タクシードライバーのレビュー・感想・評価
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駆け巡る、走馬灯のような
オープニングからラストまで
駆け巡る、走馬灯のような映画。
よく議論になるラストシーンは、
私の見解ですが、トラビスの死に際に見た幻なのでしょうね。
皮肉な形であれ、どうあれ、
彼の潜在的な理想が形になることなど、あり得ない
叶えてしまったら、あの映画のテーマに背くことになってしまう気がしますね。
首を撃たれた時点で彼はもう死んでいて
そのあとはすべて、幻だと思います。
下手をすれば撃たれたあとは、すべて幻なのかも
そうなれば、彼はただの押し入り強盗、殺人を犯した犯罪者ですよね。
店を襲い、そのまま何事もなかったかのように処理された
あの強盗のように、なにも残さずに終わるだけのこと
仮に指のピストルで自殺まで出来たとしたら、彼にしたら上出来なのではないでしょうかね。
それ以降の栄光や名声など、臨むべくもなく
それすらも、トラビスにはうまく想像できなかったような気がしますね。
新聞に取り上げられるが、それ以上のイメージが彼の中にないから、形になってこない。
アイリスの両親の顔が出てこないこと(見たことがないから)も含め
彼の髪型含め、表情も肉体も精神も「あの頃」のままで
彼女に振り向かないというのが、彼の死に際にまで見た理想だったのでしょう。
最近はこのような、結末や展開を観客に委ねる作品が少なくなりましたね。
わかりやすい答えを求める観客が増えた所為と
商業主義的に結末まで編集できるようになってしまったからでしょう。
こういった名画に類する作品は貴重だし、今後更に稀少になってゆくのでしょう。
美しい映画です。
事実と作り話が半分半分の歩く矛盾。この映画は預言者か、はたまた麻薬の売人か。
ベトナム帰還兵の青年トラヴィスの抱える孤独と苦悩、それにより引き起こされる暴走を描くクライム・サスペンス。
監督は『ミーン・ストリート』の、後に伝説的映画監督となるマーティン・スコセッシ。
主人公トラヴィスを演じるのは、『ミーン・ストリート』に続きスコセッシと2度目のタッグを組んだレジェンド俳優ロバート・デ・ニーロ。
13歳の娼婦アイリスを演じたのは子役時代の、後のオスカー女優ジョディ・フォスター。
スコセッシ監督自身もタクシーの乗客としてカメオ出演している。
👑受賞歴👑
・第29回 カンヌ国際映画祭…パルム・ドールを受賞!
・第2回 ロサンゼルス映画批評家協会賞において、ロバート・デ・ニーロが主演男優賞を、バーナード・ハーマンが作曲賞を受賞。
・第19回 ブルーリボン賞…外国映画賞を受賞!
人間の内面に迫ろうとする、芸術的かつ純文学的映画。
そのため、デ・ニーロが大暴れするアクション映画だと思って鑑賞すると肩透かしを食うことになるだろう。
アメリカン・ニューシネマに属する作品であり、他の作品同様に暗くて残酷で娯楽的ではない。
しかし、最終的に英雄として迎え入れられるところは他のアメリカン・ニューシネマとは一線を画すところか。
くしくも同年の作品『ロッキー』も、アメリカン・ニューシネマの香りを残しつつ、観客に希望を与えるという新しいムーヴメントを興した事を考えると1976年というのはハリウッドにおいての一つの変革期といえるのかもしれない。
作中でトラヴィスに向けて放たれるセリフ「事実と作り話が半分半分の歩く矛盾」というのは非常に的を射ている。
彼は欺瞞と悪徳の満ちるニューヨークに嫌気が差しており、この街を出て別のことをしたいという欲求を持っている。
しかし、実際にはタクシードライバーとして、彼が悪と捉えている人間を運ぶという仕事に従事している。
政治に無関心ながら、惚れた女が支持している議員には賛同を示す。
また、ふられた腹いせにテロを画策するが、その一方で売春に身を落とす少女のことを本気で救い出そうとする清き心も持つ。
ポルノ映画を好み、暴力に関心を示す一方で、銃器を鏡の前で構えて喜ぶという幼児性も持ち合わせている。
この矛盾している様にも思える多面性こそが人間の本質なのではないだろうか?
