シェーンのレビュー・感想・評価
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古き良きアメリカの良心を描いた名作
感想
1860年代後半、南北戦争後、西部開拓時代末期のワイオミング西部地域。緑豊かな大地と豊富な水源がある土地をネイティブ・アメリカンのシャイアン族との闘争により、多大な犠牲者を出しながらも広大な土地を占拠する事に成功し、独占的専有を主張していた牧童主であるライカー兄弟とその一味。対して新天地を求めて数家族で移住してきた開拓者達の間で土地の占有権を巡って争いが起きていた。
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開拓移住者であるジョー・スターレットは荒れ地ではあるが、小川が流れ、開墾次第では農作物や牧畜が可能な理想の地に辿り着き、妻のマリアンと一人息子のジョーイと3人で暮らしている。
ある日、南から一人の男が馬に乗りスターレットの家を横切る。男は北に行くという。そこに突然畑の畝を馬で踏み付けにしてライカー一味が現れ、警告と称し脅しをかけて来る。唯ならぬ雰囲気の中、男はスターレットの友人と言いライカー一味に対峙する。只者ならない男の雰囲気を感じ取りその場は立ち去るライカー達。
スターレットはライカーの仲間であると誤解した事を謝罪し、男を夕食に誘う。男の名はシェーン。少しの物音にも敏感な反応を示すシェーン。流れ者のガンマンである事を悟るスターレットとマリアン。だがジョーイだけは初めて出会う西部のガンマンに興味が尽きず憧れと尊敬の眼差しを持って接する。
シェーンは食事の礼として家の庭先に残っている大木の切り株を抜こうと斧を振り始める。スターレットは感心して自分も斧を振り始める。二人の労作は続く。マリアンは馬で株を引けばと提案するが、スターレットは「此奴(切株)と格闘してかれこれ二年になる。人の力と汗を以て勝利(切株を倒す事)を手にしたい。」二人は力を合わせて最後には株を抜き倒す事に成功する。こうしてシェーンはスターレット家で使用人として働く事になる。
ライカー一味は相変わらず開拓者達に嫌がらせをする。隣地に住むアーニーは育てていた収穫前の小麦畑に多数の牛を嗾けられ一晩で全てが破壊されてしまい、希望が無くなりこの土地を離れたいという。スターレットはアーニーを宥め今晩、開拓者全員を集めて自宅で会議をすると言い出す。シェーンもまた作業着をグラフトンの雑貨店に買い物に出掛けた時に新品の服を酒場にいた一味の一人クリスに難癖を付けられ汚される。シェーンは黙ったまま無言で立ち去る。
会議の席でシェーンは開拓者全員を紹介される。元南軍のトーリー、元北軍でハモニカが得意なヤング、アーニー、ルイス、エド、ジョンソンの6人である。ルイスはシェーンが酒場で罵倒されても沈黙したままの臆病者だと町中の人々が噂している事を皆に話す。会議の席を外し降り頻る雨の中佇むシェーン。会議では全員が一致してライカー一味に立ち向かう事を確認する。
自衛手段として翌週土曜日に開拓者全員が家族を連れ添って買い物に出かける。そこでシェーンはクリスにされた前回の仕置に対して仕返しを行い、激しい乱闘となる。開拓者達は初めは傍観するだけであったが最初は1対1であった喧嘩相手がライカーのスカウトをシェーンが断ったため6対1にまで増える。卑怯なやり方に怒りを感じたスターレットが加わり大乱闘に。酒場のオーナーでもあるグラフトン本人が仲裁に入り、スターレット側の勝利とした。スターレットは酒場を破壊した修理代は自分達で弁償するとライカー達に啖呵を切り去っていく。事の成り行きを最初から全て見ていたジョーイはシェーンの勇敢な行動に心酔する。更に銃の撃ち方を教えてもらい間近でシェーンの銃捌きを見てその早技に感嘆する。
