スタンド・バイ・ミーのレビュー・感想・評価
全253件中、1~20件目を表示
12歳にしか見出だすことのできない道。
〇作品全体
世界が狭いからこそ進もうと思える道があって、その時にしか集えない仲間たちがいる。
物語序盤で小さな町での物語であることがモノローグで語られたり、クリスの「街を出られない」という悲観的な考えがあったり、12歳のころの「街」は終始窮屈で生きづらさをはらんだ場所として描かれる。
4人それぞれにこの「街」のどこかにネガティブな感情を抱かせる場所がある、というのも窮屈に感じさせる一因だろう。ゴーディにとっては自分の家がそうだろうし、クリスとテディにとっては悪評のある親という枷とともに目線を向けられる街自体。バーンは少しコメディチックだったが、へそくりを隠した床下がそうなのかもしれない。いずれも自身の根の部分(バーンは少し直喩すぎるが…)にその感情を抱えている。12歳の世界では処理できない、12歳の世界だからこそどうにもできない感情をそれぞれが形を変えて抱いている。
だからこそそこから出ていける線路の一本道がより魅力的に映るのだろう。12歳というその時に似たようなものを抱えながらそこから一時であっても抜け出せる道が広がっている。そこに溢れる好奇心と不確かな希望がすごく輝いて見えた。
道の途中には楽しいだけじゃない空間もあって、結末はあっけなく、そして再びその街に戻ってこなければならない。自分自身でも感じたことのあるこの不確かな希望と予想の範囲内である終点の温度差が、一番ノスタルジックに響いたポイントであり、刺さる部分だった。
〇カメラワークとか
・歩いているときの4人の立ち位置をどこまで計算して演出しているのかが気になる。クリスはリーダー格だから先頭を歩くのはわかりやすいが、ゴーディが一番後ろを歩いてるのが印象に残る。一番優等生だから、というのも理由だろうけど、物語を振り返るポジションだからかな、とも感じる。ゴーディが大人になって感じた「12歳の頃のような友達は二度とできることはない」という感情はゴーディが覚えている主観的な風景にも起因しているように感じる。3人の背中を思いだせるからこそ、客観的にも見えるポジションにいたからこそ、この感情を抱くことができたんじゃないか、そんなことを思ってしまう。逆を言えば、他の3人がゴーディと同じ感情を抱いているかというと、立ち位置も違うのだから少し違うんじゃないかな、と思ったり。
・もっと自然を強調したり、4人が歩く世界を見せるカットが多いのかな、と思っていたけど、そうでもなかった。むしろウエストショットくらいのカットで砂利の音と手持ち無沙汰に歩き続ける姿のほうが多かったような。こういう、いわば平凡なカメラの距離感が「特別な4人の物語」というより「よくある12歳の風景」としてノスタルジックに感じさせるのかもしれない。
時間の尊さ
子供の時に見て以来久しぶりに見ました。 どんな感じだったのか思い出せなかったのですが見て納得。要所要所覚えてはいるものの(パイの所(インパクトっ)とヒルの所(こわいっ))、幼い頃の、多感で純粋で素直な感覚を、遠目に見て愛しく思えるのは大人の感覚こそだと思いました。同時に、思い出させてくれるので心があらわれました。 大冒険と、少年の頃ならではの悪ふざけやギリギリのあやうい感じはソワソワドキドキ楽しかったです。終盤の度胸試しは息をのむ迫力。 友達を大切にしたい、時間を大切にしたい、と思える映画。人生のたのしさ、悲しさ、あらゆる要素が入ってるように感じます。素晴らしい。 もう戻らない時間が眩しくて切ないです。
リバー・フェニックスとテーマミュージックに涙ぐむ