トラヴィスが特別なのではなく、誰の心にも存在する普遍的な心の闇をこの映画は描き出そうとしているのではないか?
また、この「事実と作り話が半分半分」という部分が非常に重要だと思う。
これは映画の構成を説明している部分ではないか?
映画の終盤になり、この物語は大きく動き出すが、果たしてモヒカンにしてからの彼の行動は本当に真実か?
鏡の前で銃を取り出し、子供の様に戯れる彼に、あれだけのことを為し得ることができるのか?
仮にあれが真実だとして、売春宿での銃撃戦の後のシークエンスはどうも物語的に繋がっていない様に思える。
あの部分は真実か?それとも死の淵で彼が見た走馬灯か?
解釈は観客に委ねられている。
この映画でのトラヴィスの行為は、人間の本質を鋭く貫いた託宣か。それとも、レーガン大統領暗殺未遂事件を引き起こした様に、観るものを狂わせんとする麻薬の如き毒物か…。
これも観客がどう捉えるかによっている。この映画のクライマックスの様に。
皮肉さとミラー
ミラー越しの顔ってなんであんなセクシーなんでしょう。
途中からとんでもない厨二病だし、内気で自惚れ屋のくせにリアルはタクシードライバーだし…
ブルーワーカー。アメリカ社会のリアリティとしての一面は私は好きでした。厨二病描写も共感できます。誰だってヒーローになりたいものです。何かを変えるためにマグナムを買うというところもぶっ飛んでて好きです。
気になった少女を助け出すと弱いものには見栄を張るけど、候補者の暗殺は断念する決意の弱さ。そんな自分を突きつけられて闇雲に振るった拳が、誰かの正義にたまたま拾われた。彼は表面的には望んだヒーローになれたわけですが、本心はどうなんでしょうか…
休日の昼間に、ホームパーティーとかで流し見したい作品ですね
変な人だけど共感
不眠症でタクシー運転手になったトラビスは真面目だけど変な人。自分は共感するところがたくさんある。
ここが変な人
彼はNYの街に不満を感じている。ごみごみした騒がしい街、コールガールヤクザ、水溜り、ドライバー詰所の退屈な会話にもうんざりしている。一目惚れしたイケてる女子を窓から覗いてる。いきなり告白する。せっかくの映画デートでポルノ映画を選ぶ。振られたら突然、銃を買う、筋トレする、仕込みナイフとか訓練するストイックぶり。銃を練習中の1人芝居も気狂いじみている、でもわかる。自宅のTVを壊してしまう。親への手紙や女の子には自分は政府の仕事をしていると嘘をつく。突然のモヒカンにグラサン。何故か無計画に大統領候補を暗殺しようとする。すぐ気付かれてあっさりと逃げる。そしてその後、ある行動に出る。
共感してしまう
一見普通の人、でも何を考えているのか分からない、自分はこの街にやらせない不満がある。彼は孤独な人。夜のダークな雰囲気にも、昼のリア充にもなじめない、自分はこの世界を何か変えたい。自分も変わろうとしている。存在を示したい。これは誰にでも当てはまることだし、いきなり行動的になる不器用なところも、思い通りにならないで戸惑うところも共通する。映画のトラビスのふるまいを客観的に見て、感じることがたくさんある。行動することの勇気を学ぶことができる。ただやってることは無茶苦茶なんだけど。
音楽がずっとステキ。じわーっとした雰囲気がいい。車の中から社会を見ている時の時間の流れ方がモヤモヤした雰囲気を醸し出す。後半のアクションが急激に始まり、たまらない迫力がある。
この映画は鑑賞後にモヤモヤとした感情が残るとても強い映画だった。
結果的にヒーローになった、されたけど、本質はただのいかれた野郎。 ...
