生きる(1952)のレビュー・感想・評価
全93件中、61~80件目を表示
私達はみなミイラかも知れません
正に神作品
日本映画の枠を超えて世界の映画の中でも屈指の名作だと思います
黒澤監督作品の常連俳優と言えば三船敏郎と志村喬
その志村喬の恐ろしいまでの鬼気迫る演技が全編に満ちています
胃癌による余命宣告による死を意識した事でのマインドセットの転換という劇中の設定になっています
しかし本作のテーマは死を意識したという前提では決してありません
渡辺課長はミイラとあだ名をつけられています
今風にいうならゾンビでしょう
生きているのだか、死んでいるのだかわからない
いや魂は死んでいるのだが、でも生きているのです
役所批判が本作のテーマなぞでは毛頭ありません
それは主人公が生きながら死んでいることを演出として説明するためのものに過ぎないのです
大きな組織はみんな大なり小なりそんなものです
誰もが、家族のために、独身であれば自分が生き残る為に、その為に自己を殺して生きているのです
ミイラのようにならないで働けているひとは本当に幸せです
そんなあなたは、とよのように確かに生きていると言えます
あるいはこれからミイラになってしまうのかも知れません
病院で看護婦さんが言うベロナールは当時の睡眠薬の名前です
無論大量に飲めば死にます
市電の脇のおでん屋むさしで出会う小説家が、店の主人に家で待つ編集者に原稿を届けにいくついでに買いに行かせたアドルムも睡眠薬です
この小説家のモデルはこのアドルムという薬の名前とその後の行動と言動から、なによりその風貌、衣装、丸眼鏡から破滅型の小説家として有名な坂口安吾その人で有ることは明らかです
彼は当時覚醒剤とアドルム中毒で精神錯乱の末、入院して世間を騒がせたことで有名です
その彼がモデルの小説家が渡辺課長に、与えられた生命を無駄にするのは神に対する冒涜だと諭すのです
渡辺課長が黒い犬に酒の肴を落として食べさせるのを二人がじっと見るシーンは、彼が生きる意欲を喪失していることを象徴するものでした
小説家は言います
あなたはこれまで人生の下男だった
人生を楽しむことは人間の義務だと
ゾンビが生きていることを実感するには、これもまた真理です
彼は渡辺課長に人生の快楽を教える代わりに、代償に魂を要求しない善良なるメフィストの役を務めると言います
つまり悪魔の誘惑と言うわけです
メフィストフェレスの化身は黒い犬です
だから彼はおあつらえ向きに黒い犬がいる、早く案内しろというのです
渡辺課長が新しい帽子を被って行く静かなカウンターのバーは文豪が通う店で有名な銀座5丁目のルパンがモデルでしょう
店の雰囲気とカウンターの上のランタンが似ています
きっとそれ以外の彼が連れ回すお店は全部モデルがありそうですが残念ながら浅学で分かりません
新しい帽子は、彼の新しいマインドセットを象徴する記号として全く見事な演出です
しかし引き連れわました果ての娼婦と一緒のタクシーの中で、渡辺課長の余りの哀れさに、自分は悪魔足り得ないと片手で顔を覆い伏せるのです
彼が教えたような快楽では、最早生きている意味を感じこともできず、魂が満たされないほどに、渡辺課長が冷たく死んでいるミイラだと知ったのです
ゾンビになってさ迷う渡辺課長は、結局とよから自分の魂が満たされうる本当の喜びとは一体自分に取って何なのかを掴むのです
ウサギのオモチャの象徴する、シンプルなことでも魂が充足する喜び
そしてハッピーバースデーの歌
本当に素晴らしい感動的な演出でした
特にハッピーバースデーはエヴァンゲリオンの最終回のおめでとうのシーンはこのシーンのオマージュだったのかも知れません
それこそ胃癌という十字架を背負ったキリストが復活した瞬間でした
そしてグダグタの通夜のシーンこそ、エクセホモなのです
この人を見よ!のシーンだったわけです
回想のシーンとは鞭打たれるキリストの光景なのです
そして彼は奇跡を成し天に召されたのです
私達もミイラかもしれません
大野係長は課長に昇進するとたちまちかっての渡辺課長と瓜二つになっています
糸こんにゃくの木村も結局椅子を蹴って立ち上がったものの書類の山に顔を隠すのです
橋の上から背中を丸めて新公園を見下ろしてとぼとぼと去る姿は、彼もまたかっての渡辺課長そっくりです
何の為に生きているのか?
