「事実と作り話が半分半分の歩く矛盾。この映画は預言者か、はたまた麻薬の売人か。」タクシードライバー たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
事実と作り話が半分半分の歩く矛盾。この映画は預言者か、はたまた麻薬の売人か。
ベトナム帰還兵の青年トラヴィスの抱える孤独と苦悩、それにより引き起こされる暴走を描くクライム・サスペンス。
監督は『ミーン・ストリート』の、後に伝説的映画監督となるマーティン・スコセッシ。
主人公トラヴィスを演じるのは、『ミーン・ストリート』に続きスコセッシと2度目のタッグを組んだレジェンド俳優ロバート・デ・ニーロ。
13歳の娼婦アイリスを演じたのは子役時代の、後のオスカー女優ジョディ・フォスター。
スコセッシ監督自身もタクシーの乗客としてカメオ出演している。
👑受賞歴👑
・第29回 カンヌ国際映画祭…パルム・ドールを受賞!
・第2回 ロサンゼルス映画批評家協会賞において、ロバート・デ・ニーロが主演男優賞を、バーナード・ハーマンが作曲賞を受賞。
・第19回 ブルーリボン賞…外国映画賞を受賞!
人間の内面に迫ろうとする、芸術的かつ純文学的映画。
そのため、デ・ニーロが大暴れするアクション映画だと思って鑑賞すると肩透かしを食うことになるだろう。
アメリカン・ニューシネマに属する作品であり、他の作品同様に暗くて残酷で娯楽的ではない。
しかし、最終的に英雄として迎え入れられるところは他のアメリカン・ニューシネマとは一線を画すところか。
くしくも同年の作品『ロッキー』も、アメリカン・ニューシネマの香りを残しつつ、観客に希望を与えるという新しいムーヴメントを興した事を考えると1976年というのはハリウッドにおいての一つの変革期といえるのかもしれない。
作中でトラヴィスに向けて放たれるセリフ「事実と作り話が半分半分の歩く矛盾」というのは非常に的を射ている。
彼は欺瞞と悪徳の満ちるニューヨークに嫌気が差しており、この街を出て別のことをしたいという欲求を持っている。
しかし、実際にはタクシードライバーとして、彼が悪と捉えている人間を運ぶという仕事に従事している。
政治に無関心ながら、惚れた女が支持している議員には賛同を示す。
また、ふられた腹いせにテロを画策するが、その一方で売春に身を落とす少女のことを本気で救い出そうとする清き心も持つ。
ポルノ映画を好み、暴力に関心を示す一方で、銃器を鏡の前で構えて喜ぶという幼児性も持ち合わせている。
この矛盾している様にも思える多面性こそが人間の本質なのではないだろうか?
トラヴィスが特別なのではなく、誰の心にも存在する普遍的な心の闇をこの映画は描き出そうとしているのではないか?
また、この「事実と作り話が半分半分」という部分が非常に重要だと思う。
これは映画の構成を説明している部分ではないか?
映画の終盤になり、この物語は大きく動き出すが、果たしてモヒカンにしてからの彼の行動は本当に真実か?
鏡の前で銃を取り出し、子供の様に戯れる彼に、あれだけのことを為し得ることができるのか?
仮にあれが真実だとして、売春宿での銃撃戦の後のシークエンスはどうも物語的に繋がっていない様に思える。
あの部分は真実か?それとも死の淵で彼が見た走馬灯か?
解釈は観客に委ねられている。
この映画でのトラヴィスの行為は、人間の本質を鋭く貫いた託宣か。それとも、レーガン大統領暗殺未遂事件を引き起こした様に、観るものを狂わせんとする麻薬の如き毒物か…。
これも観客がどう捉えるかによっている。この映画のクライマックスの様に。
レモンブルーさん、いつもコメントありがとうございます😊
リアルタイムで、しかも劇場で観られたとは羨ましいー!
ぜひもう一度『タクシードライバー』、鑑賞してみて下さい。
色々と考えることが出来て楽しめると思います♪
たなかなかなかさん フォローをありがとうございますm(__)m。
「タクシードライバー」と「ロッキー」は同年の映画だったんですね。どちらも当時 映画館で観ました!でも、ロッキーの解りやすさに比べ、「タクシードライバー」のトラビスの人物像は共感が難しく、あまり好きとは言えない(でも非常に忘れがたく雰囲気が魅力的な)映画でした。でも…たなかなかなかさんのレビューを読ませていただき、なるほど 納得出来るなと思いました!人間の本質 確かに矛盾を内包してるのかもしれません。素敵なレビューですね。タクシードライバーをもう一度 見てみたくなりました!