ライカーは開拓者達との全面的な抗争を決意。シャイアンに銃の腕の立つ用心棒を探し求め雇う事にする。数日後スゴ腕の二丁拳銃の使い手であり名が知られている黒帽子と黒ベストのガンマン、ジャック・ウィルソンが現れる。
独立記念日には付近の住民はお祭り騒ぎとなる。その最中、酒場でライカー、ウィルソン達に酒を買いに来たトーリーが捲し立てる。「お前達のおかげでアーニーは出て行った。お前達には負けない。」開拓者達の集まる場に戻りトーリーは黒帽子のウィルソンを見た話をする。その夜スターレットとシェーンの所にライカーとウィルソンは現れ、牧童仕事の勧誘をするがスターレットは話を断る。
ある日開拓者のトーリーとジョンソンがクラフトンの店に買出しに行った時に悲劇がおきる。ウィルソンにトーリーが声をかけられ、南軍の事を馬鹿にされ銃を抜いたトーリーが酒場の前で撃ち殺されてしまったのだ。ライカーはこれで開拓者達は怖れをなして土地を出ていくと確信する。
トーリーの遺体はジョンソンが馬に乗せて開拓者の家に触れ回りスターレットの家まで運ぶ。スターレットは家族にトーリーの死を知らせて欲しいとマリアンに依頼、ジョンソンは遺体を家族に運ぶ。
グラフトンの雑貨店と酒場が見える近隣の高台に墓地がある。トーリーは他の開拓者家族全員に見守られ葬られる。葬儀はしめやかに行われる。葬儀後、ルイスとジョンソンはこの土地を離れる事をスターレットにつたえるが、シェーンは「町を出るべきでは無い。何故町に残るべきなのか?町に残るべき理由。それは愛する者のためだ。家族の事だよ。妻。子供達。息子。娘。彼らの将来の為に。君たち大人が未来を切り拓くのだ。」
スターレットも皆を説得する。
「その通りだ。ここは誰もが自由に暮らせる開拓地なのだから。ライカー達に土地を追われてなるものか!奴等が牛を守るなら俺たちは家族を守る。」
しかし、この地を去ろうとしたルイスの家がライカー一味に放火され焼かれる。
スターレットは更に皆を説得する「また皆で家を建て直せば良い。協力は惜しまない。それはこの場所に残る自分達の問題でもあるから。」話を聞いた周りの人々も口々に賛同し家の再建の手伝いを申し出る。
「それでは火を消す為に家に戻ろう!」ルイスと援助を申し出た者達がルイスの家に向かい消火活動を開始する。遠目からルイス達の行動を見ていたライカーはスターレットの差し金と断定してスターレット殺害を企てる。
ライカーの弟モーガンはライカーに依頼されスターレットの家を訪れ「兄貴がグラフトンの店で待っている。冷静に話し合おう」と伝える。その事に対してスターレットは「必ず行く」と返事をする。
更にライカーの所をクビになったクリスが馬小屋のシェーンを訪ね、スターレットは罠に嵌められる事を伝える。クリスはヤクザ家業から足を洗って堅気に戻るとシェーン伝え去っていった。
スターレットがグラフトンの店に行く準備をしている。嘆き悲しむマリアン。外ではシェーンが銃を着けて出掛ける準備をしている。
シェーンはスターレットに、
「俺に任せろ。ライカーは倒せたとしてもウィルソンは無理だ。」
スターレットは「必ず倒す。忠告には感謝する。」とし、話を受け入れない。必死に二人を止めようするマリアン。
シェーン「役不足だ。俺が行く。」と言うと、
スターレットは「ここで俺と闘おうと言うのか!」
シェーン「お前次第だ。」
シェーンにスターレットが突然殴り掛かり、悲鳴をあげるマリアン。
「やめなさい!」マリアンの叫びも虚しく殴り合う二人。シェーンは銃の握手でスターレットの頭を殴り気絶させる。ジョーイはシェーンに向かって「大嫌いだ!」と叫ぶ。佇むシェーン。
シェーンはスターレットの様子を見に行き、「介抱すればその内に気がつく。誰も彼を責めたりしないよ。」とマリアンに伝える。
グラフトンの店に向かおうとするシェーンをマリアンが呼び止める。
「ガンファイトはもう卒業したんじゃないの?」
「気が変わった。」
「私のためなの?」
「君たち夫婦とジョーイのためだ。」
「二度と会えないのね。」
