にニューヨーク五番街のティファニー本店に行く機会に恵まれた。開店前に飲み物を飲みながらウインドウショッピングをし、開店してから店内で香水を買ったのは幸福な思い出だ。店内を歩きながら、傍には"My Huckleberry Friend"ホリー・ゴライトリーの気配を感じていた。
原作の繊細さがほぼ表現できなかった失敗作。オードリーもあまり美しく撮れていない(ムービーでは)
ホリー・ゴライトリーとはどういう人物なのか。原作を読む限りでは3つの特徴がある。
1つ目は、偽善や、形式張った取り澄まし、「まやかし」を見抜く鋭い嗅覚を持っていること。
2つ目は、「まやかし」を糾弾しながらもある程度は受け入れる優しさがあること。
「男たちとセックスをして、金を搾り取っておいて、好きになろうと思おうともしないなんて道にはずれた話よ」(原作で私が一番好きなホリーのセリフ。映画には出てこない)
3つ目は、「旅行者」であること。これは彼女のメンタルを時々支配する「いやったらしい赤」(おそらくは後悔や不安といったネガティブな念を言っているんだと思うが)から逃れるため一箇所にとどまらないということもあるが新しい土地や新しく知り合う人達への純粋な憧れや興味があるからだと思う。
よく似ている人物がいる。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン・コールフィールド。ずっと後世の言葉で言うと「アダルトチルドレン」ということになるのか。処世術の上手くない純粋な心持ちの人達なのである。
サリンジャーとの符合は原作が世に出た当時から言われていたようで、映画でジョージ・ペパードが演じる作家ポールの短編集は「9 lives」という。サリンジャーの「9 stories」を踏まえていることは明らかでなんとも無神経。カポーティはさぞ腹がたっただろう。
ホリーと、気の弱い駆け出し作家が心を通わせる繊細な物語なのである。原作では作家の名前は出ない。ホリーは兄の名前であるフレッドと呼ぶ。名前が出ないのは視点者としての匿名性とまだ何ものにもなっていない若さを表現するためだろう。映画化にあたっては主要登場人物に名前がないとと単純に考えたのだろうが(猫はまあ良いとして)こういうところが浅はかなのである。
映画は原作の繊細なイメージをほぼ表現できていない。いくつか指摘すると、まずは作家の人物造形。この作家は原作者カポーティそのものであって小柄で内気な人物であるはず。ところが演じたのはジョージ・ペパードでマッチョなハンサム。全くミスキャストである上にセリフが特に原作とはかけ離れて脚色されている。例えば「身体を売っている」とダイレクトにホリーを非難するところ、そして最後のプロポーズで「あなたは自分のものだ」とか「自分の殻を破れ」とか言ってしまうところ。原作におけるホリーと作家の関係性ではあり得ないセリフであり当時の一般的な価値観からいってやむを得なかったのかもしれないが原作を捻じ曲げる脚色であると言わざるを得ない。
そしてオードリー・ヘプバーン。世間では彼女は神聖化されているので、ホリーを社会的に逸脱しているとか支離滅裂であるとか非難してオードリーが演ずる役としてふさわしくなかったと論ずる向きがある。
ホリーは前述の通り魅力的な人物であり、その性格なり価値観は、原作では相当に長い彼女自身のセリフで説明されている。映画はその十分の一の量のセリフしかないのでオードリーがホリーの魅力を再現することは難しかったと思われる。セリフが少ないのはそれだけセリフを覚える技量や時間がなかったのか、あるいは仮に覚えたとしても身についた言葉として表現する演技力がなかったかのいずれかだと思う。(余談だがこの映画は企画段階ではパトリシア・ニール主演で準備されていたのではないか。でないと原作にはない特に必要ない役で彼女が出演している理由がない)
不思議なもので脚本や演技が駄目だとヴィジュアルも駄目になる。この映画でのオードリーはあまり美しく感じない(他の作品と比較してという意味だが)
