太陽がいっぱい

ALLTIME BEST

劇場公開日:

解説

パトリシア・ハイスミスの原作小説を、巨匠ルネ・クレマン監督が映画化したサスペンスドラマ。主演アラン・ドロンはこの1作で一気にスターダムを駆け上がった。貧しいアメリカ人青年トムは、金持ちの道楽息子フィリップの父親に頼まれ、彼を連れ戻すためナポリにやってきた。金にものを言わせ女遊びに明け暮れるフィリップに怒りと嫉妬を覚えたトムは、フィリップを殺して彼に成りすまそうと計画するが……。音楽はニーノ・ロータ。2018年、フランス映画界を代表する名優たちの主演作を集めた「華麗なるフランス映画」(18年2月~、東京・角川シネマ有楽町)で、4Kレストア版が日本初上映。

1960年製作/118分/G/フランス・イタリア合作
原題または英題:Plein soleil
配給:KADOKAWA
劇場公開日:2018年2月17日

その他の公開日:1960年6月11日(日本初公開)、1976年7月、1977年7月、1994年7月、2013年7月20日

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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映画レビュー

5.0イタリア・ナポリ。 トム・リプリー青年(アラン・ドロン)は、フィリ...

2024年11月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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りゃんひさ

やっぱり淀川さんは凄い

2024年11月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 今年8月、88歳で亡くなったアラン・ドロンの追悼上映。僕が子供の頃には「アラン・ドロン」と言えば「二枚目」の代名詞で、その映画を観た事がなくとも、あるいはどんな人なのか知らずとも、その名に全ての人が平伏していた様に思います。そんなドロンの出世作です。

 僕が本作を観たのは40~50年前だったと思うのですが、淀川長治さんが本作を観て「これは同性愛の映画ですね」と公開時に語っていた事を後年になって知りました。原作者のパトリシア・ハイスミスが同性愛者であった事は知られてはおらず、そうした発言を公にし辛かったであろう当時に、それを喝破した淀川さんはやはり只者ではなかったんだなと感心。

 但し、その見方が合っているのかどうかは制作者自身のみが知る事で、今回改めて観ても「そう見ればそう見える」程度に感じるだけでした。でも、淀川さんはやはり凄いな。

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La Strada

4.0上っ面な人間関係

2024年11月4日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

 トムはフィリップに嫉妬していて、多くの資産を持っており美人な婚約者がいる彼に成り代わりたかったのだろう。そしてフィリップもトムをどこか見下していた。仲が良いように見えるのは上辺だけで、内心では互いのことをあまりよく思っていない。そんな人間の複雑な心理を描けていた。

 ストーリーは、全体的に説明を減らして視聴者に考えさせるような場面が多いのが面白かった。ラストシーンも、青空の下で輝く美しい海の映像と、切ない音楽が合わさって余韻を残すような終わり方なのが良かった。

 昨今の邦画などは説明過多で観たまんまの印象の映画が多いので、こういう考えさせるような映画を製作して欲しい。

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根岸 圭一

4.5金満家の凡庸な厭らしさ、下流のハスっこい厭らしさをこれほどまでに表現して見せるとは。

2024年10月31日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

知的

萌える

幼いころに見た時は、
破滅へのカウントダウン。それでいて、当の本人は優越感におぼれ、満ち足りた気分に酔っている。
その差にヒリヒリして、イタくて、
ドロン氏の二枚目ぶりに浸透していたこともあり、
あまりにも悲しすぎて、胸がふさがれてしまい、
なかなか再鑑賞できなかった。

ドロン氏の逝去。(ご冥福をお祈りします)
意を決して再鑑賞。

こんなに繊細な演技をする方だったんだ…。
 『黒いチューリップ』『世にも怪奇な物語』『山猫』しか見ていなかったけれど。それらの作品でも好演しているが、改めて見直してしまった。