「ああ、これでお別れだ。ジョーに悪かったと伝
言を伝えてくれ。」
「必要ないわ。待って。」
見つめ合うシェーンとマリアン。
そして握手をする二人。「どうか。命を大切に...。」
馬に乗りスターレット家を後にするシェーン。
「シェーン!ごめんよ!」ジョーイか叫ぶも声は届かない。シェーンを徒歩で追いかけるジョーイと愛犬。グラフトンの店の酒場に到着するシェーン。
酒場の格子扉を押し開けるシェーン。店内には一番奥のテーブルにライカーが座り、右手前のテーブルにウィルソンが一人で佇む。カウンターにはバーテンのウィル。カウンターを背にしてシェーンが立つ。その間ジョーイは愛犬と共に到着し店の外から見守る。
シェーンがライカーに話し掛ける。
「話を聞きに来た。」
「お前には用は無い。スターレットはどうした?」
「俺が相手だ。」
「お前と争うつもりはない。出て行け!」
2階のドアからシェーンを狙うライフルの銃口が躙り出る。
「お前は長生きし過ぎた。お前の時代はもう終わっている。」
「お前はどうなんだシェーン。」
「俺は(時代遅れの男と)自覚している。」
「お互い銃を手放して野良仕事に精出すか?」
「まだその時ではない。あんたの仲間に用がある。」
と、ウィルソンを睨むシェーン。
「図に乗るな。」
と言いながら立ち上がるウィルソン。
殺気を感じ店から出て行く二人の男達と酒場の犬。
「相手はお前じゃない」
「違ったか?」
「残念だがな。」とウィルソン。
「もう後戻りは出来んぞ。シェーン。ウィル!
お前が証人だ。」とライカーが言う。
「お前がウィルソンか。噂は聞いた。」とシェーン。
「どんな噂だ?」仁王立ちのウィルソン。
シェーン、カウンターを離れ仁王立ちになる。
「卑劣なヤンキー野郎だってな。」
「抜けよ!」
と、ウィルソンが銃を抜くや否や、シェーンの銃口から火を吹く銃弾2発!後ろにふっ飛び酒樽に埋まり動かないウィルソン。さらに3発目は威嚇発射したライカーに向けて発射。ライカーは絶命した。
ライカーの死を確認するシェーン。拳銃を人差し指で回転させてホルダーに収める。
ライカーに背を向け店を出ようととした瞬間!
ジョーイが叫ぶ「シェーン!後ろの上危ない!」
2階のライフルから発射、身を避けながら応戦するシェーン。左腕を負傷するシェーン。撃たれたモーガンも絶命した。無残な死体を後にして酒場を出るシェーン。
「シェーン!思った通りだ。勝つと信じていたよ。」
全てを見ていたジョーイが訊ねる。
シェーンは人を一旦殺めた以上、後戻りは出来ない事。人生に人殺しの烙印を押されてしまう事。これは自分の性分なのだと。真っ当な人に一度は成ろうとしたが変われなかった。心配はいらないもう銃の世界はこの場所では終わらせた。スターレット家には帰らない。強く逞しい男になれ。親孝行をしろ。そして両親を大切に。最後に頭を撫でてジョーイに言い聞かせる。「シェーン。約束するよ。」
振り返る事無く馬に乗り去っていく男。
「 Shaneー!Come Backー!」
墓場を越える馬影。傷付いた流れ者の運命は厳しく儚い。
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監督ジョージ・スティーブンスの考えるアメリカ人の良心とは何かが脚本や映像の端々に至るまで見事に反映され、創り上げている西部劇の不朽の名作。
1950年代頃までは普通にあったアメリカの国民性を感じる事ができる内容となっている。現在は社会的ダイバーシティが進んだので歴史的な感性論となってしまった。それでも監督の想う開拓者魂の感性は現在もアメリカ国民に受け継がれ、生き続けている。
1974年頃 渋谷東急
⭐️5
今さら
西部劇の定番、西部劇好きな人皆な好き
静かな男の怒りが最後に爆発する時代劇、西部劇共通のカタルシス
家族や近隣住民との情緒的な交流
難をいえば
もうちょっと可愛い子いなかったのかな?