大人になって作家になったコーディ(リチャード・ドレイファス)が 12歳だった頃の、友人と冒険した2泊3日の思い出を振り返る映画。 黒人歌手のベン・E・キングのしゃがれ声のテーマ曲が、 “ダーリン、ダーリン、スタンドバイミー“とノスタルジックに 歌い上げると熱い涙が込み上げる・・・ 小さな田舎町キャッスル・ロック。 (スティーヴン・キングはこの架空の地名を何度も使っている) 幼なじみのコーディ、クリス、テデイ、バーンの4人は、 ある日30km先の森に男の子の死体を見に徒歩で旅に出る。 線路伝いに歩いていると、陸橋の上で突然、蒸気機関車が迫ってくる。 慌てて飛び降りる4人。 沼を腹まで沈んで渡ると、ヒルに何箇所も食われる。 クリスの兄の不良仲間に因縁を付けられる。 腹ペコで焚き火にあたり夢を語る。 そうして冒険の旅から帰った彼らは確実に大人に変わっている。 ラストで成人したクリスやテデイのその後が語られる。 この旅を契機に必死に勉強して弁護士になったクリスは 呆気なく刺されて死んだと知らされる。 クリスを演じたリバー・フェニックスもまた、青春スターとして 人気絶頂の23歳の時に、不慮の死を遂げる。 その死を予言するような映画になってしまった。
子供にしかできない冒険の物語
子どもたち4人組が死体を探しに行くだけの話 でも、それぞれの傷を抱えた主人公ら4人組の悪ガキにとっては大冒険だった。 あの頃にしか存在し得ない関係性があって、作中時も放映時でも自分にとって大昔の話だけど、純粋な尊さが感じられ、懐かしさがあった。 吹替版は声がコテコテなので(声優さんが下手な訳では無いが)字幕版がオススメ 子どもの声ってどうしても難しいよね。
少年たちの友情にジーン‼️
12歳の夏。それぞれに複雑な家庭の事情を抱える4人の少年たちが、ひょんな好奇心から "死体探し" の旅に出る。そんな短く尊い時間を、ノスタルジックに描いた青春映画ですね‼️多分初めて観たスティーヴン・キング原作の映画だったと思うし、ベン・E・キングやジョン・レノンを初めて知ったんじゃないでしょうか⁉️「僕のことを誰も知らない土地へ行きたい」そう言って大泣きするリヴァー・フェニックスのクリスが、「何だって出来るさ」「世界はもっと広いんだ」と勇気づけてくれる、固い握手を交わす友達ゴードンと巡り会う運命‼️しびれますね、子供たちの友情に‼️「あんな友情持てたのは、後にも先にも12歳のあの時だけ」とラスト、大人になった主人公(リチャード・ドレイファス)が締めくくる言葉は、年を取れば取るほど切なく胸に響きます‼️そしてリバー・フェニックスですね‼️私にとってリバー・フェニックスはこの作品のクリスと、若き日のインディアナ・ジョーンズです‼️
色褪せない青春の匂いは音楽と共にやってくる
ベン・E・キングのスタンド・バイ・ミーが美しく流れる本作はホラー小説の帝王と呼ばれるスティーブン・キングが原作というのが信じられない程の怖さ無しの青春映画です✨ まぁ今更に内容を褒めるのもどうかと思うが意外に名優が出演しているのが面白い😁 リバー・フェニックス、リチャード・ドレイファス、キーファー・サザーランド、ジョン・キューザック⭐ 取り分けリバー・フェニックスの存在は秀でていたが、後に彼は薬物中毒によって天逝した事によって大きくフューチャーされた感がある😐 実際にロバート・レッドフォードと共演した「スニーカーズ」では光った演技とは言えなかった🫤 早死するとどうしてもジェームズ・ディーンという定規を当てられてしまうのはハリウッドの悪癖だろう💦 所で映画音楽でこれ程皆が知ってる曲も珍しい😆 後は映画「ゴースト」でのライチャス・ブラザーズが歌う「アンチェインド・メロディ」くらいかなぁ~ マ王は映画から色んな音楽を知ったので洋楽の幅は意外に広い✨ で、何周か回って今は重くて速くて悪い曲をよく聞いています🤣 青春はかなり曖昧で漠然とした事象なのに、その短い期間だけは確かに記憶として残っている😐 良くも悪くも青春とは、語るのを躊躇ってしまう若き日の失敗なのでは、とマ王は解釈してますが皆さんはどうですか? ちなみにマ王の青春は押し付けられた勉強と合間を見つけて映画館へ避難してたぐらいしか覚えてない🌀 まぁ、それも青春なんだよね😚 映画館での鑑賞オススメ度★★★★☆ 一度は歌った事あるんじゃない?度★★★★★ 「ジーザスッ!」度★★★★★(マ王の好きなシーン)
生い立ちガチャを乗り越えろ!
