スタンド・バイ・ミーのレビュー・感想・評価
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単なる悪ガキどものロードムービー
映画といえば
怖いものなしの大冒険
田舎町に住む4人の少年の二日間の大冒険。
それぞれ複雑な家庭環境などから悩みや葛藤を抱えており、冒険の中でもそれをぶつけ合うシーンも。
ケンカやじゃれあいながらも助け合って絆が強くなる姿が書かれている。
少年のときにしかできないはちゃめちゃな大冒険はほんとにキラキラしている。
シンプルに子供のころの友情に特化して描かれていて、それを大人になった主人公が振り返りこれほどの友達はいないと言っているところが、子供のころの友達との思い出が今の自分につながっていることが感慨深い。
宝石のような、ノスタルジー、しかし
少年たちのおバカさと切なさに笑い、涙
男の子のおバカさは昔から世界共通だな〜と笑ったり、悲しい境遇や熱い友情にほろり。
また12歳というのが「かわいいバカ」で愛おしい。不良青年たちとの対比でより一層感じるのがいい!
また、これが女の子なら絶対成立しない。男の子ならではの無鉄砲さがちょっと羨ましい笑
この冒険で少年たちが、それぞれ辛い境遇を話して励まし合っているのも印象的。友達から愛され可能性を信じてもらえることが、こんなにも力になるんだと。この友情があるからこそ、辛い環境の中で頑張れてる事が伝わってきて涙。
子供は辛い境遇でも耐えるしかないのが、本当にいたたまれない。親も親で抱えてるものがあるのが分かるだけに悔しく悲しい。
それぞれ4人のキャラクターや境遇に、大なり小なり重なる事があり、観客はノスタルジーを感じて長年愛される映画なんだろなと思いました。
名作すぎて
何度見ただろう 100回は超えてる
たぶん人生で一番見てる映画 これ自分にとっては映画じゃないな
見るたびに感情が渦巻く
いつも友達の事を思い出すよ
わからない人とはきっと一生分かり合えないだろうな 別に俺はあんたの風景でいいや
死んでしまった憧れの小さなヒーローの話 奇跡の季節 永遠と刹那 指の隙間からこぼれ落ちる前の全てを掴んでいたはずの一瞬 愛と友情の違いすら無く 何者でもなく何も持たずただ名前しかなく無邪気で無敵で何かに怯えて 家族の暑苦しい毛布にくるまって守られて 選ぶ事も出来ないのにただ道は在って 小さな抵抗 選択の一歩手前 誰も知らない一本道を友人と一緒に進む別れの前の最初で最後の旅 自分達はなんでここにいて なんで自分なのか 本当と嘘と夢の境目は? 終わりと始まり 季節は変わっていく。
でも決して消えない記憶 言葉 笑顔 景色
仲良かったやつも嫌ってたあいつもみんな元気かな 心から願うよ
自分や誰かが消えてなくなるまでのほんの少しの時間なんだし
何度見ても面白い
"青春映画"以上でも以下でもなく、そのもの
大人になるにつれ、考え方や育ってきた環境の違いからか、全くもって違う生き方をすることになってしまった友人が誰にでもいるのではないか。子供の頃は、あんなにも無邪気に一緒に遊んでいたのに。
この映画は、死体を見つけに行く少年たちの、ワクワクドキドキ冒険物語では全くない。
純粋な子供でいられる最後の夏の物語。
少し大人になってしまう直前の物語。
責任も権利もなく、苦しみから逃げる方法も解決する方法も持てない子供達の物語。
まだ狭い世界しか知らない、まだ何も持ってない、まだ大人から逃げる方法も知らない子供達の物語。
家庭環境も貧富の差もバラバラ。よって性格もバラバラ。これから先どんどん生きる世界が分岐していくであろう4人が、"ひとつ"でいられる人生最後の夏だったんだろうな。そのイベントがたまたま"死体探し"だっただけ。
また、アメリカは夏が卒業&入学の季節なんだと気づいて、さらにこの作品が輝きました。
原作が小説と知って納得でした。わたしは映画より小説を読む性格なので、この物語の余韻や行間の類(あまり好きじゃない言葉ですが)がなんとも切なく、大好きな映画になったけれど、確かに「結局何?」という感想を抱く人も多いかもしれませんね。
これって文学ですよね
妄想のゲロの話は映像にして、実際に起きた父親の話や先生の話は語るだけ。
これって文学ですよね。
よく分かってませんが、そう思いました。
ストーリーそのものは観てる最中は凄みを感じないんですが、少年同士の距離感、空気感、信頼感。
見終わったあとの余韻で「また観たい」と思ってしまうのは「感」のおかげででしょう。
思ってたんと違う
思い出は美しい
12歳の夏
自分が今まで思っていた概念を壊された感じがした。
名作と言われていたけども全然観ていないくてどんなのか?