ラッド先輩、撃つときに眼をつぶっちゃだめです
【”遥かなる山の呼び声。”今作は、流れ者の早撃ちガンマンであるシェーンが、世話になったスターレット家の幼き少年ジョーイに身を持って見せた、人道を歩む漢の生き様が沁みる名品である。】
ー 今作は、小学生時代に映画好きの父に勧められて観た作品である。通常は20時になったらベッドに入るのが決まりだったが(高学年になると、そこから読書一時間を認めてくれた。)週末に映画を観る際には、その基準を緩めてくれたのである。
チャールズ・チャップリンの諸作品など、人間の善性を描いた作品が多かったと思う。
今作を観た時には、アラン・ラッド演じるシェーンが早撃ちにより悪漢を斃し、颯爽と去ると言う勧善懲悪映画だと思っていたモノである。
だが、久しぶりに鑑賞すると、少し違った感想を持ったので、それを簡潔に記す。-
■誰でも知っている粗筋
開拓移民のスターレット家に身を寄せることになった旅人・シェーン。この地では開拓移民達と横暴な牧場主・ライカーの間で土地をめぐる諍いが起こっていた。やがて、スターレット家にもその騒動が飛び火してきた時、シェーンは単身でライカー一味との対決に向かう。
◆感想
・流れ者のシェーンはある日、馬に乗ってフラリとスターレット家に辿り着き、一杯の飲み水を貰う。スターレット家の家長であるジョーは警戒するが、そこに、ライカー一味がやって来て、ジョーに暴言を吐くがシェーンはジョーの側に着き、彼らを追い返す。
そして、ジョーはシェーンに妻マリアンお手製の夕食を振る舞い、ショーンはスターレット家の作業を手伝い、ジョー、マリアン、そして息子のジョーイと心を通わせていくのである。
この一連の流れを、極自然にこの映画は見せるのである。
■シェーンは、町の酒場でライカー一味から、嫌がらせを受けるが彼はジョーの言いつけもあり、取り合わない。
だが、シェーンは腰抜けだという噂が流れ、次にライカー一味と酒場で会った時に、彼は自分を侮辱した男を、叩きのめしライカーの甘言を受け入れる事無く、ジョーと共にライカー一味を完膚なきまでに叩きのめすのである。
この一連のシーンでは、シェーンは常に”後の先”のスタイルを崩さないのである。これは、今作後の西部劇に大きく影響を与えていると思う。
・ライカー達が雇った殺し屋ウィルスンが、開拓農民のトーレーを早撃ちで殺害するシーン。ウィルスンは、早撃ちであるが故に、トーレーが銃を撃つ前に、撃ち殺している。
・それを知ったジョーはライカーの誘いに乗り、会いに行こうとするが、、シェーンは彼を力づくで止め、一人酒場に向かうのである。
そして、そこで待っていた殺し屋ウィルスンに対し”卑劣なヤンキー野郎”と言い放ち、ウィルスンがシェーンに”抜けよ”と言った瞬間に物凄い早撃ちでウィルスンを撃ち殺し、更に発砲して来たライカーも撃ち殺すのである。
更に二階にいたライカーの弟に対しても、心配でついて来ていたジョーイの咄嗟の掛け声で、相手が発砲した後に撃ち殺すのである。
このシーンでも、シェーンは”後の先”のスタイルを守っていると思うのである。
<そして、シェーンはジョーイの一緒に帰ろうという言葉に対し、”人を殺してしまえば、もう元には戻れない。殺し屋の烙印は一生ついて回る。”と言い、ジョーイに”逞しい男になれ。”と言って、ジョーイの”シェーン、カムバック!”と言う声がワイオミングの高原にこだまする中、振り返る事も無く馬に乗って去るのである。
今作は、一人の流れ者のガンマンの、人道を歩む漢の生き様が沁みる名品なのである。>
シェーン、髪バック!