クリス、ゴーディ、テディ、バーンの少年4人の大冒険。
冒険と言っても、地元オレゴンのキャッスルロックの不良達の話を盗み聞きして仕入れた、観光に来ていた少年ブラワーの遺体があるという場所に確認しにいく旅。
小6で、そこそこ産まれも将来も見えてくる年齢。
クリスはもう、自分はこのキャッスルロックで不良として生きる産まれなのだと悟っている。盗みを働いた後、誰にも話も聞かれない、そんなはずないと思ってくれる人もいない、元々不良のフィルター越しにしか見られない苦悩を抱えながらも悟っている。
だから、親友ゴーディが、両親がゴーディではなく一心に期待していたスポーツ万能で優しい亡き兄にしか愛情を注がない孤独に気付き、ゴーディにも作家の才能がある。親が気付いていないだけだと何度も伝えてくれる。
テディはフランス系で、ノルマンディ戦で活躍した父を持つが父は精神を病んでしまい、テディの耳をコンロで焼いたり、精神病院に入ったりの家庭。父親の栄誉を守らないと、自身の存在否定に繋がってしまうからか、周りがなんと言おうといつも父を庇う。
バーンは少し思考が幼い。兄達は既に不良になっているが、行く末を変えるほどの気力を持ち合わせていない末っ子キャラ。
4人で家を出て、井戸で水を汲み、ひたすら線路沿いに歩き、一晩寝て、沼と森を突っ切り、ついに遺体を発見する。
その道中は少年4人には未知の不安に溢れていて、長い時間みんなで歩く事で、それぞれの複雑な感情と向き合い、友達として励ます、助け合いながらの時間となった。
アウトドア力、生活力などでは語り尽くせない、人生で乗り越えなければならない、背負っている己の負の感情に気付き、話し、向き合い、打破する力をこの2日間でクリスとゴーディは得た。
自然の中だと悩みなんて不思議とちっぽけに思える。のような謳い文句の子供達のサマーキャンプやYMCA合宿のような企画はよくあるが、その何百倍も濃い経験をこの少年達は大人抜きで、自分達のお小遣い2ドルだけですることができた。
そして、彼らが乗り越えようと対峙しているのは、ややハズレ気味の生まれガチャ。
この度のお陰で、ゴーディは本当に作家になった。子供も2人いて、立派に食べていかれているようだ。クリスは、ゴーディの言葉のお陰で、職業コースまっしぐらの自分を諦めずに、頑張ってゴーディと同じ進学クラスに進み、弁護士になった。喧嘩の仲裁で刺されて即死したらしいが、自分で選び取った人生を拓けた。
テディは刑務所に入ったりもしつつ、キャッスルロックで仕事に就いていて、バーンは製材所で働きながら4人の子持ちになった。
みんな、周りに流された不良の道を辿らず、自分の足で立てる大人に成長できたようだ。
あの時、自然の中で少年4人で過ごした時間。
あの時見た、不本意に汽車にはねられ亡くなった同世代の子の遺体。
そこから、人の命など生死は紙一重であることや、どんな生い立ちや事情であれ、自分の命はまだ生きている大きな実感をしたのだと思う。
クラスのカーストで言うと下層に入れられてしまうような子達の方が、感受性と可能性にずっと富んでいることはよくある。
孤独と向き合いながら、決めつけられた劣等感を乗り越えた時、その子自身の人生が輝き始めて、誰かの感情を良く汲み取り、守る優しさに繋がると思う。
まだまだ大人に甘えて良い年齢の子供達の心を周りの大人が守ってくれたら良いが、そうではない、むしろ大人が子供を傷付ける環境は、よくある。
同じ境遇、心境の子達で集まるとグレてしまうものだが、誰か1人が一念発起できれば、みんなつられてよくなったりもする。
運良くそのようになれる出会いをし、友達となれたゴーディのお話。
亡き兄の代わりに、遺体の子の代わりに、自分が死ねば良かったと言い出すゴーディだが、止めてくれるクリスがいて人生そのものを救われたと思う。
終始地味な感じが心地よい
ジュブナイル映画はやはり良い。 死体を発見しに行く旅っていうのもどこか闇抱えてて良い。(確かに、子供には刺激的なエンタメなのかもしれないな。) 同じジュブナイル映画でも、グーニーズやE.T.のように劇的な展開があまり起きないから落ち着いて見られる。 例えるなら金曜ロードショーとかのゴールデンタイムでの放送じゃなくて、深夜の番組枠で放送されてるときに観て夜中にしんみりしたい映画。 子供のときには気づかなかったけど、かなり大人向けの映画だと思う。 ところで、ヒルってあんな短時間でたくさん体に張り付いてくるんだ?怖っ。
少年達の冒険って見てるだけで本当にワクワクする。 スーパーからダン...