こりゃ、世界を魅了するわ。

水野晴郎氏は、映画の解説の中で、ドロン氏ご自身の生い立ちがこの演技に利いているとおっしゃっていたが、
フィリップとトムとを並べてみると、トムの三流ぶりが際立つ。
目端が利く頭の切れが唯一の武器。
大金を得るために受け負った仕事のおかげで、金満家の暮らしぶりを経験してしまった。
今までは憧れていただけの贅沢。身に着ける靴や衣服のフィット感。食事だって場末の食堂ではなく、調度の豊かなカフェ。
それよりも、周りの人が金満家に向ける視線。それに対して自分に向ける視線の格差。
その度に傷つく。仲間であって、仲間ではない。ミソッカス。使い走り。ペットではなく家畜としての犬扱い。
そして、そんな立ち位置に我慢ができないトム。
誰よりも、自分の頭がキレることを自負している。
凡庸なフィリップよりも、自分こそが皆の敬意を得ても良いはずなのにという視線がちらつく。(元々階級があるヨーロッパ人ではなく、自身の力で成り上がれるUSA出身という設定)
それでいて、フィリップにぴったりとくっついて、おこぼれを享受しようとする姿。
コバンザメのようにすぐ後ろに張り付いて、機会あれば、すっとフィリップを出し抜こうとする姿。
 目が不自由なふりをしてナンパした夫人に対する行為。おこぼれの骨にしゃぶりついているようで、イタイ。
このようなトムのチラ見えする厭らしさ(≒野心)にうすうす気が付いているマルジュやフレディはトムを嫌い側に置かないようにするものの、フィリップはトムを御せると思っていて…。

対するフィリップは、金満家にありがちの、自信を持った振る舞い。
働かなくとも食べていける身分ではあるが、自分の力で何かを成し遂げているわけではなく、父の庇護下にあり、鬱屈した気分を、トムをいじめることで晴らしている。それでいて、おこぼれを与えていて、それでトムを御せていると思える凡庸さ。金満家が”人”と見なしている人達への心遣いと、トムへの心配りへの違い。一人ではいられず、といって自分の意見を持っているマルジュだけでは自分を保てず、自分に従順な(ふりをする)トムを必要としているのに。
 演じるロネ氏が良い味を出している。意地悪なのに、人の良い面もあるという、ある意味いじめっ子の典型的人間像だが、演じるには微妙な役。トムに対してあれだけのことをしているのに、殺されて当然という評はあまり見ないという不思議な仕上がり。結果を考えなしで行い、死ぬかもと気が付いたとたん必死で助けたからか?

淀川氏は、この映画の根底に同性愛があるとおっしゃっていたようだが、私にはそれは感じられず。
 トムのナルシストぶり。フィリップの人の気持ちへの無神経さ・幼さだけが印象に残る。

トムは何をしたかったのだろう。さっさと、財産を奪い取って、誰ともあわない土地に高跳びすればよかったのに。ヨットだって、わざわざ売りに出さずに、漂流したように見せればよかったのに。

マルジュへの固執。マルジュを愛しているようには見えないのに。
”王様”になりたかったのか。フィリップに向けられていた周りの人の視線を得たかったのか?だからヨーロッパの社交界から離れられなかったのか?
マルジュも、その一環、まるで高価なアクセサリーを得るように扱う。

フィリップに成り代わってからのニアミスは、映画を観ている私たちからはハラハラドキドキしておもしろいが、トムは大金を得てから豪勢に散財したシーンもなく。

それでも、すべてを手に入れた。自分の計画が計画通りに成就したと思い、優越感に浸り、満ち足りた気持ちになる、その時。

そんな卑屈で、それでも幸せになりたかった男をこんな風に演じるなんて。
ドロン氏は最高の役者でもあると思う。
そしてそんな物語を余すことなく撮った映像・演出。
この色男とこの映像を、ロータ氏の音楽が引き立てる。
色あせない映画。

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とみいじょん