最後の誘惑

劇場公開日:

解説

ニコス・カザンザキスの原作を基に、神の予言者としての役割と、1人の人間としての欲求との狭間で悩むキリストの姿を描いてゆく。エグゼクティヴ・プロデューサーはハリー・ウフランド、製作はバーバラ・デ・フィーナ、監督は「ハスラー2」のマーティン・スコセッシ、脚本は「モスキート・コースト」のポール・シュレイダー、撮影は「ガラスの動物園(1987)」のミハエル・バルハウス、音楽は「バーディ」のピーター・ガブリエルが担当。出演は「サイゴン」のウィレム・デフォー、ハーヴェイ・カイテル、バーバラ・ハーシーほか。

1988年製作/アメリカ
原題または英題:The Last Temptation of Christ
配給:UIP
劇場公開日:1989年1月28日

ストーリー

紀元前1世紀のパレスチナ。神への到達を目指すナザレのイエス(ウィレム・デフォー)は、まだ顕れることのない神からの啓示を待ちわび、日毎深まる精神的、肉体的苦痛に耐えていた。ユダヤ教会からイエスの刺客を命ぜられるユダ(ハーヴェイ・カイテル)は、砂漠で神に清められたという彼の姿に畏怖に似た思いを抱き、殺さずしばらく共に行動することにした。ユダはやがて、淫婦と蔑すまれ折檻をうけているマグダラのマリア(バーバラ・ハーシー)をかばい、群衆に山上の説教を始めるイエスに、彼こそが国を統一する救世主かも知れないと思い始めるのだった。そしてイエスは、洗礼者ヨハネ(アンドレ・グレゴリー)の死を知って悪魔と戦う決意を示し、ガリラヤ湖周辺で病人を治して歩く彼の評判は次第に高まってゆく。しかし、すっかりファリサイ人の商売の場と化してしまっているエルサレムの神前で怒りをあらわにするイエスを、ユダヤ教司祭たちは尊大な奴と苦々しく思い始める。常に神の御心に添っていることをと祈りつつも、ついに力尺きてしまったイエスはユダに寺兵への密告を依頼するが、最後の晩餐の席でなおも十字架の死以外の道はないのか、と問いかける。過越の祭の夜、捕われて鞭打ちの刑に処されたイエスは、ローマ総督ピラト(デイヴィッド・ボウイ)にゴルゴダの丘での処刑を命じられる。十字架に礫られ神に祈るイエスの前に1人の少女が現われ、神はあなたを試されただけとイエスを十字架から解き放つ。彼はマグダラのマリアと愛を交わすが、彼女は神によって命を召される。落胆するイエスはラザロのマリアとの間で家庭を築き始めるが、ある日イエスの復活を説くパウロ(ハリー・ディーン・スタントン)から、私のイエスはあなたよりずっと偉大だと冷たく言われ、深い衝撃をうける。時は流れエルサレム滅亡の日、今まさに死なんとするイエスの枕元にかつての弟子達が次々に姿を現わし、怒りをあらわにするユダからあの天使の正体は悪魔だとぶちまけられ、愕然とするイエスは、私を救世主にして下さいと神に祈る。その瞬間、イエスの身体はゴルゴダの十字架の上にあった。悪夢からさめた彼は微笑をうかべ、これで救われたと神に感謝するのだった。

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映画レビュー

0.5これは何?

2024年8月3日
PCから投稿

全くわからん。 そもそも何でジーザスが白人なんだ? これは誰か敬虔なキリスト教徒に頼まれて作ったのだが 監督自身がキリスト教に興味ないので皮肉で作ったのか? あるいはその頼んできた人が実はクソ野郎なので わざと こういうものを作って笑ってんのか?

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タンバラライ

4.0極めて野心的な傑作映画であると思いますが、正しく本作を評価できるのは、日本のような異教徒の国だけなのかも知れません

2021年12月21日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

敢えてクリスマスに鑑賞しました

同名の1951年発表の原作小説を映画化したものです
原作者はギリシャ人の小説家ニコス・カザンザキス
1964年公開のアンソニー・クイン主演のアカデミー賞3部門受賞映画「その男ゾルバ」の原作者でもあります

ギリシャは、キリスト教といってもギリシャ正教の国
「その男ゾルバ」はクレタ島が舞台ですが、その劇中でも英米とは全く違う宗教であるというのが、現地の人々の考え方でした

そして隣国トルコとは、それこそ数千年もの間支配したり、されたりの繰り返しの歴史です
宗教も1500年以上、イスラム教と対峙する最前線でした

なので原作者も欧米人とは少し違う考え方で、キリスト教を捉えているようです

日本人ならもっと違うでしょう
そもそも殆どの日本国民は異教徒です
ですから、本作の内容に衝撃も怒りも反発も感じることは無くて観ることができるのは当たり前なのです

普通の日本人からすれば、そういう解釈もあるのかというあくまでも知識としてのひとつの考察に過ぎないのです

それゆえに自分には、本作で描かれた解釈にこそ処刑前のイエスの言葉に納得性と整合性があり、腑に落ちるように感じました

神や教会への冒涜とも感じません
むしろ、神とイエスについて深く考えぬいた原作者の信仰の深さを感じます

スコセッシ監督に取ってはどうでしょうか?
映画監督になる前は、神父を目指していた程の信仰の篤い人ですから、原作の内容は彼に深い衝撃を与えたのだと思われます
反発と納得の狭間の葛藤を長い時間をかけて、自分の中で腹に収まった考え方なのだと思います

