カリフォルニア・ドールズのレビュー・感想・評価
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ビッグママや相手トレーナー、そして主人公のマネージャーにホッコリと…
「ベラクルス」「特攻大作戦」などの
アクション映画の印象の強い
ロバート・アルドリッチ監督の、実は
なんの鑑賞意欲も湧かないでいた作品だった
が、私の鑑賞指標の一つとしている
キネマ旬報ベストテンにおいて、
なんと第8位に選出されていることを知り
初鑑賞した。
プロレス世界の厳しい内実の中で、
主人公達が栄光を掴むという
あからさまなサクセスストーリーなのだが、
それでも試合時間の押し迫る中で、
彼女らはどう勝利を掴むのかと
ドキドキさせられた。
一方、スポットの当たらない
他のほとんどのレスラーが、
栄光と言う意味では無縁な世界にいるのかと
想像すると少し暗澹たる鑑賞後感も。
しかし、そんな中でも、
所詮は前座のレスラー達と卑下していた
ビッグママが彼女らの勝利に喜んだり、
実は公平な人物だったとした
相手チームのトレーナーの種明かしや、
相手方のプロモーターがレフェリーを買収
するという直接的な効果狙いに対して、
オルガン奏者や応援の子供達を
味方に引き入れるという、
言わば人の心を高揚させるという
人間臭い手段で勝負する
ヒロインたちのマネージャーの設定には
ホッコリとさせられる作品だった。
しっかり女子プロ
クライマックスは見応えあり
アイリスとモリーのコンビ、カリフォルニア・ドールズは、マネージャーのハリーと車で全米を巡業の日々。各地で試合を積み、ついにタイトルマッチのチャンスがやってくる。
「コロンボ」のピーター・フォークが、お色気ムービーに?。と思ったらコミカルではあるけど、至って真っ当な作品。意外に真面目だなあ、と観賞し迎えたクライマックスの試合。それまででは想像もしなかった、ド派手な入場で、試合も大いに盛り上がって見応えありました。
アイリスとモリー演じた二人は、ほんと体を張って大変だったと思います。途中出てきた日本人のまあひどい描き方、典型的な古ーいアメリカ映画みたいです。日本人女子レスラーを演じていた一人は、ミミ萩原。
上手くパクられてしまった当時の日本女子プロレス
刑事コロンボのピーター・フォークがふたりの女子プロレスラーを連れてまわるマネージャーのハリー役。
1981年公開のロードムービー。
ロバート・アルドリッチ監督の遺作。
題名のカルフォルニア·ドールズはタッグチーム名。水着姿のバービー人形よりお色気100倍。
一試合125ドルで3人がドサ回り。
そりゃ、せつないわな。
冒頭の試合シーンでミミ萩原が出てくる。
役名は Geisha#1🤔
本名のTaemi Hagiwara でのクレジット。
極悪同盟は出てこないけど、レフリーは片方のチームにえげつないひいきするし、見た目ははるかにカッコいいけど、阿部四郎そのもの。日本の女子プロレスの大技とショーアップに対するリスペクトを感じたが、上手くパクられてしまった😩
試合のシーンも45年前にしてはなかなか見応えがある。もちろん、CGなし。なかなか大したもんだ。ドロレスシーンもあるし、今と違ってコスチュームが薄くてシンプルなのもよい😎
このあとアメリカの女子プロレス界もショーアップに成功したらしい。
ハリーがアイリスと出来てて、金髪のモリーがちょっと我慢してる感じもよいアクセント。
3人のチームワーク
【女子プロレスの世界に挑んだアイリスとモリーと、マネージャーのハリーに焦点を当てた感動作。絶望と挫折を乗り越えてチャンピオンを目指す二人の主人公とマネージャーの姿に胸が熱くなる作品。】
■女子プロレスのタッグチーム、カリフォルニア・ドールズを組むアイリスとモリーは、マネージャーのハリー(ピーター・フォーク)と共に巡業の旅を続けていた。
時に泥プロレスで観客から馬鹿にされ、悔し涙を流し、屈辱にまみれながらも徐々に人気と実力をつけた2人は、やがて北米タッグタイトルマッチに挑む。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・プロレス映画って観ていて、何でこんなに熱くなるんだろうと改めて思った作品である。