と思いながら見始めたけども自分にとっての大事な事に対して目を向けるきっかけをくれる様な作品でとても良かったです。
特にすごいアクションや感動のストーリーがあるわけではないけど、ただあるのは友人たちの何気ない日常がそれが大事だと思いました。
あの頃の僕らへ
"金曜ロードショー" で2回目の鑑賞。
原作は未読。
今思い返すと、あの頃の僕たちは無敵でした。家や学校、住む町が自分たちの世界の全てであり、何もかもが冒険で。
劇中のモノローグにもあったように、確かに目指すべきものが存在し、そこに向かって進んでいたような気がします。
そう云った感情をプレイバックさせ、ノスタルジーの奔流に包み込んでくれるのが本作の大きな魅力だと思いました。
ひと夏の冒険を通して、少年たちはそれぞれの悩みや苦しみを抱えながらも、自分たちの住む町に帰り着いた頃には出発した時の彼らとは異なり、「本当は広い世界」の一端を垣間見たことで少しだけ大人になっていました。
それは同時に「少年時代」との訣別であり、胸が締めつけられました。「大人は何も分かってくれない」。同じ轍は踏むまいと皆で誓ったはずなのに、いつの間にか「何も分かってくれない」と言われる存在になっている。
大人になった今、ふと思う。あの頃は見えていたはずの目指すべきものは、何処に消えてしまったのだろうか。大きな世界の波に呑み込まれ、もがき喘ぎながら、それでも前に進まなければならない時、何を指針とするのか。その答えは忘れられぬあの頃の想い出の中にあるのかもしれない。
※修正(2024/04/09)
【瞬き】
【瞬き】
突然、大人になるのではない。
ひとりでに大人になるわけではない。
スムーズに大人になるわけでもない。
少しずつ、葛藤を抱えながら大人になっていくのだ。
そして、人に言われるだけじゃなく、乗り越える何かを自分たち自身で設定したくなったりもする。
秘密基地。
ちょっとした冒険の旅。
死体を見つける。
届ける。
悪い上級生をやっつける。
こうしたことが、
その後、
やっぱり頑張って勉強してみようとか、
改心しようとか、
家族を持とうとか、
家族を大切にしようとか、
人を赦そうとか、
争いをやめさせようとか、
そうした決断や勇気に繋がっていくのだ。
だから、この多感で瞬くような瞬間はとても大切な気がする。
死体に対する態度は異なるが、「リバーズ・エッジ」も思い出した。
少年少女と大人の狭間にいる若者が、大人の少し妥協にまみれた世界に踏み出す感じが切なかった。
この「スタンド・バイ・ミー」は、少し先の未来を見つめて、何かを乗り越えようとする少年の姿が多くの人の共感を呼んでいるに違いない。
ところで、僕の田舎では、相当昔になるが、近道だと言って、線路を歩く大人が結構いた。
学校で、危ないから、マネしてはいけませんと、何度も言われたのを覚えている。
屋久島では縄文杉に会うために、結構な距離ののトロッコ道を歩くが、結構歩きにくい。
いずれにしろ、普通の線路は危ない。
最後に、エンディングに出てくるグリーンにハイライトする文字のワードプロセッサーは、WANGのだ。
型落ちのものを使わされた記憶が蘇ってきて、少し苦笑してしまった。
タイトルなし(ネタバレ)
金曜日に見ました。日テレ放送版と言えば昔エンディングの編集が神がかっていて感動したのですが多分今回はカットだったのですかね。流してほしかったです。
ゴーデイと私が違うのは私は独身ということだ。友人たちは結婚している。疎遠になった。
寂しさが生まれたが、時折ふと思い出すことで楽しかった記憶が蘇り、私はすぐに昔の自分に戻れる。過去の時間軸にはみんなが一緒にいる。みんなに会える。そんな時間がたまに楽しい。
思い出すことは忘れないこと。思い出すという作業は過去にいける。タイムスリップなんて物は私は結果的に思い出すことでいけると思う。思い出すことで誰でも過去にいけるのだ。
自分も普段は忘れているのですが、小学校、中学校の時代の友人と言えばそれはそれは濃い時間を過ごした物です。ゴーデイのラストに言う、「誰でもそうではないだろうか」まさにハイ、それでした。とは言いましても特別小学校、中学校の友人たちが大親友!!だったわけではないのです。
どちらかと言えば無口で大人しい子でした私。ネクラでした。友人も少なかった。だけどそばにいてくれる人がいました。その人を友人と言えばいいのかな。彼女は私のことを友人と思ってくれているのかな。それは自信がないのですが私は彼女を友人と思っています。
「そばにいてほしい」(スタンドバイミー)映画もそれを言いたいのだと思います。そばにいてほしい、特別な関係じゃなくてもいいんだと。大親友ではなくてもいいんだと。ただ僕のそばにいてほしいと、御願いだから一緒にいてほしいと。十二歳の少年のささやかな希望です。
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