俺たちに明日はないのレビュー・感想・評価
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カッコよくナィーブな彼ら。
この映画を観たのは2回目。こんなにおもしろい映画だったかな、と思った。
このままで終わりたくない、社会のおきまりなんか吹き飛ばしたい、思うように生きてみたい!時代に関わらず誰もが潜在的には持っていそうな心理が、上手に表現されている。それに伴う不安や自信のなさも素直に伝わり、共感はできる。
爆発的に大胆かつ、ごく薄いガラスのように繊細。これ、なかなか表現が難しいように思うが、うまいなぁ。俳優たちもとてもいいのだろうな。主役カップルの2人、そしてその取り巻きも。
よくも悪くも彼らはカッコよくスタイリッシュ。でも可哀想なほどナィーブ。人一倍いろいろなことに敏感すぎるから暴走する。暴走すればするほどそれなりの不安がつきまとう。
大人として上手に生きるということはある意味、敏感さを捨て上手に鈍感になっていく、ということでもあったな。
若い人を描いた映画として印象に残る。
究極の思い出補正映画
0012 フェイダナウエイ可愛い!
1968年公開
弾丸がヒトに当たると血が吹き出ます、を
最初に実践した映画。
フェイダナウエイはその後ケバくなっていくが
銀行強盗ではアイドルがはしゃぎまくって構える銃の
しぐさはもう最高。
いわゆるアメリカンニューシネマの先駆けで
ワーナー映画創始者のクツをなめてお金を出さした
ウォーレンビューティーが
エッチな場面なしね、というヘイズコード
アカ狩りで脚本家全滅
70歳以上の演出家が巾をきかす老害
こういった規制だらけで絵空事しか生み出せない
ハリウッドに真っ向から立ち向かった
「若者向き」ムービー。
最後の死のダンスは今までみたことがない暴力の美学で
ついに革命がなされた!
80点
公開当時は、きっと画期的だったでしょう
昔テレビで観た以来、映画館では初鑑賞。フェイ・ダナウェイ、ウォーレ...
今見たらきっと粗いんだろうなぁ、いろいろ
犯罪悲劇
ニューシネマの金字塔と言われるが、反戦や社会風刺的な側面は少なく、ストーリーはただひたすら主人公カップル達が盗みや殺しと言った犯罪を繰り返して逃亡するというシンプルなもの。なにゆえ彼らがそうした生涯を歩むのか、ヒントは散りばめられているものの説得力に乏しく、脇役達の魅力もほとんどない。この映画にメッセージ性があるとしたら、案外保守的な家族愛や宗教観であろう。また、1930年代アメリカの牧歌的な風景や地方の衰退の描写は、フォード等の影響であろうか、他のニューシネマ作品とはかなり毛色が異なっている。
次々と犯罪行為を楽しんでいる様子を見せられると正直不愉快なものだが、だからこそ粛清の意義(?)があるという意味でも、保守性の強い作品である。
ボニー・パーカー‼️
この作品はアメリカン・ニューシネマの先駆けとか、アメリカ中西部の風景や広大な麦畑に移った雲の影までを捉えた素晴らしいロングショット、主役二人の太く短い人生、マイケル・J・ポラードやジーン・ハックマン、チョイ役のジーン・ワイルダーら豪華キャスト、そして映画の歴史に残る87発の銃弾による "死のバレエ" まで、語りだしたらキリがありません‼️しかしこれら全てが私的にはフェイ・ダナウェイの魅力を光り輝かせる素材に過ぎないと感じる‼️主演のウォーレン・ベイティでさえも‼️それぐらいこの作品のフェイ・ダナウェイは魅力的‼️オープニングから向こうっ気の強い表情のアップ‼️ベレー帽にロングタイのファッション‼️薄い唇に斜めにくわえたタバコ‼️片足を車にかけて銃を構える‼️好きな男は自分からベッドに誘う‼️男顔負けに銀行強盗しまくって世間とか法律とか関係ありませーん‼️クールで生意気で強くてカッコいい女‼️そんなボニー・パーカーというキャラクターにデビューしたてのフェイ・ダナウェイがドンピシャ、ハマッていた‼️そんなボニーが泣きながらママに会いに行くシーンも忘れられないですね‼️久しぶりに会った母親がボニーとクライドに寂しそうにかける言葉「若い者同士でおやり。私はもう歳だし、何もわからない」‼️何たる虚無感‼️とにかく公開当時はベトナム戦争や反体制運動でアメリカは非常に不安な世相で、そんな時代にボニー&クライドの鮮烈な青春像を、人々はヒーローとして讃えた‼️その気持ちよーく分かります‼️
超・ど・エンターテイメント作品
この作品について、現実味がない、だとか共感できない、だとか違和感あるだとか色々言っておられる方いますが、いいんです。この映画はスリルと迫力とお色気とユーモアと哀愁とバイオレンスと全てを満載した最高のエンターテイメント作品なんです。実在の話を元に・・・とか深く考えんでいいんです。