アメリカの銃社会問題を知った後に観ると、妙に納得してしまう。母親が息子に銃の使い方を教えるシェーンを嗜めるように言った時、「いい使い方と悪い使い方がある」との返事、この考えが全てなんだろうな。最後にもからんできますが・・・
そんなことは抜きにして、いい映画です。一番印象に残った、トーリが早撃ちウィルソンに撃たれるシーンはすごかったです。それから、ジョーと殴りあった後の母マリアンの握手、これは見ていて気持ち良かった。
それからそれから、「銃はもう無くなった、とお母さんに伝えてくれ」とこの台詞!好きです。多くを語らないシェーンだけど、銃による死を軽く見ていないところはこの時代にしてはすごいですよね。
それから、それから、それから、ウィルソンとのガン対決の寸前に犬が通るところ!助演ワンワン賞ものだ・・・・
【小さい頃から何度か観てるけど、2004年ケーブルテレビにて】
やっぱりラストシーン
アランラッド扮する流れ者シェーンは、ブランドンデワイルド扮するジョーイスターレットのところへやって来た。ジョーイはシェーンにライフルを見てもらいたかった。ライカー一味がスターレット家に出て行けと言って来たのでシェーンはスターレット家に滞在することにした。
けんかはいいけど店がめちゃくちゃだね。この映画はやっぱりラストシーンのシェーン、カムバッ~クと言うジョーイの透き通った声が全てだね。
シェーン、カムバーック‼️
この作品は世界最高の西部劇の1本ですね‼️日本で言えば時代劇の股旅モノ‼️シェーンはある村のある一家に滞在し、彼と村を襲う無法者を倒し、そして去っていく・・・とにかく全編にわたってジョーイ少年のシェーンに対する憧れが溢れていて、ほのぼのとさせられるというか胸が熱くなります‼️グランド・ディートン・マウンテンズの大自然の美しさ、そしてあの有名なテーマ曲が流れる‼️ジョン・フォードの「荒野の決闘」に並ぶ詩情性ですよね‼️そして当時の開拓民たちの生活風景や酒場での大乱闘、シェーンとウィルソンの "0.6秒" のガンファイトといったリアリズム‼️とにかくシェーンのガンプレイが早い‼️私もたくさんの西部劇を観てきましたがアラン・ラッドが歴代ナンバーワンでしょう‼️これからも何回も何回も観たい作品ですね‼️ところでこの作品には都市伝説が二つ‼️冒頭、シェーンが初登場するシーンで小さくバスが映っているらしい。初見時に観たような気がしたので、Blu-rayで確認したら映ってない。CG処理されたか❓そしてラスト、去っていくシェーンが既に死亡しているという説‼️シェーンのラストカットを観るとうなだれているようにも見える‼️まぁこれは観る者の判断に委ねるということですか・・・
古典の名作。感動のラスト
あの有名なラストシーン。
今となっては、自分を誰に投影してこの映画を見るのか、それによってずいぶん見え方が変わってくる映画だろう。
私なら、影の薄いダメ亭主か。。。
昔は、シェーンにあこがれる幼い少年の目線で見つめていたが、もうそんな年でもないし。
最近「ROGAN」というアクション映画で、オマージュされていたが。
なぜかSF映画好きには縁の深いアラン・ラッドつながりだろう。
それにしても、昔の映画って、悪役が憎たらしくてはっきりしてたな。
2017.11.29
『大草原の小さな家』の本当の姿だと思う。
先住民(原住民)から奪い取った土地を奪い合うそんな話。『大草原の小さな家』の本当の姿だと思う。アメリカが銃社会になっていった理由がよく分かる。まぁ、それは兎も角。ロケ地の美しさが良いので、それだけは評価する。
子供の頃見た時、ジャック・パランスのあっけない死に様が心動かされた。サンダース軍曹に殺されるドイツ兵みたいに。
ヤンク(北軍)はヤンキーの事か!元北軍が南軍を侮蔑して殺す。何を意味しているのか?
