タブウ(1931)
解説
「サンライズ」「都会の女」のF・W・ムルナウが「モアナ」のロバート・フラハティと協力して組み立てたストーリーを基にして自ら監督、製作にあたった映画である。南太平洋ポリネシア諸島の一部がロケーション地となり、フロイド・クロスビーが撮影を担任、出演者は少数のハーフと中国人を除く他はすべてポリネシア人。ヒューゴー・ライゼンフェルト選曲による伴奏が後に録音された。ちなみにこの映画完成後、製作者ムルナウは奇禍に遭遇してカリフォルニアに物故した。ゆえにこれは彼の遺作となったわけである。
1931年製作/アメリカ
原題または英題:Tabu
ストーリー
遥けき南の海にポリネシア人の住む楽園がある。都邑の息吹も波のうねりに消え失せる。南の海のボラボラの小島にポリネシア人は住んでいた。ヤシの高楼でポリネシア人がまどろむ頃、ヤシの高楼の棟つづきで、若者のマタヒと乙女のリレはヤシのバンジョがかき鳴らすボラボラの小島の唄に酔いしれる。ボラボラの小島の楽園は男女の恋を日ごとやさしく育んでやる。けれど―楽園には楽園の戒めがある。神の選び給うもの、それはタブウ(戒律)である。男は手を触れることも欲望の眼を放つさえも許されない。タブウを破る者は神の御名により殺される。1日、神の使者ヒトゥーがボラボラの小島に来て、その徳、その美、その王の血筋ひとつだにレリを神に仕える聖なる乙女に選んでより、男女の恋はあえなくなり果てた。娘を持つ親はみなレリを羨みボラボラの小島に祝典のたいこが響く。祝典の太鼓をもの悲しく聞く者はマタヒとレリだった。レリはマタヒを思い、マタヒはレリを怨む、男女の恋は今は断たれぬ炎に燃えさかる。タブウを破るものは神の御名により殺される。けれど、その夜タブウは破られた。レリはマタヒに盗まれた。破戒の罰を逃れ、恋の潮にのって古き神にはすでに忘れられた白人の貿易港にたどり着いた男女は夢のような愛の幾日を楽しんだ。けれど間もなくここにも追ってが来るだろう。いや追ってはすでに迫っている。神の使者ヒトゥーより、3日の中にレリが帰らねばマタヒは殺される、と言う警告が届いている。1日も早くここも去らねばならぬ。明日パピート行きの船がでる、それに乗って古き神より去り自由の天地に逃れねばならぬ。船に乗るには金が要る。真珠のある珊瑚はタブウ(戒律)だけれど今のマタヒにはそれどこより真珠を取って金に換えるより他に途がない。一夜眠れるマタヒを殺さんとするヒトゥーの姿を見てレリは逃れ得られぬタブウの恐ろしさにわなないた。愛するマタヒを殺すにしのびない。マタヒを助けるには恋を諦めてタブウの地へレリは帰らねばならぬ。潮を含んで鮫と戦ってまでマタヒが真珠を取っている、小暗き夜―ーレリは愛と涙を手紙に残してヒトゥーに連れられて行く。レリの手紙はタブウの恐ろしさよりマタヒの愛を煽るばかり、レリを取り替えさねばならぬ。渚を渡り、岬を越え、泳ぎ泳いでレリの船にたどり着いたけれど取り繕ったマタヒの網はヒトゥーに断たれてしまう。黒い海は力の尽きたマタヒを飲んでしまう。タブウを破ったマタヒは神の御名により殺された。小暗き海を、レリを乗せて白帆の船は遠のいていく。何も知らないレリは今も想いをマタヒの上に投げていることだろう。
スタッフ・キャスト
- 監督
- F・W・ムルナウ
- 原作
- F・W・ムルナウ
- ロバート・フラハティ
- 撮影
- フロイド・クロスビー
- 音楽
- ヒューゴー・ライゼンフェルト
- 録音
- R・C・Aフォトフォン
受賞歴
第4回 アカデミー賞(1931年)
受賞
撮影賞 | フロイド・クロスビー |
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