圧巻なのがキャスティング。よくもこんな個性的な俳優を集めてきてその魅力を存分に引き出したものです。
有名どころの3人は言うまでもないけれどエステル・パーソンズとマイケル・J・ポラードの存在感、ハンパないっ。
エステル・パーソンズは助演女優賞を受賞。私の親愛なるマイケル・J・フォックスの”J”は敬意をこめてマイケル・J・ポラードからお借りしたんですよね。にもかかわらずほかの映画で見たことない、二人とも。この映画でのインパクト強すぎ。
うん、やっぱりフェイ・ダナウェイには言及しとこう。ただのお色気姉さんではない。表情一つ一つが印象的。ダイナーで「髪下ろしてみたら」って言われてちょっととまどいながら応じるシーン。カワイーです。
一つだけ残念なのが邦題の「俺たちに・・・」これ要らんです。この映画は「Bonnie and Clyde」なんですっ。言ってもしゃーないですね。その当時商業的に必要やったんですね、この陳腐なタイトル。どーでもえーです。とにかくサイコーです。
フェイ・ダナウェイのベレー帽に胸キュン。
アメリカンニューシネマと言われる映画の中で、好きな映画に入る。
理由はフェイ・ダナウェイの美しさに惹かれながらも、最後の無惨な姿にギャップを感じて、ショックを受けてしまったことだと思う。中学生になってから見たと思うが、ゴッドファーザーのソニーの無惨な姿と合わせて、僕のある意味トラウマになったと思う。
今見ると、刑務所帰りの田舎者とただのウェトレスに過ぎない田舎者には見えないくらい美男、美女で、共演の不細工な三人がそれを引き立てていると分かる。なんか、姑息な演出(キャスティング)だとは思う。
また『フォギー・マウンテン・ブレイクダウン』がドタバタなコメディ仕立てな効果を出しており、悲惨な最後へギャップを作っている。今見ても、フェイ・ダナウェイの姿だけはショックを受ける。ウォーレンビューティは『ざまーみろ』だが。
追伸
ジーン・ハックマンのリアルな最後も凄い
追追伸
フェイ・ダナウェイは最後に瀬戸物の人形を女のコにあげたのか?僕はその行為が『彼女は子供が欲しかった』のでは。と感じた。もう少しその点を強調して、演出があっても良かったのでは。と思う。
いかした悪女ぶりが魅力的なフェイダナウェイ
アメリカのニューシネマ
20代の若いカップルが大恐慌時代のテキサスで警察を嘲笑うかのように強盗を繰り返し、人々にもてはやされた実話を脚色して映画化した作品。
1967年の公開当時、犯罪者をヒーロー的に扱うこと、暴力的なシーンや性的なシーンが、アメリカの映画史上初めてで、相当批判を浴びたにも関わらず、若者に大人気になったとのこと。ワルや反体制な感じがちょっとカッコいいということかな。現代でも若者のカッコよさの基準の一つではある。
まあでも、今日のそういうシーンに比べれば至極健全に見えた。笑。
監督としてはそうした新しい手法を使って心理的な描写やエピソードを入れることで、ただの銀行強盗の顛末記に留まらない、本当の意味でのバイオレントな作品にしたかったのだろう。
移ろいゆく欲望の果て、行き着くところ…。
超が付くほど有名なクライム・ムービー。
Baseとなった実在した強盗も有名だったのだろうけれど、映画としても、各方面に多大な影響を与え、創作に関わる方々をインスパイアしてきた。
パロディ、オマージュなんてどのくらいあるのだろう。数える気すら失ってしまう。
映像で行われていることと解離するような、軽快なバンジョーで彩られた物語。
どこか、カトゥーンのような絵空事を見せられているような気になる。
甘いマスクのクライド。
スタイリッシュなボニー。
道化のようなパック(ジョークは全然笑えないけれど)。
いら立たせて、ボニーびいきに一役買うブランシュ。
「大丈夫か?」と心配してしまいながらも、全体の状況を見て、クライドたちに尽くすC・W・モス。
この5人の掛け合いを見ていると、強烈なブラック・コメディを見ているような…。
(こんなクルーには参加したくないが…)
破産した銀行に押し込む間抜けから、初めての殺人、そして…。
強盗場面はあっさりと、もしくは新聞ニュースで描く。
半面、警察とのカーレース・銃撃戦は迫力満点、たっぷりと。
その間に起こる、主要メンバーを簡潔にかつ丁寧に描く。
意外なのは周りの反応。
マスコミが節操なく煽るのは今も同じ。
ボニーの母と、C・W・モスの父の反応はとても共感できるが…。
途中キャンプしていた人たち。識字の問題とか、新聞が買えないとか、情報が届いていないのか、知っていてのあの対応なのか。
とはいえ、ボニーの親戚たち、銀行で難を逃れた人たち…。
よっぽど、銀行は汚いやり方で、被債権者たちを追い詰めていたのか?