結果的にヒーローになった、されたけど、本質はただのいかれた野郎。
候補をやってれば大罪人だったし、相手次第で狂人が悪人にもヒーローにもなる。
トラヴィスが世間からズレていて少しおかしいということを理解して観ないとこの映画が何なのか理解するのは難しい。
いきすぎた正義感というかサイコパスというか。
終盤まではのんびりとした映画なのに終盤いきなりバイオレンスで驚いた。
BGMが非常によかった。
アイリスもべツィもかわいかった。
時代を超えた作品。圧巻
ジョーカーみたらタクシードライバーを思い出して
何十年ぶりの鑑賞。
荒廃した街で、戦争のPTSDにに苦しみながら生活するトラヴィスは娼婦や売人、黒人を馬鹿にしながらも彼らを客として日銭を稼ぐタクシードライバーの生活をしている。
その矛盾の中で、自分は彼らより上だと思いたいけれど
選挙事務所で働くベッツィからはあっさりと振られてしまう。
開き直って落ちることも這い上がることもできないトラヴィス。
ひょんな事から強盗を撃ち殺したり、麻薬捜査官に間違えられて『正義』でいる事の快感を覚える。
モヒカンにアーミー系のジャケットを羽織りナチのような出で立ちになりベッツィの応援する政治家を撃ち殺すことで
ベッツィへの恨みをはらし、彼の政治を反対する事の正義を貫こうとするが失敗。
そのまま、12歳で娼婦のアイリスを救いにいく。
結果、少女を救った英雄として扱われるが
万が一、政治家を撃ち殺すほうが成功していたら
彼は異常者、犯罪者の扱いだった。
英雄と犯罪者は紙一重
娼婦と真面目な学生も紙一重
大統領になるだろう男は一歩間違えたら撃ち殺されていた
しがないタクシードライバーが英雄になる事もある。
そんな、社会の価値観を根底から揺さぶる映画
トラヴィスは一時的に英雄になり
満足そうだけれどまたいつか『何か』を起こし
今度は英雄か犯罪者か。わからぬ不適な笑みを浮かべるラスト。
すごいなー。
難しい
ベトナム戦争後の70年代アメリカの恐らく退廃的な雰囲気等が実感にないと理解が難しい。
音楽やアングル、ロバートデニーロとジョディフォスターの演技等、トータルで見て後世にオマージュされるだけの格好良い映画だとは思うが、面白いとは思えなかった。
ちょっと時代を感じさせるこの映画のどこがいいかって?
この映画が名作として名を残しているのは、狂気を描き、みごとに描き切れている点です。
この映画に拒否反応を示す人は、そこが受け入れられないのでしょう。
普通、映画は正義を描き、そこに共感を生み出します。たとえ任侠ものであっても、義理や人情というある意味もっともプリミティブな価値のために、自己犠牲すらはらう正義に憧れさえ誘うのです。
でも、この映画は違う。倒錯、異常、狂気。それを、こんな形で、映像として描けるんだ、描いていいんだ、と10代半ばで初めてこれを見た私は、ブッ跳んだ記憶があります。
もちろん、狂気を単に狂気として、つまり、あっちの世界に行ってしまった人として描けば、それは理解されない。でも、こっちの世界へたぐり寄せすぎれば、それは狂気ではなくなる。きわどい線を、離れ業で描いてこそ映画になる。
マグナム44を小道具としてクールに描き、商業映画として成功させたのが、この映画です。
そして、約40年の月日を経て再び見て、その驚きにまちがいがなかったことが実感できました。
狂っているのは、トラビスだけではありません。狂った殺人を犯したトラビスを、ヒーローとして誉めそやすマスコミ。麻薬、売春、殺人、強盗・・・、犯罪に満ちあふれた社会。ニューヨークが、すでに狂っている。
そもそも、トラビスの狂気は、どうして生まれたのか。
