沈黙は金
劇場公開日:1950年1月17日
解説
「巴里祭」「自由を我等に」「焔の女」のルネ・クレールが、一九四六年フランスにおいて、パテ・シネマと米国RKOラジオ協同作品として原作脚色監督製作したもので、「シュヴァリエの流行児」以来約十年スクリーンを遠ざかっていたモーリス・シュヴァリエが主演している。助演は「乙女の星」「最初の舞踏会」のフランソワ・ペリエ、クレールが二百名の新人中からばってきしたマルセル・デリアンを始め、同じく新人ダニー・ロバン、クレール映画の端役の常連レイモン・コルディ及びポール・オリヴィエ、その他ロベール・ピザーニ、ローラン・アルモンテル等である。なお撮影は「犯罪河岸」「弾痕」のアルマン・ティラール、音楽は「最初の舞踏会」「奥様は唄に首ったけ」のジョルジュ・ヴァン・パリスが作曲、セットはレオン・バルサックの装置で一九〇六年当時のパリ市街、サイレント映画撮影所、ミュージック・ホール、映画館などが再現された。
1946年製作/フランス
原題または英題:Le Silence-est d'Or
配給:SEF=東宝
劇場公開日:1950年1月17日
ストーリー
活動写真というものが、パリでもまだ大変めずらしい見世物であったころ、シネマトグラフ・フォルチュナと名のる撮影所があった。その昔は二枚目役者であったエミールは、この撮影所では所長であり、プロデューサーであり、監督であった。彼女を父親のように敬愛している青年ジャックは、二枚目であり、監督助手であり、大道具係でもあり、大事な使者の役も勤める。ところがジャックは女にほれっぽいくせに振られてばかりしているので、女を口説くのではパリ第一とうぬぼれているエミールに、女を手に入れる方法を教わる。教わってもジャックの手からは、女はスリルと逃げるばかりだ。エミールは女をまじめに扱うなというのが主義で、そのせいか女に不自由はしないが、妻も子もない独身である。ある夜帰宅すると、田舎娘が彼を待っていた。マドレーヌという可愛い娘で、エミールの旧友の今も寄席芸人をしているセレスタンの娘である。パリに興行で来ている父を訪ねて来たのだが、もう旅まわりに出て、いまどこの町にいるかわからない、何とか探すことは出来ないかと、エミールを頼って来た次第である。そいつは無理だと断ったが、うぶな娘を一人ほっといては危いので、その夜は泊めてやった。彼女の母の写真が真剣に愛したただひとりの女の忘れ形見が、このマドレーヌとすれば急にいとしくなって来た。やっと父の旅先がわかったが、浮草のような稼業の父は娘がじゃまであった。というのは相手役の女優と出来ていて、女がマドレーヌにじゃけんなのである。それやこれやでエミールは、やむなく彼女の後見人の形となった。遊ばせてもおけないので、アラビヤの王女の役を彼女に演らせることにした。エミールの用で旅に出ていたジャックは、帰って来てマドレーヌに一目ほれして了う。彼女の方でも憎からぬ風情である。所がマドレーヌにだけは指もふれてはならぬ、というエミールのきついお達しが撮影所には出ているので、ジャックがマドレーヌに近よることは、所員一同が目を光らせていて許さない。若い二人はひけてからパリの街で会った。エミールはジャックの恋人がマドレーヌだとは知らず、激励する。ところがエミールが彼女を心ひそかに愛していると知ったジャックは、主人に恋をゆずろうとする。しかし彼女はエミールにそんな愛はみじんもない。マドレーヌといい争ったエミールは、彼の許を家出するのを止めようとしなかったが、年甲斐もない己のふるまいを反省すると、彼女とジャックの結びの神となることとなった。東洋の某国の王様が、フランス大統領ファリエールと同道で、フォルチュナ撮影所にお出ましの日、エミールはジャックとマドレーヌの恋の悲劇を監督した。悲劇が王様のお気に召さぬので、エミールはハッピー・エンドに変えた。ハッピー・エンドはパリの映画館でも好評だ。それをきっかけにエミールは見物の美人を口説き始めるのだった。
スタッフ・キャスト
- 監督
- ルネ・クレール
- 脚色
- ルネ・クレール
- 原作
- ルネ・クレール
- 製作
- ルネ・クレール
- 撮影
- アルマン・ティラール
- セット
- レオン・バルザック
- 衣装デザイン
- クリスチャン・ディオール
- 作曲
- ジョルジュ・バン・パリス
- アソシエイト・プロデューサー
- ロバート・ピロッシュ