少年達の冒険って見てるだけで本当にワクワクする。
スーパーからダンボールを拝借して秘密基地を作っていた小学生時代を思い出しました。
そんな小学生時代の仲良しグループは、今誰1人として連絡先すら知らないのでみんなそういうもんか…悲しいかな、でも少し安心しました。
そばにいて
死体探しをする少年4人の話。
家庭に問題を抱える少年4人が行方不明になっている少年の死体を見つけた話を聞きつけ自分が発見者になり英雄となるため、死体を目指す旅に出る。
大人になりそれぞれの道に進むが12歳の時過ごした経験は永遠で、親友はいつまでも親友である。
現実逃避の願望が冒険という形を取って表れている
かなり好きな映画。ストーリーの秀逸さ、森林や湖といった映像の美しさ、途中で挿入される音楽の軽快さ等、どれを取っても最高。 主人ゴーディら4人の少年は、死体探しを行って有名になることを目的に冒険を始める。しかし、これは建前なのだろう。彼らの家庭環境は良いとは言えず、それぞれが問題を抱えている。ゴーディの親友クリスが、冒険の道中で「自分を知る人がいないところに行きたい」と言っていることから分かるように、冒険の本当の動機は現実逃避にあることが窺える。皆子供なりに辛いことがあり、ストレスを抱えながら生きている。そんな彼らの気持ちに共感できる部分があり、切なくなる。冒険を終えて、自分達の住む町に帰って来たときの彼らの呆然とした表情からも、現実逃避の願望が冒険の根底にあることが分かる。うんざりする現実に帰って来てしまったこと、そして楽しい冒険の時間は2度訪れないことが表現されていてるのが秀逸。
何か懐かしい
................................................................................................
主人公ら4人は2日かけて線路上を歩き、別の少年の死体を捜しに行く。
その死体を見つけたというチンピラの話を盗み聞いたためだった。
主人公は夭折した優れた兄と違い、両親の愛をあまり受けていなかった。
仲間らも家庭に問題がある少年達だった。
子供だけでの冒険ならではの紆余曲折を経て死体を見つける。
そこへ例のチンピラらが現れ、それを引き渡すように言う。
少年らは何故かそれに従いたくなく、一人が持ってきた銃で応戦。
こうして遺恨を残しながらも死体を守り抜く。
最初は第一発見者としてヒーローになるつもりだったが、
結局警察に匿名の手紙を出すにとどめた。
................................................................................................
映画を見る目に乏しい私には何がヒットの要因なのか不明だった。
でも何か懐かしい気持ちにはなった。
少年の頃にはこういう冒険心が人一倍強い方だった。
そして些細な事で後先考えずに意地になる心理も良く分かる。
それで痛い目に遭おうが、その時はその事が大切なことなのだ。
本作は超有名だし、数少ないリバーフェニックス出演作品だし、ちゃんと...