アートディレクションが優れているのは冒頭のティファニー前でパンを食べるシーンと、宣伝用のスチール写真。この2つは映画の出来にかかわらず美しい。特にキセルを持って正面を見ているオードリーのアップ写真は古典となった。
以前からこのスチールを撮ったフォトグラファーが誰なのか気になっていて今回もクレジットをよくよく見ていたのだが表示されていない。ムービーのフランツ・プラナーはモノクロ時代からの名手ではあるがこのようなファッショナブルなスチールは撮れなかったはずだ。ご存知の方がおられたらご教示ください。
パパ活女子とヒモ男の恋愛映画
ちょっと退屈
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女優の卵のオードリーは破天荒な性格。
セレブな男との結婚を夢見て情報には目ざとい。
ある日同じアパートに三流小説家が引っ越して来る。
どっかのマダムに養われているこの男だったが、
何故かオードリーと惹かれあう。
が、金持ちと付き合うことになったオードリーは、
あっさりとそちらに気持ちが移ってしまう。
が、パーティーで警察沙汰を起こし、男は去っていく。
家柄とかそういうしょーもない事にこだわる男だったため、
そういうスキャンダル的なことは敬遠したのだった。
で、ここから予定通りの2人がくっついて終了。
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有名な映画だし、オードリーが出るので楽しみにしていたが、
何だかなあ。途中眠くてしょうがなかった。
シャレードがベタながらも結構面白かったので、
ベタなりに面白い内容を期待したが、単なるラブストーリーやし。
こういう内容はやっぱり苦手。
それにしても若い頃のオードリーは可愛いなあ。
オードリーを眺めてるだけで、映画の内容はどーでもよく思えて来る。
が、残念ながら配役が破天荒すぎてそうも言ってられんかった。
期待外れすぎた
まず相手役の存在感のなさ、良い印象もなければ悪い印象もない。
印象が無さすぎて翌日には忘れそう。
展開が急に変わったり意味がよくわからない場面がある。
玉の輿に乗りたい娘が売れない作家を躍らせ燥ぐ。
何と言うか60年ぐらい前のやまとなでしことでも言うか。
オードリー作品の中で双璧のローマとティファニーだけどオードリーの良さが全開で引き出せているシャレードがあまりにも良かったから幻滅した。
ただ町の風景とオードリーが歌うムーンリバーが良かったかな。
パパ活女子の改悛
ティファニーで朝食を、と言えばタイトルだけは知っているが、タイトル以外のことは知らなかった。
トルーマンカポーティの中編小説をブレイクエドワーズ監督が1961に映画化したものだが原作とは違う恋愛コメディになっていてオードリーヘプバーンやジョージペパードが出ている。
最初は明け方のニューヨーク。ムーンリバーがかかっている。聴いたことのある曲だがティファニーで朝食をの主題歌だそうだ。
タクシーを降りた瀟洒ないでたちの女がぶらぶらと歩いてきてティファニー宝石店のショーウィンドウを眺める。
テイクアウトの紙袋からクロワッサンみたいなのを取り出してかじる。続いてコップを取り出し蓋をあける。湯気が見えた。1961年にすでにスタバみたいな蓋付きの使い捨てコップがあることにやや驚いた。湯気のでるところへパンをディップしてまたかじる。
早暁とムーンリバーのたそがれ感。終わりみたいな始まり方で「ティファニーで朝食を」ははじまった。
ホリー・ゴライトリー(ヘプバーン)は今で言うパパ活をなりわいとして生きている。
明け方に帰宅して物音を立てるので、いつも上階に住む日本人の芸術家を激昂させる。上階の住人は「ユニヨシ」と言い、ミッキールーニーが演じている。
ユニヨシは大時代の日本人のカリカチュアまんまの人物で、みにくく出っ歯で黒丸メガネをかけている。