・序盤は、やや怪しげなマネージャーのハリーと、カリフォルニア・ドールズを組むアイリスとモリーとの珍道中が描かれるが、とにかくアイリスとモリーのカリフォルニア・ドリームどころではないアメリカン・ドリームを目指すブレない姿が沁みるんだよね。
■今作の白眉は、何といってもラストの北米タッグタイトルマッチシーンに尽きる事であろう。
相手のペアのためにエディ・シスコ(バート・ヤング)買収されたレフリーのおかしすぎる判定の数々。
- ここで、突然思い出したのは、幼稚園児だったかなあ、タイガー・ジェット・シンとアブドーラ・ザ・ブッチャーVSファンク兄弟の試合で、アブドーラ・ザ・ブッチャーがフォークでテリー・ファンクの利き腕(左腕だったかな。)を滅多刺しにし、(多分、現在だったら放送不可。)血塗れにさせているのに、レフリーが観て観ぬふりをしていたシーンである。
父親が流石にまずいだろうとTVを切ろうとしたときに、ファンク兄弟が反撃にでて、最後はあの無茶苦茶格好良いファンク兄弟のテーマを後にリングを去った姿は格好よかったなあ・・。-
・カリフォルニア・ドールズを組むアイリスとモリーの入場シーンで、ハリーが仕掛けた子供達やピアノ音楽者に対し事前にチップを弾み、ギリギリまで姿を現さず、その後銀の派手派手コスプレで入場するシーンや(その後、真似をしたレスラー多数。)、買収したレフリーをアイリスとモリーでバッコンバッコンにする姿。
何よりも、アイリスとモリーのプロレス技がキチンと描かれているんだよね。
見栄えがする、相手をロープに飛ばした後のラリアットは、コーフンしたなあ。
一番気持ち良かったのは、アイリスとモリーが絶妙のタイミングで回転海老固めを決めるシーンである。
<今作は、やや怪しげなマネージャーのハリーと、カリフォルニア・ドールズを組むアイリスとモリーが夢を追って厳しいリング生活を送りつつ、屈辱を感じながらもアメリカンドリームを追い、実現する姿が響いた作品である。>
ごっこ遊びとガチ喧嘩の狭間で
試合シーンがとにかく長い。冗長、退屈といった意味ではない。見終えた後でその長さにようやく気がつく、そういう長さ。劇中でのカウントアップが現実の時間経過と相即している。この長丁場を息切れすることなく、いやむしろ徐々に勢いを上げながら描き切ったのはすごい。これが凡庸なスポーツ映画であれば、時間経過による緊張の弛緩を恐れてダイジェスト演出に逃げたことだろう。
「プロレス的」という文系にはお馴染みのレトリックが示すように、プロレスの世界は基本的に不正とか忖度とか場外乱闘とかいった反スポーツマンシップ的な要素を、その場にいる全員が反スポーツマンシップ的だと理解したうえで、あえて理解していないものとして振る舞うことによって成立する知的でセンシティブなスポーツだ。
しかし一方で試合は加熱する。あくまで清く正しい主役として戦うカリフォルニア・ドールズも、悪役トレド・タイガースのあまりの暴虐ぶりや、それを露骨に看過し続ける審判にプリミティブな憤懣を募らせていく。
やがてそこにはごっこ遊びとガチ喧嘩の間を危うげにゆらめく緊張空間が立ち上がっていく。それがそのまま試合という物語のサスペンスとなって受け手を惹きつける。30分にもわたる試合描写にもかかわらず少しの中弛みも起きない理由はここにある。知らず知らずのうちに画面の中に感情移入してしまい、悪徳審判がカリフォルニア・ドールズに思い切りプレスを食らうシーンなどは見ていてかなり爽快だった。
ロバート・アルドリッチの遺作(伝説の女子プロレス映画)
1981年(アメリカ)監督:ロバート・アルドリッチ(遺作)
主演はピーター・フォーク。
この映画はカルト的名作の言い伝えがあり、いつか観ようと思ってました。
やはり、誉れ高い・・・その評判通りでした。
若くて長身でスタイル抜群の美女ふたり。
リングネーム「カリフォルニア・ドールズ」
本当に綺麗なおふたりさんです。
なんでこんな可愛いオネーちゃんが一夜のファイトマネー500ドルで、
排気ガスを撒き散らすアメ車(マネージャーのピーター・フォークの愛車)に、
乗って北米各地のリングを回って興行して行くのか?