貧困に生まれ育ち、学はなく、海兵隊としてベトナムで闘い、PTSDを背負い込む。コミュニケーションを上手くとれず、人から理解されず、常識や人の気持ちを理解できない。それでも、なおかつベトナム戦争におけるアメリカの正義を信じ続けている。だから、ニューヨークの堕落を、不正義を憎んでいる。
まさに、狂ったトラビスこそが、被害者に違いない。そこに、狂気へのいくばくかの共感が生まれる。その点は、時代を共有していないと理解できない点かも知れません。
事件後に、ベッツィがトラビスに会いに来る。トラビスには穏やかな笑顔が。
それは、唯一の救いです。
でも、何も変わらない。孤独。貧困。ニューヨークの狂気。
きらびやかなネオンサイン、都会の夜に似合うサックスの音色、それらとの対比が格差を際立たせます。
そして、トラビスは、何事もなかったかのように、夜の光の中に吸い込まれていく。ニューヨークも、何も変わらない。そうしてニューヨークは、狂気を飲み込みつづける。
この映画が、あたかも今の時代を反映しているかのようでもあり、そして、後の映画界に影響を与え続けている、その事実の一端が少しでも伝われば、と思います。
Sometimes Sweet Susan
この映画でないと味わえない独特な雰囲気に酔う。タクシーのガラスとバックミラーが交錯する夜のニューヨーク。サックスが彩る。
デニーロの演技の数々が焼き付く。ラストの銃撃戦での首に銃弾を食らってからの彼の動きに狂気が満ちる。
バラバラになった70年代の鬱屈感。しらけ世代。個人が暴走する。これを英雄として受け取ってしまう社会の渇き。後年までこの価値観は延伸される。
ようやく見れたデニーロとスコセッシの出世作
名作には違いないが問題作だった。
昔の友人は本作を、大変気に入っていたなあ。
1976 ニューヨーク公開
ベトナム帰りの元海兵隊トラビス・ビックルについての映画。ただし戦争についての描写は入社面談の時の上司との会話以外、全くない。回想もない。不眠症で、夜、頭と目が冴えてしまうのかもしれない。客に頼まれればどこへでも行くと言う。
しかしアイリスとの会話で、ヒッピーたちの集まるコミューンに行くのは嫌だと言ったので、彼らと付き合うのは苦手なのだろう。
ハーベイ・カイテル演じるスポーツとは、そりが合わない設定。街中でトラビスのタクシーに乗り込んできたアイリスを外へ強引に引き戻した男。二度目の出会いで、彼と会話する。しかしいくら気に食わないとはいえ、たった三度目で撃ち殺してしまうというのは、狂気の沙汰だ。普段から目にしていたのかもしれないが。ある日、モヒカン刈りになった彼は、この哀れな小さな売春宿の三人を次々と撃ち殺す。そして自分も傷つく。元海兵隊がたった一人で民間人と闘う。この少女を彼らの手から救い出すために。
映画のラストではアイリスの両親から感謝状をもらう。仕事に復帰したトラビスを訪ねて、ベッツィがタクシーに乗り込んでくるが、話はしない。
トラビスは、殺人罪や銃の不法所持で裁かれなかったのか。アイリスは、数年後どうなったか。事件後トラビスの不眠症は治ったのか、トラビス自体は、タクシードライバーを続けていったのかなど色々考えてしまう。
忖度なしの評価(曲解、忖度の嵐の評価を見て)
映画の評価はそれぞれみた人によって曲解されたり、忖度の上で行われている。
シンプルに「その映画のみの評価はどうなのか?」という点を考えると内容自体はどうなのだろうかと思う。
音楽が、今でも古くない、ジョーカーと被る、などなど、他の評価は忖度、曲解の巣窟であり、
この映画単体に対しての評価ではない。
たった一回の無茶ではなく、日々の努力の積み重ねでHEROになりましょう。
説教する前にあなたが頑張りましょう。
としか思えなかった。
ジョーカーの原材料、的な!