そして、この小説をなんとしても映画化したいと熱望したのです
それこそかって神父を目指していて、気がつけば映画監督になった自分が、本作こそ神に選ばれて映画化しなければならないという使命感に駆られた作品だろうと思えるのです
それが自分の信仰の深さの証になることだという監督の信念を感じるのです

本作は、当初「キング・オブ・コメディ」の次の作品として撮るつもりで準備を進めていたそうです
しかし、その最初の映画化の計画は、多くの反対にあい断念させられてしまったのでした

その代わりに監督が製作したのは、1985年の「アフターアワーズ」でした
その作品は、なんて自分は不運な男なのだという嘆きの映画のような作品でした
かろうじてラストシーンは、それでも仕事に向かう主人公で締めくくっていました
そこには、なにくそ!負けるものか、挫けてたまるか!という監督の意地のようなものが感じられました

ところが、そのヤケクソで作った「アフターアワーズ」がどういうわけか、カンヌ国際映画祭監督賞受賞をはじめ、数々の映画賞を受賞したりノミネートされてしまうのだから不思議なものです

もしその作品が映画賞をとれなくて、ろくにヒットもしなければ、一度映画化企画が潰れた本作が1988年公開作品として、また始動するなんてことはなかったでしょう

これこそ神のお導きということかもしれません
スコセッシ監督からすれば「奇跡」に見えたと思うのです

内容は1971年の映画版の「ジーザスクライスト・スーパースター」と似て、ユダに焦点が当たっています

その作品では、イスラエルの現地ロケでありながら、敢えて現代劇風の衣装なセットで撮ることで、普遍的な物語であろうとしていました

それに対して、本作ではできる限り当時をリアリティをもって再現していくこと追求する
そういう姿勢です

現代劇風にするという手法は、普遍的な作品を目指すという一方で、批判からの逃げであるともいえます
聖書に書かれていることを、具体的にみせるというのは批判を怖れることなく、自らの思うことを映像として全て具象化する挑戦的な製作方針であると思います

土地の風景、人々の姿形、当時の衣服、住居、市場
そんなものですら批判を受けてしまうでしょう
最新の研究成果にもとづいて出来る限り、新約聖書の時代正確に再現きたものであったとしても、それは教会に飾られている宗教画とはほど遠い姿なのですから

まして、教会の正式な解釈と違う内容をテーマにすえるとなれば相当な反発がまきおこるのは
目に見えています

それを百も承知で、スコセッシ監督は本作を作りあげたのです

見事な作品であると思います
傑作というべきだと思います

しかし欧米においては微妙な宗教的な軋轢があり、観客にも、批評する側にも、映画賞で評価する側にとっても、真正面から本作を賞賛しても、批判しても、なにかしら波風をたててしまうでしょうから、触らぬ神に祟りなしで、あえて論評しない、避けて通る状態になって居るように思えます

日本でも、本作のように真正面から宗教についての映画を撮ればどうなるか?容易に想像できると思います
ネットで大炎上間違いなしです
というか、撮ることすらできないでしょう
撮れるとすれば、宗教団体がスポンサーとしてその注文通りの映画だけだろうということも簡単に想像できます

だから本作は極めて野心的な傑作映画であると思いますが、正しく本作を評価できるのは、日本のような異教徒の国だけなのかも知れません

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あき240

3.5ナザレのイエス

2021年11月21日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

興奮

難しい

キリストの知識もなければ宗教観や存在自体もアヤフヤで何を感じて如何やって観るべきなのか戸惑う。

裏切りのユダは救世主として全うすべき頑なな意志を持ち、その意志にすら揺らぎながらも神が与えた試練を全うするイエス・キリストの人間としての欲望から逃れられない、神である存在なのかも謎に思える。

レアな姿を披露するジョン・ルーリーの長髪で髭ボーボーな違和感、目立つ役柄のハリー・ディーン・スタントンの存在感、キリストを演じる説得力が抜群なウィレム・デフォー、キリストにダライ・ラマや江戸時代のキリシタンとスコセッシが描く崇高な映画三部作からの一作目となる本作って認識で宜しいかと??

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万年 東一

3.5イエスの人間性

2020年8月20日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

個人評価:3.7
イエスの磔刑までの経緯を、同ジャンルの作品とは、違う視点で描かれている。
イエスは最初から、超越し悟りをひらいた存在ではなく、苦悩、葛藤、弱さを抱え、また間違いや後悔を繰り返し、最後の時に辿り着く。そして最後の死の瞬間にまで、生への執着、家族をもち寿命を全うしたいという、当たり前の欲求を持ち続けている。人間らしい根本的な誘惑は、イエスにも例外なく、最後まで立ちはだかる。
本作の冒頭に説かれている様に、まさにイエスは救世主と人間との狭間で葛藤していたという、独自の視点が興味深い。

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カメ