シカゴ→からプロレスの聖地・ピッツバーグまでのロードムービーです。
用心棒みたいなマネージャーがピーター・フォーク。
かなりヤバい橋を渡ります。
ろくな食事にも有り付けず、昼は移動、夜はリング。
何の楽しみもないドールズ
でも、カリフォルニア・ドールズには、夢があるんです。
チャンピオンになって、有名になりたい。
お金持ちになりたい!!
それにしても過酷なロードムービー。
ハンバーガーと駄菓子とタバコそして安モーテル。
カリフォルニアドールズはすごい根性してます。
遂に遂に、2人は北米チャンピオンリーグで宿敵の北米チャンピオンに挑戦する
事になるのです。
相手はチョーク(首を締め上げる)
髪を踏んづけて引き上げる。
胴体(内臓)を蹴りお腹を踏みつける・・・などなど反則の数々。
お金で買収されてるレフェリーは、チャンピオン側の回し者。
ラスト30分に渡るプロレスシーンの迫力は物凄いです。
スタントなしだとか!
何度もドールズが死ぬのでは?と思います。
首が折れるか?と思います。
それでも声援とリングのお客さんの熱狂がドールズを後押しします。
「ファイティング・ファミリー」も良かったけれど、この映画も負けていません。
女子プロボクシング映画「ミリオンダラー・ベイビー」
こちらはアカデミー賞作品賞。
比べるのもおこがましいですが、人間ドラマは確かに薄いです。
でもリングシーンの盛り上がりは負けてないです。
軽くB級ですよ
媚びない娯楽映画
淀川長治の名言のひとつに「男しか出てこない映画に駄作なし」というのがあるそうだ。
『著書『男と男のいる映画』において「男しか出ていない映画に駄作無し」と格言を残している。』(ウィキペディア:淀川長治より)
読んだことがないので、名言がなにに基づいているかわからないが、わたしはアルドリッチやフランケンハイマーの映画で、それを思ったことがある。とくにアルドリッチだった。
ハリウッドの名手は、わざと女性を出さなかったわけではない。女を出さない──それがこだわりだとするなら、そんな、こだわりにはなんの意味もない。わざとそんなことをするのはザ日本映画の新人くらいないものである。
アルドリッチやフランケンハイマーは色気に頼らない娯楽映画をつくっていた。それだけのことだった。
忘れることのない、北国の帝王(1973)はいずれも超強面(こわもて)のアーネストボーグナインとリーマーヴィンで、列車車掌と無賃乗車常習犯の攻防だった。男臭いどころか、そこにあるのは、いかつい面構えと怒声と汽笛と油汚れと黒煙と意地であり、乗せまいとする男・乗ろうとする男、二者のたったそれだけの話を、ハラ~ドキ~かつダイナミックなアクション映画に仕立てていた。──のだった。
そもそもオーソリティーたち(黒澤明やスピルバーグやスコセッシなどなど)は女を色気として使わない。
なぜなら(しごく単純に言えば)基本的に裸が媚びに充当する──からだ。
なんども言っていることだが、ザ日本映画の先達・大家は、ポルノ出身者が(ひじょうに)多い。
偏見ということで構わないが、事実上ザ日本映画界ってのは、裸で釣ってきた連中が権威にのし上がってしまった業界であり、個人的には、その「いびつ」があると思っている。
(火口のふたりっていう近親相姦映画をごらんになりましたか?──あれがザ日本映画の現頂点です。石器時代をさまよう謎の古老たちが巣くっている村社会が日本映画業界です)
(ちなみにわたしは牽強付会なdis日本映画を特徴とするレビュワーです)
