ボブ・フォッシーの本格的ミュージカルの評判高く、カンヌ国際映画祭では黒澤明監督の「影武者」と並んでパルム・ドールを受賞した話題作。期待は大きく膨らんで劇場に駆け付けたのだが、正直言って満足できなかった。勿論ニューヨークで活躍する超一流の振付師・演出家ボブ・フォッシーの本場ブロードウェイを舞台にした自伝的ミュージカルだから、そのダンスのリズム感、躍動するダンサーの生々しい迫力は充分圧倒的である。何百人ものダンサーがしのぎを削り、僅か数人のメンバーが選出されるテスト風景から緊張感の連続で、流石本場は違うと感心させられる。アラン・ハイムの編集がまた、その緊張感を緩めず疾走するようにモンタージュされ爽快感で満ち溢れている。それなのに、何故か僕の視線はスクリーンの中に釘付けされず、物語が進むにつれて何か白けた空間にポツンと座席に座っている、という印象だった。これはどうしたことだろうと、自分でも不思議なくらい。
確かに僕の持つ不満は、フォッシー監督の意図から外れ、無いもの強請りかも知れない。というのも、この映画が余りにもフォッシー監督個人の体験に基づいた自画像であり、そこにはこの世で最も幸せに満ちた作者が居るだけなのだ。極論すれば、“私は、これ程まで肉体を虐げながらも、素晴らしいミュージカルを作り上げることに命を懸けているのだ”という、納得した人生観が支配している。これがどうも僕の体質に合わない。単に気に入らない訳ではない。例えばこの題材を映画ではなく舞台で鑑賞したなら、それなりに感動すると思う。ミュージカルの創作過程にある作者の闘いを本物の舞台で観たなら、強い感銘を受けるだろう。しかし、作者の苦闘の満足というモチーフが映画では最良ではない。例えて言えば、「愛の嵐」「タクシードライバー」に感じた時の作者の自己満足が、映画的ではないとする価値観である。
ならば主人公ギデオンが夢に見る死の天使との会話シーンにユーモアがあったならば、少しは緩和されたと思う。ショービジネスの厳しい現実がもっと感じられて、主人公に共鳴出来たかも知れない。この幻想シーンが、稚拙な絵に終わっている。最もお気に入りのシーンは、主人公ギデオンの妻と娘が突然プレゼントするダンスシーンである。ここには、観客に対するサービス精神も感じられた。
ボブ・フォッシー監督が、その才能と自信を存分に生かした自叙伝ミュージカル。ダンスのリズム感とその妙味など見所も多い。しかし、そこには幸福な作者の自己満足の充足が大部分を占める。参考にしたであろうフェリーニ監督の名作「8 1/2」と比較して、そこが残念だった。
1980年 9月2日 みゆき座