山田玲司さん宇多丸さんの解説聞いて鑑賞
なるほど、
ジョーカーとかぶるシーンがあちらこちらに
DCコミックのジョーカーという世界観・キャラクター設定に、タクシードライバーとキングオブコメディを混ぜると、映画「ジョーカー」が9割は出来上がる
主人公がクライマックスにソファーで自分のこめかみに人差し指を突きつけるシーンなんて、ジョーカーのエレベーターのシーンまんまでゾクゾクした
タイムリーなところだと、タランティーノの「ワンハリ」もかなり影響受けてるよね。
コミューンに誘われるとこや、クライマックス の狂気なんてまさにそれだし、
大統領候補のボディーガードが、ブラッドピットにしか見えない!笑
あと、シビルシェパード美しかったなぁ、、
ロバートデニーロ
若い。そしてかっこいい。俺はこんなんじゃないはずっていう厨二病な感じから狂気への移行。jokerと通じるものあるしjokerにデニーロが出演していたのも何かを感じさせます。
不朽の名作
名作と名高い本作品、いつもレンタルしてはほかの映画の優先度ラストとなり時間がなく途中まで見てあまり面白いと感じず返却していたが、映画ジョーカーを見た後で影響を受けている作品ということでようやくラストまで鑑賞となった。
内容的には女を口説いてポルノ映画へ連れて行ったり謎に大統領候補の暗殺計画や、妙な正義感で売春業者壊滅、モヒカン、妄想などある意味狂気じみていた。
そこにムーディーなBGMが流れて味のある映画に仕上がっていました。
若き日のジョディフォスターはとても可愛いです。
嫌われてた女もヒーロー化したロバートデニーロに恋心?
ミラー越しの流し目からのエンディングロールのセンスのよさに鳥肌が立った。
モヒカンにサングラス
いかにもな出で立ちで暗殺なんて。。。
社会に色々な不満が鬱積するも暗殺失敗。
ギャングを撃ち殺して英雄に!
前にも何度か観てあまりよく理解できなかった。
ジョーカーを観てからタクシードライバーが検索に上がるので再度観てみた。ちょっと構成が似ている。
レトロでムーディーなBGMよかった。
狂気
主人公も狂気だし、社会も狂気。
孤独に満ち、不眠が進むと、誰しも可能性があるのでは…
ロバートデニーロかっこいい。
ゆっくりと背景を写すカメラワーク?が惹きつけられた。
ただ、途中飽きて部屋の掃除してました笑
時間の無駄
気味の悪い頭のおかしい主人公に共感も出来ず、ヒロインらしい女性の思考も理解不能。全編通して気味が悪く吐き気がする。
会話も会話になってない。特に必要のない無駄な描写が多い。行間を読み取れということだと思うがここまで吐き気がすると読み取りたくもない。
なぜ評価されているのか理解しようと他の方のレビューも見たが理解不能。
デニーロだとかオマージュされてるとかどうでも良く、おもしろい話であれば評価したかった。
まず気になるのが、オープニングで映し出される、主人公の目。ネオンが...
まず気になるのが、オープニングで映し出される、主人公の目。ネオンが美しい雨に濡れたニューヨークの街並みが瞳に映っているのだが、儚げでまるで泣いているかのようでもあり、赤く映し出され狂気でもある。ベトナム戦争帰りの不眠の男が職にタクシードライバーという職につき、腐れきったニューヨークの街や人々を見、何を思ったのであろうか?戦地で何のために身と精神を捧げて戦ったのであろうか?自問自答するであろう。次第に精神のアンバランスさに拍車がかかり狂気の限りを尽くすが、最後にまたタクシードライバーという仕事に戻った時、彼の心は既に何も感じなくなってしまったのではないかと思った。
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