ちょっと違和感…。
そんな演出の中、ボニーの変化に胸かきむしられる。
毒婦にふさわしい、眼と唇。将来の見えない同じことの繰り返しに飽き飽きして、刺激を求め、ケチな自動車泥棒・クライドをそそのかしていく様。ゾクゾクする。
悪ぶり、自分を大きく見せようとする、その小賢しさ。
一線を越えてしまった後の暴走。
パック夫婦とクライド兄弟に接して、自分の家族を求める様。
やっと、現実的な自分たちの行きつく果てが見えてくる。
不安。
仲間の死、女として満たされることによって、安定した未来を夢見る様。(州を越えれば捕まらない≒今なら海外逃亡すればつかまりにくくなるようなものか?)
その移ろいゆく欲望、その時々の表情から目が離せなくなる。
そして、落ち着くところに落ち着くのかと思ったその矢先。
衝撃のラスト。
何が起こるかあまりにも有名で知っていてもなおの衝撃。
警察の裏をかいたと思ったが…。それがこうなってこうくるか。
当時を再現したものなのか。
真っ白なクラッシック・カー。
真っ白なドレス。
ワイシャツにベスト、片方だけ入った丸渕の黒いサングラス。
周りに比べて、なんともスタイリッシュな出で立ち。
二人の位置もこう配すか…。
ここには軽快な音楽もない。
ただただ、情景音のみ。直前の会話はあれど、断末魔も聞こえない。ただひたすらに鳴り響く〇〇。
それまでのトーンと全く違う。
この落とし方。
それまでの、カトゥーン的展開がすべて吹っ飛んで、そのラストだけが記憶に残る。
見直して、やっとボニーの繊細な表情を思い出すことはできるけれど。
それほどのインパクト。
狙って演出されたのだろう。
見事。
そして、映画は永遠のものとなった。
「フォーギー・マウンテン・ブレイクダウン」と「雨にぬれても」
俺たちに明日はない
映画の歴史に触れる楽しさってか。
世界恐慌時代(1930年代前半)のアメリカで、銀行強盗や殺人を繰り返した男女カップルのアウトロー、ボニー&クライドの話。
まずは冒頭、自動車の後部ガラスの合成が、古い映画(1968年公開)であることを思い出させる。
クライドの 「刑務所で作業をしなくてすむように、足の指を切ったんだ」 のエピソード、怖すぎるから、いらない。お~、怖い。
ボニーは、俺にはいかれた女としか映らない。きれいだが、この街にいる限りはしょぜんウェイトレスで終わるのが精いっぱいだということはわかる。が、だからといって無法者についていこうという短絡がわからない。しかし、世界恐慌下の世界というのは、それくらい息詰まるものだったのかもしれない。そんな、市井のひとりの目線で、その時代を感じることができるのは、映画の醍醐味のひとつだよなあ。
殺人を犯してしまってからの二人は、坂道を転がり落ちるように、後戻りできないところへ走り続けていく。まあ、殺人を犯した時点で、「終わっている」 と考えてしまうのは、とくに当時であれば、当然なのかもしれない。だから、悪事を働く一方で楽しそうに遊び、家族に会いに行き、といったことが行われるのだろうか。いずれにしろ、その楽しそうな生活、転げ落ちていく様は、まさにアメリカンニューシネマだ。
うん、きょうは勉強になった感じ。「卒業」 「小さな恋のメロディ」 「俺たちに明日はない」 と観てきた。あす「狼たちの午後」 を観れば、だいぶアメリカンニューシネマを感じられるようになりそうだ。
参考:アメリカン・ニュー・シネマ
アメリカンニューシネマ(American New Wave)は、従来のハリウッド映画と大きく異なる。
従来の映画は、「ハッピーエンド/観客に夢と希望を与える/万人受けする内容=社会的公序良俗/主人公は正義のヒーローまたは温かい家庭」 であるのに対して、
アメリカンニューシネマは、新しい感覚として、「ハッピーエンドは回避/特定層に向けた価値観/反社会性の主張の正当性を含む/主人公は社会からはみ出したアウトローやアンチヒーロー」 であることが多い。
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