誰よりも弱い男たち
土地権利者vs開拓者という構図で繰り広げられる仁義なき領地争い。既に多くのレビューで指摘されている通り、この構図からはネイティブ・アメリカンの存在がまったく欠落している。
これを都合のいい歴史修正主義と断じることも可能だが、それよりはむしろ、ネイティブ・アメリカンの記憶が全く背景化してしまうほどに熾烈な領地争いが今も連綿と続いていることの示唆としての側面が強いように私は思う。
さて、領土をめぐる各々の思惑はもっぱら男たちの暴力によって代弁される。自らの生活を墨守する手段として認可されたこの暴力は、男たちの間で唯一無二の価値として崇め奉られる。喧嘩が強いとか、銃を持っているとか。
しかし暴力はいつしか手段から目的へと転じていく。酒場での殴り合いのシーンで血まみれのシェーンとジョーが交わす微笑には、暴力に対する恍惚的な満足が明らかに萌していたといえるだろう。
そんな男たちとは対照的に、女たちは「こんな土地捨てて逃げましょう」と哀願する。しかし男たちはそれを聞き入れようとしない。適当な理由をつけて女たちを土地に束縛する。なぜなら暴力を捨てて土地から逃げ去ることは男というコードから降りることに他ならないからだ。
暴力は加速の一途を辿るばかりだ。しかし誰もが男のコードから降りようとしない。というか降りられない。マッチョイズムの不毛なチキンレースは遂に死者さえ出してしまう。
何事も暴力で解決しようとする男と、男の暴力によって口を塞がれる女。その圧倒的な力量差は男vs女という二項対立の可能性すら無効化してしまう。もはや誰も暴力を止められないのか。ここで印象的な役目を果たすのがジョーイ少年だ。
ジョーイ少年は子供だが、そうであると同時に男でもある。したがって周囲の男たちの暴力性にうっすらと憧憬を抱いている。しきりに銃を欲しがったり、酒場の殴り合いに興奮したり。彼が最も尊敬していたのは、男のコードの最上位に君臨するシェーンだった。
シェーンは強い。喧嘩の腕も射撃の才能も並外れている。ジョーイ少年は彼のそんな「男らしさ」を羨望し、シェーンもまた彼に「男らしさ」を伝授しようとした。
しかしシェーンは自分が密かに想いを寄せるジョーイの母親が反暴力を訴えて泣いているにもかかわらず、お構いなしに「射撃ごっこ」に明け暮れるジョーイ少年のことを見て、暴力に対する反省の視点を得る。
無垢な子供であるジョーイ少年が暴力にまみれた男のコードに足を踏み入れようとしていることの危うさに、彼はそのとき気がついたのだ。
シェーンは誰の力も借りず、たった1人で土地権利者の溜まり場に赴く。そして殺し屋共々皆殺しにする。もはや引き下がれない境位にまで暴力に染まりきっていた彼には、そうする以外にジョーイ少年を「男のコード」から引き剥がしてやる術がなかった。彼はその一身にすべての暴力を引き受けたのだ。
そしてその呪われた身体ごと永遠に土地を去る。
シェーンは今生の別れを惜しむジョーイ少年に「もう銃は必要ない」と教える。長きにわたる暴力の独裁が、今まさに終焉を迎えたのだ、と。
そして彼は馬に乗ってどこかへと消えていく。「カムバック!」というジョーイ少年の悲痛な叫びに背を向けたまま。
私はこの映画を見て『真昼の決闘』を思い浮かべた。倫理を主題化した西部劇として、本作と『真昼』はきわめて存在感が大きい。『真昼』は主人公の孤独なダンディズムを妻の介入によって不恰好に阻止することを通じて、西部劇における男性中心主義の部分的解体に成功していた。
これらの作品に共通するのは、「子供」とか「妻」とかいった全き外部性によってしか自らを他者化できない男たちの弱々しさだ。そして暴力はそのフラジャイリティを隠匿するための言い訳に過ぎない。
本作において暴力は、男の力強さを誇示するどころか、むしろ男の根本的な弱さを露呈させるものとしてアイロニカルに描画されているといえる。
手に入れたかったもの
有名なラストシーン。
そこから、母子家庭を助けて去るハードボイルドだと思っていたら、全く違った。
主人公からして違う。ジョン・ウェイン氏系のごつい男だと思っていたら、なんと頼りなげな甘いマスク…。もう一人は、日本だったら悪役か、エキストラ系の眉毛繫がり男。(かわいいと思い込んでいた)男の子はドングリ眼だし…。借りてきた映画を間違えたかと思った…(笑)。
領地争い。
この土地は誰のものか?って、「ネイティブ・アメリカンのものだよ」という正論は、映画が製作された時代的に、なかったことになっている。
当時凶暴なということにされている”インディアン”を追い払い、それなりの安全を確保したカウボーイたちが、後から来た農場主に土地を奪われ…(自分たちがやったことをやり返されているだけじゃないかというツッコミは置いておいて)。
とはいえ、農場主は農場主で、新しくできた法律に基づき、その土地を開墾しているのであって、違法なことをしているのではない。
国を発展させ、移民してきた人々に生活の糧を与えるためとはいえ、なんという無茶苦茶な法律を作るのか。そして、その法律を機能させるための、政府のアフターフォローはない。すべて自分の力頼み。
自分と家族を守り、夢をかなえるのは自分の力。アメリカン・スピリットの権化のような一家が、この映画の本当の主人公。そして、その家族に加担する風来坊。
硬直した事態がどう動くのか。
どっちの言い分も決して間違っていない。そして、どちらも自分の主張を譲らない。
広大な土地。とはいえ、元々作り出さずに、その土地にあるものを使って生きる放牧民には、想像以上の範囲の土地がいる。開墾組の農場主にとってだって、土地ならばどこでもいいわけではない。禿山を何ヘクタールももらっても意味がないように、耕作に適した土地でないと意味はない。それだって、汗水たらして開墾しないと…。
だから、お互い必死なのは必然。
とはいえ、交渉はしてくるが、オール オア ナッシング。すべてを手に入れるか、そうでないかだけ。譲り合い・分かち合い等の、共存の道を探るという選択肢はない。農場主は権利の主張だけで、交渉すらしない。
これがアメリカの原点?
