打撃王
劇場公開日:1949年3月8日
解説
連続2130回の試合に出場して「鉄人」といわれた野球選手ルー・ゲーリッグの1代記映画で「オペラ・ハット」「モロッコ」のゲイリー・クーバーが主演するサミュエル・ゴールドウイン1942年作品。ストーリーは作家のボール・ガリコが書きおろし「西部を駆ける恋」のジョー・スワーリングと「クリスマスの休暇」のハーマン・J・マンキーウィッツが協力脚色し「恋愛手帖」「嵐の青春」のサム・ウッドが監督し「南部の人」「孔雀夫人(1936)」のルドルフ・マテが撮影した。主役クーパーの相手は、「我等の生涯の最良の年」のテレサ・ライトで先ごろ故人となったベーブ・ルースを始め、ビル・ディッキー、ロバート・ミューゼル、マーク・ケーニッヒ、ビル・スターン等ヤンキース・チームの名手が自ら出演する。
1942年製作/128分/アメリカ
原題または英題:The Pride of the Yankees
劇場公開日:1949年3月8日
ストーリー
ニューヨーク市の貧民街に生まれたるー・ゲーリッグは、11歳の少年のころから大リーグ野球選手になりたいと思っていた。しかし彼の母はコロムビア大学の寄宿のコックをしていて、息子を偉い機械技師にするために勉強させたがった。ゲーリッグは給仕をして苦学し、コロムビア大学に進み、蹴球チームのフルバック、野球チームのピッチャーとして活闘した。大学では金持ちの子弟のある者は貧しい苦学生のゲーリッグを嘲弄したが、彼は毅然として屈しなかった。ある新聞のスポーツ記者サム・ブレイクは、ゲーリッグの素質を認めて、ニュー・ヨーク・ヤンキースの監督ミラー・ヒギンスに紹介しようといったが、彼はかつがれてると思ってブレイクを追い払った。しかし彼の言は真実でゲーリッグはヒギンスに契約され、ハートフォードで本格的に野球技を仕込まれることとなった。母は彼がハーヴァード大学の機械科で勉強していると信じているので、彼の週給25ドルは、父が政界で得ている報酬という事にしなければならなかった。23年間小リーグ生活をした後、ゲーリッグはヤンキースに迎えられ、彼の母もついに息子が野球選手であることを知ったが、ゲーリッグがたちまち人気スターとなったので、彼女は熱心な野球ファンになった。シカゴでホワイト・ソックスとの試合中、ウォーリー・ピップが登場したので、ヒギンスはゲーリッグを代わりに出した。興奮した彼はグラウンドに置き並べてあるバットにつまづいて転んだ。観衆の1人の女が鳥もち足と野次ると、全スタンドがそれに和して野次った。その夜ゲーリッグはその先頭を取った美人と会って恋におちた。それから数ヵ月後ゲーリッグは、彼女エリナー・ツウィッチェルに愛を告白した。その年ヤンキースはセント・ルイス・カーヂナルスと、世界野球選手権試合を戦い、ゲーリッグはホームラン2本飛ばして、ベープ・ルースに打ち勝った。試合後彼はラヴという1語の電報を受取った。すぐさまシカゴに急行したゲーリッグは、就寝中のエリナーをたたき起こして求婚した。そして2人は結婚し、ゲーリッグは連続2千回試合に出場した。この大記録を打ち立てたゲーリッグは国家的英雄の1人であった。春の練習中彼はスランプに陥っていることとを自覚して辞職した。2130回連続出場した鉄人ゲーリッグも、小児マヒには勝てず、自らアウトを宣告しなければならなかったのである。1939年7月4日、ヤンキー・スタジアムには6万2千名の野球ファンが集まり「ルー・ゲーリッグの日」を催してゲーリッグ多年の功績を称賛した。彼は感泣しながら、私は不運などころか、今日は地球上で第1の好運児ですと言って、ファンに感謝した。
スタッフ・キャスト
- 監督
- サム・ウッド
- 脚色
- ジョー・スワーリング
- ハーマン・J・マンキウィッツ
- 原作
- ポール・ギャリコ
- 製作
- サミュエル・ゴールドウィン
- 撮影
- ルドルフ・マテ
- 音楽
- リー・ハーライン
受賞歴
第15回 アカデミー賞(1943年)
受賞
編集賞 | ダニエル・マンデル |
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ノミネート
作品賞 | |
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男優賞 | ゲイリー・クーパー |
女優賞 | テレサ・ライト |
原案賞 | ポール・ギャリコ |
脚色賞 | ジョー・スワーリング ハーマン・J・マンキウィッツ |
撮影賞(白黒) | ルドルフ・マテ |
作曲賞(ドラマ/コメディ) | リー・ハーライン |
美術賞(白黒) | |
特殊効果賞 | |
音響録音賞 |