渡辺課長のように新公園を残すような立派なことをなすことでなくてもよいのです
とよのようにオモチャの製品を作ることに喜びを見いだすことでも良いのです
それこそ小説家の言うように快楽の為であっても良いのだと思います
日々を無感動に生きること
それはミイラなのです
死を宣告されたひとや老人だけが渡辺課長ではないのです
中高生でも、大学生でも、新入社員であってもミイラになりえるのです
あなたはミイラになっていませんか?
渡辺課長になっていませんか?
それこそが本作のテーマなのだと思います
死期がせまったからの話ではありません
人間はいつかは必ず死ぬものです
必ず老いるものです
生きているという実感を味わうように貪欲になるべきなのです
ブランコに乗って主人公が歌う有名シーン
「♪いのち短し 恋せよ乙女」の歌い出しで始まるゴンドラの唄です
その歌詞こそ本作のメッセージそのものです
死に直面した時の人間の在りようの難しさをひしひしと感じた。鬼気迫る...
死に直面した時の人間の在りようの難しさをひしひしと感じた。鬼気迫る志村喬の目つきが怖かった。所詮死んでいく気持ちは自分自身でしか分からないものであり取り巻く人々は自分の都合のよい解釈を後づけで語る。時間の経過とともに存在していたことはいずれ消え去ると思うと「生きる」という切なさが募った。
人が真に生きるとは?
DVDで2回目の鑑賞。
原案(イワン・イリイチの死)は未読。
これまで堅実に仕事をこなして来たが、「何も成していない人生だったのでは?」と気づいた時、苦悩する真面目気質の主人公・渡辺氏の姿はあまりにも悲惨で、これまでやったことの無い夜遊びに手を出すなど、その迷走に心が痛みました。
息子夫婦にあらぬ疑いを掛けられて冷たい態度を取られるところも絶望を加速させていくようでした。
男手ひとつで育て上げた息子にそんなことを言われるだなんて、想像もしていなかったことでしょう。
悲嘆に暮れる中で出会った同僚の事務員・とよとの交流を通して、「何か出来ることがあるはずだ」と成すべきことを見出し、カフェを飛び出して行く場面が印象的でした。
階段を降りる渡辺氏に「ハッピーバースデー」が重なり、彼の新たな誕生を象徴する演出に唸りました。
人生の終わりに生き甲斐を見つけた渡辺氏のエネルギッシュに活動する姿に涙を禁じ得ませんでした。一切の忖度をせず活動した結果、公園整備は完成の運びとなりました。
その新公園のブランコで彼は生涯を閉じることに。
葬儀の席で同僚や上役の面々が渡辺氏の情熱的な活動ぶりを回想。ある者たちはいたたまれなくなって退席し、ある者たちはその働きを見習おうと心に誓っていました。
ですが翌日にはこれまで通りの「公務員」の姿が。
ひとりは怒りに立ち上がるも、雰囲気に呑み込まれてしまう始末。世の中そんなもんなのだろうかと、かなり世知辛さの残るエンディングに考えさせられました。
[余談]
お役所仕事への批判は納得出来るところが多く、実態は半世紀以上経っても変わらないのかと呆れるばかり。「真の公僕とはなんぞや?」。公務員のみなさんは渡辺氏を見習って!
※修正(2024/06/15)
考えさせられる
すばらしかった。★5か迷う。 胃癌(死)の宣告を受けて、生きること...