おぞましいほど間抜けで起床時はかならず提灯にあたまをぶつけ、歩けばかならずどこかへけつまづく。
『映画が公開された1961年当初は、ユニオシについては好意的な評価があったが、29年経った1990年にはやっと『ボストン・グローブ』が「攻撃的でゆがんだ民族描写」と批判した。1993年には『ロサンゼルス・デイリーニュース』も「攻撃的なステレオタイプであり、侮辱と傷をもたらした」と批判するなど、映画版ユニオシへの批判が相次ぐ。』
ウィキペディア「ユニオシ」より
かつての外国映画には東洋人を嘲弄的に描いた人物像がよくあった。顔の特徴となまりを強調する。
われわれもたとえば中国人を表現するときラーメンマンのような辮髪にして語尾に「~アルよ」とつけることがある。
個人的にはこれらのカリカチュアを「現在は無理になった無邪気な表現」ととらえている。たとえばピーターセラーズが扮したフーマンチューは滑稽極まりない中国人だが、こういった昔の表現は差別と言えば差別にちがいないが活動家でないなら「時代性」ということで溜飲しておくほうがいい。ただしティファニーで朝食をに憧れるなら、そこで日本人がどんなふうに描かれているか知っておいたほうが賢明だと思う。
アパートに朝帰りした彼女は引っ越してきたポール(ジョージペパード)に出会う。ポールは一応作家だが有閑マダムに身体を売っている。すなわちママ活を兼業している。
ポールは作家だと言い張りじっさいに書いてもいるがタイプライターにリボンがはいっていないことをホリーに指摘される。
ポールはカポーティの分身でありティファニーで朝食をはポール視点で書かれている。
ホリーとポールのふたりはなんとなく気が合いつるむようになる。パパ活女とママ活男だがふたりの間はプラトニックで兄妹のような安らぎがある。
金づるに会っていないときのふたりの日常は今で言うパリピ。アパートで騒いではユニヨシを逆上させる。
ホリーは金持ちと結婚することを望んでパパ活にいそしんでいるが、田舎者の出自を秘匿している。ポールはそれを知ってホリーの生き様に興味をそそられる。ホリーは謂わば玉の輿をねらって都会に出てきた田舎娘、その野心も行動理念も稚気にあふれている。ポールの中で興味深く面白い女だったホリー、それがやがて恋心に変容してゆく。
ホリーは田舎を捨て、都市的・物質的な充足と刺激を楽しんでいる。例えるならちやほやされ盛りの港区女子といったところ。都市はきらびやかで男たちは寄ってくるしわりと簡単にキャッシュを得られる。
有頂天な彼女はひとりの男を愛することに意義が見いだせない。
ポールは、風変わりだがノスタルジア(郷愁)を抱えている彼女の性根を見抜き、真剣に愛するようになり、ジゴロもやめて就職し愛を告白するが、ホリーは金持ちをを見つけたので南米へ行くと言い張る。
原作を読んでいないのでカポーティの言いたいことは解らない。が、映画「ティファニーで朝食を」はマテリアルガールが真実の愛に目覚める話といえる。
『この作品で清純派であるヘプバーンが清純でないホリーを演じたことで、映画の中の女性像をすっかり変えてしまった、アメリカ人の既存の価値観をことごとくひっくり返したと言われている。』
ウィキペディア「ティファニーで朝食を (映画)」より
imdb7.6、rottentomatoes88%と91%。
はじめて見たが特に思うところはなく自らの感性のすり減りを感じる結果となってしまった。
見ながら脳内リメイク。現代日本に置換しロマンポルノに改悪してみた。
女は東京に憧れ田舎から出てきたがホストにはまって大久保公園で立ちんぼをするようになる。
男はホストをやっていたが故郷(勝手に同郷という設定にした)の訛りを話す女の純粋さに惚れホストをやめ就職し女に告白する。が、女は歳の離れた男と愛人契約すると言い張る。
舞台は歌舞伎町、昭和ポルノ出身の巨匠が赤裸々な性描写を交えあの名作「ティファニーで朝食を」を現代日本でリメイク!