本作は超有名だし、数少ないリバーフェニックス出演作品だし、ちゃんと鑑賞し直そうと思った。 吹き替え版だと声優の良し悪しに左右される。 本作は、あえてオリジナル音源にして字幕で鑑賞した。 男なのにお嬢と呼ばれた主人公が、近所の仲間と森へ冒険しに出かけた思い出を小説にした話。 多分、本作は男同士の恋愛を描いている。 そのことをカモフラージュしているのは、この小説を作成している主人公だ。主人公はシカに出会ったことも誰にも話さなかった。まだ語っていない事実があるという可能性を感じる。 森の中で大食い大会のエピソードを語った後、聞き手から、その後どうなったか聞かれて適当に答えたが、そんな終わり方じゃつまんないって言われていた。 話の続きを語り手は用意していなかったと思う。 このエピソードは本作全体と深い関係がありそうだ。 リバーフェニックスの役が良かった。 視聴後、時間をおいてから彼を思い出したとき、感動に包まれそうになる瞬間がある。
Nobody knows the way it's gonna be。 二度とは戻らぬあの日々が封じ込められた青春映画の金字塔✨
1959年の田舎町を舞台に、森の中にあるという死体を探しに出掛けた少年4人の、一夏の冒険を描いた青春ドラマ。
監督は『スパイラル・タップ』のロブ・ライナー。
原作は『キャリー』『シャイニング』の、”ホラーの帝王”スティーヴン・キング。
少年たちのリーダー、クリス・チェンバーズを演じるのは『エクスプロラーズ』の、名優リヴァー・フェニックス。
映画ファンのみならず、広く人口に膾炙している青春映画のマスターピース。世界で最も人気のある映画の一つと言っても過言では無いでしょう。
誰もが経験したであろう子供時代の煌めきと苛立ち、自由と不自由、全能感と無力感を僅か84分の間に綺麗に詰め込んだ、奇跡のような一作。
かつて少年少女だった全ての人に刺さるであろう、万感胸に迫る大傑作!!
もちろん私も大好きです❤️
原作小説のタイトルは「The Body」=「死体」。
「これじゃホラー映画かエロ映画みたいじゃねぇか!タイトル変えろおらぁ!!」と映画会社に言われたので、今のタイトルに落ち着いたらしいです。
もし本作が原作通り『ザ・ボディ』というタイトルだったら、ここまで愛されていなかったかも知れませんね。
ちなみにこの原作小説は未読であります。
『スタンド・バイ・ミー』…。確かに素晴らしいタイトルだが、一つ不満が。このタイトルは本作のテーマソングでもあるベン・E・キングのヒットソングから取られたものであるが、この曲が世に出たのは1961年。本作の主な舞台である1959年にはまだ存在していなかったのです。
バディ・ホリーの「エブリデイ」やザ・コーデッツの「ロリポップ」、ジェリー・リー・ルイスの「火の玉ロック」など、本作のサントラはオールディーズの名曲揃い。ブリティッシュ・インベイジョンより前の、おおらかで牧歌的な曲の数々が映画を盛り上げます。…まだビートルズもストーンズも、ボブ・ディランもビーチ・ボーイズも居ない、そんな時代があったなんてとても信じられないっ!
本作で流れる楽曲は1959年以前のものばかり。だからこそ、61年発表の「スタンド・バイ・ミー」が使われている事が惜しいっ!いやまぁこの歌は確かに名曲だし大好きなんだけど、そこは59年以前の楽曲で統一して欲しかった。こんなん気にするのは自分だけだとは思うんだけどね…。
あまりにも有名すぎる映画。それを今更何をか言わんやと自分でも思うのだが、今回見直してみて何点か気付いた事があったのでそれをピックアップしていきたいと思う。
まず一つ。本作は大人になった主人公による少年時代の回想により構成されている。現在の時間軸があり、そこから主人公が振り返る過去が映画の主な舞台となっている訳です。『フォレスト・ガンプ』(1994)形式ですね。
となると、映画は必然的に主人公の主観によるものになります。つまり主人公が関わっていないことは描く事が出来ません。
しかし、本作にはそのルールに沿っていない場面が出てきます。具体的には町のチンピラであるエース軍団(キーファ・サザーランドが若いっ)が「郵便ポスト打ち」というクソ迷惑な遊びをやっているところ。主人公のゴーディは、自分たちが死体探しをしている最中、エースたちが何を行っていたのか知る由もないのですから、この描写は明らかにおかしい。だめじゃん!!