生とは死の恐怖で着火する情熱か
30年間、部下からはミイラとあだ名をつけられ、亡骸のように市役所に勤務してきた主人公渡邊。ただただ無意味に忙しく、何もなさないことが義務であるかのようなお役所仕事の日々。意欲もなく死んでいるかのように生きている毎日。しかし受診して胃癌により寿命僅かと悟り、これまでの人生で一体何を成し遂げてきたのかと呆然とします。
作品では、無能な役人達を痛烈に批判しており、渡邊も市民の要望に向き合わない市民課長として当初はその批判の対象です。市の問題から目を逸らすのはいけませんが、寡夫として一人息子のために長年真面目に勤めてきたであろう点は全く恥じることはないと思いました。
とにかく演出が上手いです。
余命を知った渡邊がとっさに案ずるのは、男手ひとつで育ててきた光男のこと。盲腸の手術に向かう光男の汗を拭いたハンカチで自分の汗を拭く姿。成人した光男との隔たりを感じて階段でうつむく淋しい姿。父親の愛が伝わってきました。
慣れない道楽に耽り、脱け殻状態の時は瞬きひとつせず、死に取り憑かれたようなゾッとする目つき。公園事業に目標を見出してからは生き生きと輝く瞳。志村喬さんの演技に惹きつけられます。
よく笑いよく食べる小田切は天真爛漫で生命力そのものといった感じでした。「私ここには向かないわ」とそろばんでおでこをかく仕草が愛らしい(^^)
隣席で誕生日祝いの歌が流れる中で、死を認識した上で新たな「生」に目覚め、生まれ変わるかのようなシーンはさすが!とても印象的です。
うさぎのおもちゃが可愛い。
満員電車のごとくひしめき合うダンスホールにはびっくり…(・・;)
渡邊の葬儀では故人と遺族を前に言いたい放題(^^;)。職場で彼がどのように見られていたか、お役所の「煩雑極まる」縦割りの機構が露呈し、役人の本音が飛び出します。
最近の作品では、"I, Daniel Blake"が英国でのお役所事情を市民目線で批判していますが、万国共通なのでしょうか…。
実は胃癌じゃなかった、てオチも面白いなと思いましたけど…、そういうハリウッドコメディもありましたよね。
最後はまるで天国へ昇った渡邊が、完成した公園を見守っているように感じました。
死ぬことだけは皆確実に決まっているが、それがいつなのかは分からない。生きている時間を無駄にしていないかという普遍的な疑問を訴えています。業績としては横取りされてしまったかのようですが、渡邊のように公園という目に見える形で後世に何かを残せる人は幸運だと思います。小田切のように楽しい方向へ進めるのも幸せな生き方です。そんなに上手に生きられなくても、微かな影響を与え、僅かの波紋を広げ、誰かの記憶にうっすら残る、「一隅を照らす」そういう人生でも立派に生きているのだと信じたいです。
***
追記
再鑑賞したら、志村喬さんの演技の素晴らしさにまた釘付けになりました。前回の自分はちゃんと気付いていただろうか。渡邊が頭を下げる間、瞬きせずにじっと一点を見つめていることを。ドアをノックする手が小刻みに震えていることを。
評価は作品に加え、その評価者自身を表しているように思います。名作と聞いて受動的に手に取り、「わぁ、つまらん」と記憶したとします。その20年後に再鑑賞の機会が巡って来た時に、もう一度挑戦してみる人もいれば、すごくつまらなかったという記憶でパスする人もいます。勿論その逆、面白かったはずなのに、2度目はそうでもないということもあるでしょう。適切な時期に適切な作品と出会い、各作品を一番楽しめる幸運に恵まれたいと思いました。
「わしは人を憎んでなんかいられない。わしにはそんな暇はない。」
蘇州夜曲
初めて見ました!
黒澤明監督作品!