て需要あるかな。笑。
おしゃれ!
主人公が怖かった
本物のニセ物?
やはり、映画館で観て正解❗️
何回も観ていたが、午前十時の映画祭で
初めて観ることができた。
発見もいろいろ。
もちろん最初のシーン最高‼️
行儀は悪いが、
美しさ最高‼️
本作ジバンシイのドレスの中でもブラックが
多い。
ロングもミディもあり、腕出しデザインで
暗さどころか、シックゴージャスビューティに
まとまっている。
冒頭のファッションに長い煙管?のが一番
取り上げられているが、
ベージュシフォンリボンのブラックハットも
ファッション誌に掲載されている。
とにかくオシャレ番長❣️
初めて観たのは、中学生の時ぐらい?
『ローマの休日』とどっちが先だったか?
もちろんTVで。
『ローマの休日』は、ディズニーみたいなお姫様物語で子供でも理解できた。ただ、子供心に、王子様は、グレゴリー•ペック❓
カッコいいとは思うけど‥‥。
本作が難解だった。
ホリーが謎の女性で、なぜあんな所(ティファニー前)で食べているのか?
相手は、ポールらしいけど、おじさんが何人も出て来る。ポールもポールで、あの襟を立てた魔女みたいな黒コートの女性と?????
ティファニー自体知らない。後半で宝石屋さんとはわかるが、なぜ?
仕立てのいいオシャレな服を着ているのにオマケのリング?←どこで手に入れたかわかった。
ホリーの元亭主とポールが初対面でベンチで
話していた時食べていたお菓子のオマケだった。
本作でティファニーがさらに有名になった、と思うけど、あの店員役のおじさん、見事な接客。
だけど、現実にはいくらティファニーだろうと
あり得ない、買ってないので。
ティファニー宝石店、
ムーンライトセレナーデの曲、(ホリーも歌う)
綺麗なオードリー、
オードリーのヘアスタイル今やっている人、
よく見かける、
コスメの販売員の人たち、
オシャレでハイブランドのジバンシイの衣装、
ポール役のジョージ•ペパード
黒いHAT被ったオードリーも美しい、
ポールが見惚れて言うぐらい、
美しいものばかり出て来る中で、
トレードマークみたいな長い煙管、
アンクレット時計、
名無しのネコちゃん、
大勢でのパーティー?
日本語を喋る女性、
ブラジル風部屋飾り、
ティファニーで刻印頼んだオマケのリング、
とユニークなものも出て来る。
シリアスになりすぎないための演出かと。
また、管理人?の日本人風のユニヨシさん、
初めて見た時は、ビックリ‼️
日本人を嫌うというより、ホリーのハチャメチヤな生活を嫌がる几帳面な日本人という役割か。そんなに出っ歯に見えなかったし、
日本のおっちゃん、家でならあんなカッコやと
思う。寝る前やと思うけど。何回も見て気に
ならなくなったのか⁉️
昔の自分の記憶には残っておらず、
都合よく意味不明だったか、
田舎で夫を持ちながらそこの生活に嫌気がさし
家出して来て名前も変えて都会暮らし。
夫に見つかりつつも、戻ることなく
今の暮らしを続ける。
勝手だな、とは思う面と、
14歳で
父親みたいな夫で4人の子持ちの後妻に
ならないと
生きていけなかった過去を考えると、
逃げ出す気持ちはわかる。
結局、金持ちとの玉の輿を目論むコールガール
のホリーと、
金持ち夫人の不倫相手で稼ぎつつ売れない小説
を書くポールとが、
真実の愛の相手を見つけ成就するお話。
(余談)
•フレッドについて、TVだと弟、映画館だと兄。
•ポールが内ポケットから出すライターならぬ
マッチのパッケージがティファニーブルー。
•ネコちゃん、芸達者。
電報を見たホリーに投げられブラインドに
必死に掴まるシーン、ご苦労様❣️
ラスト辺りタクシーの中からホリーに
雨降りの外に放り出されるシーンご苦労様❣️
•ユニヨシさんについての発見、
ホリーに文句言いつつもその素敵さには
参っていた事実。
日本人風にしているけど一人部屋にいる時も
日本語一切喋らない。日本人ではない❣️
2024/5/9初めて劇場鑑賞