そんなことはロブ・ライナーだって当然わかっているはず。となると、この描写は意図的に仕込まれている事になる。
一体それは何故か。ここには主人公の職業が”作家”であることが関係していると思われる。つまりゴーディはフィクションの担い手なのです。
この描写を挟む事により、本作で描かれている内容は全てが本当の事では無いんだよ、という事が暗に示されている。冒頭、「クリス・チェンバーズ弁護士刺殺される」という新聞を読み呆然としているゴーディが描かれているので、この少年時代の冒険が丸々嘘っぱちであるとは考えづらいものの、その内容は虚実入り乱れているのでしょう。
では何故、ゴーディは真実を語らずフィクションとして少年時代の思い出を我々に提示したのか。
それはその少年時代の一夏の出来事に、語りたく無い事、自分の胸に秘めておきたい事があったからなのではないでしょうか。
それは何か!という事なんだけど、それが今回気づいたもう一つのこと。
今まで少年たちの友情映画かと思っていたけど、これラブストーリーじゃん!
涙するゴーディの肩をクリスが抱き寄せる描写はラブシーン以外の何者でも無いし、他の少年たちに比べてがっちりとしたクリスの肉体が妙に生々しいのも印象的である。
爽やかな雰囲気とは対照的に、本作には「死」の匂いが充満しており、また女性の登場人物は極端に少ない。一見「生=性」の要素の薄い作品のように見えるのだが、意図的にホモソーシャルな世界を作り出す事で、その背後にある同性への恋慕を覆い隠している、そのような印象を受けました。
こう解釈すると主題歌の「スタンド・バイ・ミー」にも合点がいく。普通友達に「darling」とは言わないもんね。
もちろん本作を純粋な友情物語と捉えても良いのだが、少年の一夏の恋物語と捉える事でまた別の楽しみ方が出来る。
いずれにせよ、まだ何者でもなかったあの頃の自分と重ね合わせながら、この映画でノスタルジーに浸るのもたまには良いのでは無いでしょうか。うん、名画!
ウェンザナイ〜ハズカム〜♪
悔しいな!
過去を掘り起こしてもこんな冒険してない。
4人、この時だけのチームにしろ、人間それぞれ被らず個性がありチームワークがとれていた。
4人の中で賢く冷静なゴーディが年長の不良達が来て取り合いになった時、ピストルを構え威嚇し追い払った。
出発時点では、父に存在を認めて貰えないやるせない気持ちから興味本位の旅だったが。
クリスから自分を評価され進路についても、
「親が駄目なら俺が代わりになってやる、だから頑張れ。」
とまで迷う事ない励ましとアドバイスを受けて内心自信がついたのだろうか。行方不明のその子のことを第一に考えようと思い直し不良から守ったのだろう。
クリスも、ゴーディと進路について最初の希望を変更して進学したらしいと後日譚で紹介されていたが。ゴーディとの話や行動に感化されたのだろうか。
あの泣くシーン、可哀想だった。辛すぎる気持ちが伝わって来た。半分濡れ衣のような事件、二度と嫌だと思ったのだろう。
ゴーディという友の頑張りに自分も知識を身につけ自分を守る気持ちがあったかもしれない。
テディの言動からは、戦争が終わってまだ年数が経っておらず、後遺症気味の父をこよなく愛しそのあとに続こうとする親想いの優しさが感じられる。
バーンは何事にもゆっくりで皆に助けられている。他の子は嫌がらず助ける。嫌だったら誘わないだろう。ホッとできる存在かな。
とにかく、ゴーディとクリスはこの旅で成長したのだ。ただ••••。
また何年後かに、それぞれの様子が見られたら良かったのに、とつくづく思ってしまう。
それは、ゴーディも同じ気持ちだろう。
全253件中、1~20件目を表示