いのち短し恋せよ乙女〜♪
おもちゃの兵隊などの曲が出てきて、よくバレエ教室で小さい子が踊るような曲。
この頃からすでに日本の社会に馴染んでいた曲だったんだなと思ったのが一点。
市役所をたらい回しにされる、というのは、
今は都市伝説になっているかもしれませんが、昔の市役所の体質はあんなふうだったのかな、、と思いを馳せました。
案外、身内は家族のこと見えてないもんだなと思ったのも一つ。
死を意識して生きるから、心に残るのかなと思ったのがもう一つ。
大学の時の英語の先生で、まだ30代とかで若かったけど、心臓に持病があると仰っていました。確かにものすごく顔色が悪かった。
その先生の授業で、取り上げられたデモクラシーというテキスト、難しくてさっぱりわからなかったけど、デモクラの授業と生徒からは呼ばれていて、印象的だった。
授業中、先生が突然、感動した曲を紹介したいと、蘇州夜曲をテープで流したことがあった。
メロディーが美しいよね!と。
みんなに紹介したかった!と。
それ以来、私こ心の中には蘇州夜曲がガッツリと刻み込まれたのですが、卒業後数年たって、先生が亡くなったと聞いた。
その時に、なんとなく、やはり先生は自分の命のことをずか意識していたんじゃないかと思ったのでした。
命を意識した状態で行う行動には、気迫のようなものが詰まっていて、それは人にも必ず伝わるのかなと思います。
先生のデモクラシーや蘇州夜曲は、多分ずーと覚えてると思います。
そんなことも思いました。
黒澤明の代表作
黒澤明監督の代表作。近年は「七人の侍」がフィーチャーされ過ぎているが本作も必見の名作。1950年代前半の黒澤は神がかっていて「羅生門」「生きる」「七人の侍」を連続して産み出している。いずれも映画史上の古典的名作。
ガンで余命いくばくもないことを知ったある下級官吏が生きる意味を求めてさまよう様を描く。また家族の問題、官僚主義の問題も描かれる。
極めて根源的なテーマで重い作品だが実は映画的快楽に満ちている。観ていただければ分かるが、ストーリーテリングの巧みさ、素晴らしいモノクロの撮影、志村喬をはじめとする当時の日本映画演技陣のレベルの高さに感嘆する。また黒澤は職人的な監督だからエンターテイメントとしての映画を決して外さない。町のおかみさん達が市役所に陳情に来るシーンや主人公のお通夜のシーンはコミカルですらある。
技術的な欠点はほとんどない。セリフも怒鳴りあうシーンが少ないので聴き取れる。
昨今の御涙頂戴の感動ドラマとは全く違います。本当のドラマとはこれです。
全て想定以上!
役所に勤める男が余命幾ばくということを知り、一生懸命仕事をする・・・、という大雑把なあらすじは知っていたんですが、予想を凌ぐ展開やメッセージ性に驚きました。
癌であることを告白した人主人公に感動する、というところまでは想定どおりなんですが、あまりの変わりっぷりに周りが引いちゃってるところが、可笑しくもあり悲しく思えました。
いよいよ熱心な仕事っぷりが見られるかと思いきや、一気に死んだ主人公の葬式の日に時間が飛んでしまい、そこから役人たちの回想が続いていくと言うのは秀逸でした。彼の生き様を周囲の登場人物と我々観客が同時に理解するためには、こういう手法が一番良かったんでしょう。
オチも一種のどんでん返しで、単純な感動でもなければ、バッドエンディングとも言い切れない、終わった後に考えさせられる結末でした。
戦後間もない頃の作品なのに、行動や心理を全て見通し、それを踏まえた演出を随所に散りばめていることに、作品の内容以上にその秀逸さに感動しました。
●残された人生で何するか。
男の生き様
凄く良かった
2度目の鑑賞。 テーマやメッセージ性は名作と呼ばれるに相応しいと思...
僕には古すぎる映画でした。
本当の誕生日
自分は黒澤映画のファンで、軽い活劇系の映画も大好きですが、ちょっとテーマ性の深いこの生きるも素晴らしい映画です。
生きるという事で大切なのは、その長さではない、どれだけ生きたかではなくどう生きたかが大切なのだと思い知らされました。
100年生きても本当に生きてない人もいるし
20年だけの人生でも本当の人生を生きれる人もいる。その生きてない者の舞台に役所を持ってきたのも素晴らしいチョイスですね笑えます。
役所勤めの主人公は生きているのに生きていない人間でしたが、余命を知り呆然とします。
しかし自分の夢、目的を見つけ、本当の意味で人生が始まります。
その目的を見つけるシーンはパーラーの場面なのですが、他の席でお誕生日の歌が流れる演出が心憎いですね。
あれが志村喬の本当の誕生日です。
何かに情熱をもって生きる事の大切さを教えられました。
泣ける
全93件中、61~80件目を表示