シェーンの活躍を描くだけの映画ではない。
スターレット一家の決意と苦渋。それが本筋。
だから、終盤、スターレットとシェーンの殴り合いが長い。シェーンを格好よく見せるためならば、一発でのしてしまえばいいのだが、アメリカン・スピリットを体現するスターレットをそんなに弱く見せるわけにはいかない。
映画としての見せ場であろう、ラストのガンファイトより長く感じる。
その、シェーンとスターレットの殴り合い場面の見せ方がおもしろい。
正直、シェーンを演じたラット氏は大根役者。また、アクション監督はいなかったのか、この場面でも、他のシーンでも、アクションの見せ方はうまくない。
だからかどうかは知らぬが、ここの場面、殴り合い場面はあまり見せない。家の中から、妻が心配して叫んでいるシーンで見せきる。
そんな風に、直球ではなく、演出で見せてくれるシーンが幾つかあり、面白い。
(馬に追いつくジョーイの健脚みたいなツッコミどころも多数あり。ラストシーンのために目を瞑ろう)
--蛇足:しかし、主演はなぜラット氏なのか。ガンマンとしての立ち振る舞いも様になっていない。フリンジのついた衣装やガンベルトにも着られているように見える。
特に、バランス氏が登場してからは、バランス氏が決まりすぎて、どうしてもラット氏のアラに目が行ってしまう…。
バランス氏に比べて、ラット氏の泥臭さが、スターレットの仲間として良いのか?確かに、バランス氏が開墾しているところは想像できない…。--
ラスト。シェーンが立ち去る理由に死亡説があると知る。
う~ん。死ななくても、戻ってこなかったと私は思う。だって、農場を去るとき、作業服ではない元の服を着ているよ。妻とお別れしているよ。スターレットをのして行ってはいるけれど、ある意味、スターレットの顔つぶしているよ。
そしてシェーンの台詞「人を殺したら~(思い出し引用)」。自分の行動への覚悟。
死を覚悟して敵地に赴くシェーン。
袖すり合うも多生の縁、というだけではなかろう。
自分の命を懸けてまで、安住の地を捨ててまで守りたかったもの。
そもそも、草鞋を脱いだのはどうして?同じ風来坊ながらも、『用心棒』の桑畑三十郎とは違う立ち位置。
スターレット家への想い。妻へのほのかな思いもあろうが、それだけではないのではなかろうか。
お互いを愛しみ合う家族。暴力のない暮らし。自分の技を継承してくれる存在。シェーンがつかの間に得た生活。
シェーン、スターレット、ライカーがそれぞれ、手にしたかったもの。その方法。そして、彼らの去就。
人の道・法に基づき行動したスターレット VS 人の道・法を超えてしまったライカーとシェーン。
暴力による解決の終焉。
シェーンの背中の寂しさに、胸を揺さぶられる。
4回目の視聴です 自宅で買ったばかりのプロジェクターで初使用の記念...