TOHOシネマなんば
伝説の代表的日本人ユニオシと名前はまだない猫
初鑑賞
原作未読
原作は『冷血』のトルーマン・カポーティ
監督は『ビクター/ビクトリア』のブレイク・エドワーズ
脚本は『七年目の浮気』のジョージ・アクセルロッド
61年の作品
舞台は43年のニューヨーク
ロマンチックコメディー
猫好きにはおすすめの映画
原作と映画ではラストが違うらしい
それまでとは全く違う役のオードリーとファッションを楽しむための映画
ファッション雑誌を映画にしたようもの
無粋なヤフーユーザー民には良さが理解できまい
主人公はコールガールのホリー・ゴライトリー
カポーティの母親がモデルになっている
この作品で清純派を脱却したオードリー・ヘップバーンだが原作者は彼女に起用に猛反対したらしい
役はコールガールだが特にこれといってエッチな場面はない
清純派を脱却しようと吉永小百合は『天国の駅』であれだけのことやったんだけどね
お相手役を演じたのはジョージ・ペパード
役どころはホリーが住むアパートに引っ越してきたばかりの作家志望の青年ポール・バージャック
ホリーがあんな感じだからお相手役の男はクールが定番
だいたいにしてさホリーがバスローブ姿でポールの部屋に侵入し上半身裸のポールがベッドにいる隣で寝そべってなにもないってどういうことだよ
あとホリーとポールがストリップ観に行ったのにストリッパーの肝心なところを披露しないなんて『カルメン、故郷に帰る』かよ
まあ61年の作品だからね
ストリッパーの裸を見たであろうホリーののリアクションは好き
ホリーと同じアパートに住んでいる写真家の日本人ユニオシは白人俳優ミッキー・ルーニーが演じている
ユニオシの名前は画家の国吉康雄から来てるらしいが眼鏡以外は共通点が乏しい
彼に関してよく言われることだが人種差別反対だとか上映禁止放送禁止にしろとかそういう連中とは自分は全く共感できない
出っ歯ならさんまのモノマネする人の方がもっとすごいし自分はそれを見て差別だと思ったことない
なぜ腹を立てるのか自分は理解できない
ディスク特典の『アジア人から見たユニオシ』を観ても同情できなかった
そう簡単に感化されてたまるか
差別を逆手に取って活躍した悪役レスラーのグレート・トーゴーの方が尊敬に値する
むしろ自分は木村花を自殺に追い込んだ人とかパヨクとか嫌韓とか原作厨とかフェミとか阪神ファンの方がよっぽど腹立たしい
コメディーなんだからいちいちうるせーよと思う
だってさもう60数年前の作品だよ
時代錯誤ってどっちって話だよ
ホリーとポールが10ドル予算でティファニーに買い物しようとするのが面白い
パーティーで老婦人の帽子に火がついちゃったのは笑える
昔とんねるずのみなさんのおかげですで石橋が被ってたコント用のズラに火がついているのを思い出した
田村正和のパロディで自宅が焼けた設定だったかな
ホリーが拾ってきて飼っている名無しの虎猫がいい味を出している
ホリーが部屋で暴れたときの猫が特に良い
ラストでは間に挟まれる稀なキスシーン
あと映画comは役名の微妙な間違いわりと多い
バージャックなのにバージャクだしヨニオシなのにヨニヨシになっているしどうなってるの
切ないわぁ
やっと観たけど、あんま良くない…
ムーン・リバーをまた聴きたい
優しくて哀しげな“ムーンリバー”
早朝の人もまばらなNYの街角
パンをかじりながらショーウィンドウを眺める美しい女性
もう全部が素敵!冒頭から惹き込まれました。
『ローマの休日』の可憐なプリンセスのオードリーは言うまでもありませんが、本作の奔放な自由人のオードリーもまた魅力的でした。
天真爛漫で男性達を翻弄しながらも、主人公ホリー自身は寂しげでいつも何かを探し求めている。訳ありな過去を持ち、セレブ男性との結婚を夢見つつも現実は…。
あてもなくさまよう姿が儚げで、こんなにも危なっかしくてチャーミングな女性がそばにいたらきっとポールじゃなくてもほっておけない。