女子プロレスを映画にする──そのばあい、どうするだろう。女子プロレスのユニフォームは露出が多い。100人中100人の演出家が、そこにセックスアピールを盛り込むにちがいない。米ドラマGLOWもAlison BrieやBetty Gilpinの惜しまない露出で人気を博した──わけである。
むかしから言いたかったが、アルドリッチの遺作カリフォルニアドールズが、なぜいいのかと言えば、女子プロレスを描きながら、色気に注力していないから。
キャリアのすべてで、セックスアピールを用いたことのないアルドリッチが、さいごに女子プロレスを描いて、やっぱりセックスアピールを使わなかった。媚びなかった。ただし、アルドリッチは意地やこだわりによって、セックスアピールを使わなかったわけじゃなく、じぶんのなかにある娯楽映画の方法論に従ったにすぎなかった。
映画は、色気に頼るとそういう映画になる──わけである。
(すべてがそうだとは言わないが基本的な理屈として)セックスアピールのために女の裸が出てくる映画ならば、演出は無効である。いうまでもないが、演出しなくても裸で釣れるから。
日本では未成年者さえ使っていた犯罪者を全裸監督として、ヒロイックに祭り上げているが、全裸でポルノを撮ったから、なにが偉いの──という話である。(アメリカだったらとうにロンジェレミーと同じ所へ収監されているに違いない。)
で、繰り返しになるが、日本映画の先輩貴兄は、ポルノ出身者で成り立っている。かれらは性に詩情みたいなものを介入させて、昭和の昔から今に至るまで裸と行為を押し出しているわけだが、それはやはり性で釣っている映画に過ぎないと、わたしは(30年来)思っている。わけです。
カリフォルニアドールズでは演出手法として性を使っていないゆえに、むしろVicki FrederickとLaurene Landonの素のセックスアピールが表出している。ことに加え、老獪で、時には汚い仕事にも手を染めるマネージャーとして、おそらくピーターフォークの映画出演のなかでも三指の味だった。
余談だが、おりしも今(2021/07)どこかでオリンピックがおこなわているが、あなたが男性で、女性のアスリートを見るばあい、そこに性的演出が一切ないにもかかわらず、溌剌とした性を感じてしまう──ものではありませんか。にんげんとして普通のことです。
働く大衆への暖かいエール!
文句なしに面白い!理屈抜きだ
刑事コロンポで超有名俳優になったピーター・フォークが、その冴えない中年男のイメージをそのまま流用して役にはまり見事な演技
二人の女子レスラーの容姿も美しく楽しい
クライマックスのリング登場シーンは最高の盛り上がりでワクワクする!
どさ回りのいつになったら日の当たるところにでれるかわかりもしない、いつまで経っても底辺のままぐるぐると回っているだけ
誰しも若い時に経験することだ
それをアルドリッチ監督は女子プロレスという誰もが少ししか知らない業界を取り上げて、泥まみれになってそこから這い上がるストーリーをロードムビーとして物語に仕上げて見せる
正に普遍的なテーマだ
成功するためには、長い下積み生活の辛抱、文字通り泥レスを登場させて泥まみれになって働け、どうせどこに行ってもゲスばかりだ、プライドがなんだ、多少卑怯であってもチャンスを掴め、ここ一番の大勝負に臨んだなら自己演出の大事さを知れ
どの業界で働いていようが、無名の者が芽を出し、上に這い上がる為の秘訣は同じだ
だからこそ本作は万人の心に刺さるのだ
働く大衆へのエールなのだ
つまり、本作はリノのリングサイドで子供達や観客がふるポンポンのような映画なのだ
戦うしかない
ある意味ノスタルジー映画
リング外での演出
全22件中、1~20件目を表示