4回目の視聴です 自宅で買ったばかりのプロジェクターで初使用の記念に80インチの大きさで見ました 初めて見たのは高校生の時、塾の先生のお薦めで家族そろってリバイバルを見に行ったのを今でも覚えているくらい感動しました 改めて今回見たけれど結構忘れているシーンはありました ジョーイがシェーンと父親がけんかをしたとき、シェーンが鉄砲で父親を殴って倒したとき、「シェーン大嫌い」と言ったことは完全に忘れていました その後の展開は覚えていたけれど、やっぱり景色はきれいでラストシーンではわかっていてもうるうるくるくらい印象的でした このラストシーンがなかったらこの映画の評価はどうなったのかなんて思ってしまいます 死ぬまでにもう一度見たい映画です
古い映画は良いね
まず奥さんの美しさにうっとり。この時53歳?驚くほど若く綺麗。シェーンも凄いイイ奴!!シェーンはたまたま通りかかったある開拓者の家族と仲良くなります。そして大好きなその家族の為に、ひと肌脱ぐのです。マリアン(母)がジョーイ(息子)にシェーンを好きになり過ぎないで!と注意するシーンがあるが、それは同時に自分にも言い聞かせているようにも思える。彼が決闘に行きたいジョー(父)を止めずに居たらひょっとするとマリアン、ジョーイと家族になれるかも知れないのに。シェーンはとても情に厚く、義理堅い。時々アップになる息子の表情がまた可愛い!
登場人物みんな良い人だったしそれぞれの気持ちに感情移入出来たので、とても切なくジーンとくる良い映画でした!ラストでジョーイが「シェーン!!」と何度も叫ぶのですが、耳に残って離れません!印象的なシーンです。
何度観ても感動する西部劇の傑作。 シェーンと子供の別れのラストシー...
何度観ても感動する西部劇の傑作。
シェーンと子供の別れのラストシーンはあまりにも有名だけどそれと同じぐらい出会いのファーストシーンも大好き。決闘シーンの拳銃さばきも見事。名作の中の名作。
ざ!西部劇!という映画
DVDにて。西部劇の金字塔とのことで鑑賞。
確かに名作。
荒野の大草原での美しい風景。汗水流して働く農民の生活。当時の既得権益であるカウボーイ。既得権益であるカウボーイと、新興勢力である農民との間の交渉。酒場。得体の知れない殺し屋。男と男と女の三角関係。個人の利益を超えた友情。そして決闘。全部盛りみたいな映画だった。
シェーンや農民たちの大人な男としての振る舞いが最高にカッコいい!自分の子供が男の子だったら見せたい映画でござる。まぁバカなクソガキにはこの映画の良さは分からねーだろうがw
男の背中に漂う哀愁
総合70点 ( ストーリー:60点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
南北戦争が終わり米国にも近代化と法治がある程度浸透しつつも、まだ地方では治安維持が確立していない微妙な時期。悪い地主とそうじゃない人との対立を描いた平凡な物語。
銃使いとして生きてきたであろうシェーンの、銃を封印して新たな生き方を模索するけれどもやはりそうはいかず一人旅立つ流れ者人生に哀愁が漂う。物語はよくあるものでも、この振り返らない男の哀愁の後姿にやはり得点をつけてしまう。シェーンはどのような人生を歩んできて、今後はどこに向かうのだろうか。
独立記念日の場面で一部本物ではなくで撮影所での作り物の美術での撮影は質が下がる。ここは普通に外で撮影で良かったのではないか。
シアタス調布にて観賞(午前10時の映画祭)
スクリーンで改めて観てみると発見が多かった。
悪人サイドが意外に法律遵守にこだわっており言い分に一理はある点、銃声の大音量など。
ラストシーンも死の匂いがプンプン。
やはり丁寧な造りだが、個人的には少しスケール感が欲しかった。
ジャック・パランス扮する死神のようなガンマンが一番印象的。
とてもよかった
大昔テレビで見て、すっかり忘れていたので新鮮だった。シェーンがそれほどスーパーマンでないところがいい。お父さんと一緒に顔に傷を作っているところがよかった。超絶に強いよりも殴られてそれでも立ち上がって戦う姿が素敵だった。敵の早撃ちのガンマンもかっこよかった。またそのうち見たい。
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