どこか懐かしくて刺激的なNYの街並みも魅力的で、そこで彼女がようやく見つけた“私が私でいられる”場所にほっこりしました。
【今作の趣を高めているのは、ヘンリー・マンシーニの”ムーン・リバー”が、全編に使用されている事である。特に、オードリー・ヘプバーンが窓枠に座ってアコギで歌うシーンにはもう・・。】
ー 正直に記すが、今作をかなり前にBSで観た際には、変な日本人の存在を含めて、余り面白く感じなかった。
けれど、先週、仕事の移動時に聞いた”ムーン・リバー”の紹介時に、”オードリー・ヘプバーンさんの・・”と言うコメントを聞き、”ええっつ!、あのシーン吹き替えでなかったのか!”と驚き、会社帰りにレイトショーでドキュメンタリー作品の「AUDREY MORE THAN AN AICON」を鑑賞した。
「AUDREY MORE THAN AN AICON」はオードリー・ヘプバーンさんの幼き頃の不遇から、晩年の人道主義的で、利他的な行いまでキチンと描かれており、とても面白かったが、作品内では「ローマの休日」は当然度々描かれていたが、驚いたのは、今作の冒頭のオードリー・ヘプバーン演じるホリーが早朝、ティファニーの店の前で紙袋から出したクロワッサンを口にするシーン(趣ありきシーンであった。)や、彼の有名なホリーがラフな姿でアパートメントの窓枠に座ってアコースティックギターで”ムーン・リバー”を、儚げな声で歌うシーンと、そのシーンにまつわるエピソードなど、非常に面白く・・。(私は吹き替えだと思っていた。)久方振りに鑑賞した次第である。-
■内容は、巷間に流布しているので、割愛。
<トルーマン・カポーティの原作とは、トーンを変えて、制作した今作。
内容には言及しないが、今作の作品価値を高めているのは、矢張りオードリー・ヘプバーンさんの、細身で、チャーミングな演技と、それを支えるヘンリー・マンシーニの全編に流れる”ムーン・リバー”の美しき調べとの、絶妙なシンクロ具合だなあ・・、と久方振りに鑑賞して思った作品である。
映画って、観る側の状況変化で、感想が変わる事を再認識した作品でもありました。>
ティファニーに朝食売ってなかった(笑)
名作だけど見たことないやつをこの齢になってようやく視聴。タイトルからイメージしてたのと全然違った。ティファニーには朝食売ってなかった(そりゃそうだ宝石店だもの、でも調べたら2017年にカフェがオープンして朝食食べられるようになったらしい)。
ストーリーはローマの休日の逆バージョンというか、貧乏の中に真実の愛を見つけるというまあありきたりな内容。オードリー・ヘップバーンの役どころは金持ち狙いの娼婦という…ローマの休日のころの天真爛漫な感じのほうが好きだったな…でもこの時点でヘップバーン30代だし段々役どころが変わってく時期なんだろうねと。
見どころは最後のムーン・リバー(事実上ムーン・リバーのMV)とヘップバーンのファッションくらいかなあ。
オードリーよりも茶トラ猫❗️という人がいるかもしれません
本日午前に、ほぼ満席の日比谷シャンテで『オードリー』観てきましたが、実は、彼女主演の映画は『ローマの休日』『マイフェアレディ』しか観てなかったのです。
なんだか今さらながらの贖罪のような心持ちでDVDを借りて帰宅しました。
ニューヨークの社交界(の、ごくほんの一部)の雰囲気を味わいつつも、この頃にはまだ〝リメンバー❗️パールハーバー‼️〟という日本人への憎悪が残ってたんだ、という複雑な思いとともに鑑賞することになりました。
(ユニヨシという日系人カメラマンが登場するのですが、典型的なメガネ出っ歯のメイクでやたら短気)
オードリーの美しさは語るまでもないのですが、名無しの茶トラ猫くんの演技が最高でした。
アカデミー助演(オスメス不詳なので)脇役賞モノ‼️
ラストの茶トラ猫くんを挟んでのキスシーンは、初めて見る新鮮さ。意外にも以降の映画でも、そんなにオマージュというか再現とかされてきてないのかな?
とってつけたような窓際でのギター弾き語りによるムーンリバー。とてもいい表情でした。カットされなくて良かったです(午前中の映画の中で、プロデューサーがカットしようとしたのをオードリーが猛烈に抗議してやめさせた、という話がありました)。
テキサスの獣医兼農業の優しい夫が2回も言ってました。
骨と皮だけになって…
それでもNYで生きていくことを彼女が選ぶ精神性はどうして成り立つのか。
実はそこに深い問いかけのある映画なのかもしれないですね。
雨降って「身を固める」
本作は誰もは一度は耳にしたことのある名曲「ムーン・リバー」を主題歌に
オードリー・ヘップバーン演じる「気まぐれ猫娘」"ホリー”と
ジョージ・ペパード演じる「売れなくなった」元天才作家‶フレッド”との王道ラブストーリーである。
ホリーはその作家に実の兄を重ね、フレッドはホリーの「奇天烈さ」に惹かれていく。
そして、そんなホリーからインスピレーションを得たフレッドはまた作家として歩みだす。
一方、ホリーは物語を通してふらふらと彷徨い「ネズミ」捕りをしては周りを振り回し、また周りの男たちに振り回されていく。
最後は作家として大成し、また勇気を取り戻したフレッドにより
ホリーは「檻」の中から解放される。
もちろん、今度は「首輪」なんかではなく
二人で初めて入ったティファニーで買った「お菓子のおまけの指輪」をつけて
それにしても物語の「カギ」となるその指輪を提供したティファニーのおじさんは粋だったな。
あれが本当の「売らない百貨店」でしょ?
今度はその「カギ」を無くさないでくれと見守りたくなる二人である。
粋なタイトル
粋なことをしてくれるティファニー本店
怪しいパパ活で日銭を稼ぐホリーと、お金持ち女性に囲われて暮らす小説家志望のポールのラブストーリー。
赤色が苦手とか、悪夢にうなされたりなど、うっすらPTSDのような症状があるものの、人懐っこくていつも明るいホリーの、隠している真実ー飢えた孤児の状態で拾われて若くして拾ってくれた人と結婚し、その夫と子供を置いて出奔してきていることーが分かり、夫に帰れないことを告げる場面が切なかった。
何も分からないうちに結婚したがある日、夫に大切にされていてもテキサスのようなど田舎の一家庭内で一生を終えるのは、籠の鳥と同じだと気づいてしまったのだろう。自由に飛んでみたい。都会で華やかに暮らしてみたい。ホリーは束縛される愛しか知らなかった。
「愛し合うことは互いに相手のものになること。」
でも、受け身ではなくて、自分から相手のものになる、単純な束縛ではない愛に目覚めることができ、直ぐにポール追いかけることができたホリーは幸いだった。
ひとまずw大団円。
オードリー32才。とても可愛いかった。
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