アンダルシアの犬
劇場公開日 2017年12月23日
解説
スペイン出身の異才ルイス・ブニュエルが1928年に手がけた実験的短編作品。共同脚本にサルバドール・ダリ。20年代に最高潮に達したアバンギャルド映画の頂点を飾る傑作で、60年には、28年の完成当時上映に際してブニュエル自らが蓄音機を回していた音楽を選び、自らサウンド版を作成した。目玉を切り裂くカミソリと月を遮る一筋の雲のほか、手のひらからはい出してくる無数の蟻など、悪夢的で奇怪なシーンの多くで知られ、作品が発表された当時、ジャン・コクトーら同時代の芸術家たちにも支持された。2017年12月、ブニュエル監督作「皆殺しの天使」のリバイバル公開にあわせ、中編「砂漠のシモン」と同時上映される。
1928年製作/17分/フランス
原題:Un Chien Andalou
配給:アイ・ヴィー・シー
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2022年3月16日
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この映画はルイス・ブニュエルの監督デビュー作であり、サルヴァドール・ダリが共同監督を務めている。
アルゼンチン・タンゴが流れてくる中、ブニュエル自ら演じる男が登場し、空を見上げると満月に一筋の雲がかかっている。場面が変わり、あの悪名高い目玉を切り裂くシーンが現れる。
満月を眼球に見立て、雲を剃刀に置き換えたというのは一目瞭然で、ほかにも掌を這い回る蟻や、木箱から転がり落ちる人間の手首など、心が掻き乱される映像が続く。
しかし、そのショット1つ1つの意味を見出そうとしたところでそれはただの思い込みに過ぎない。
そもそも、ブニュエルとダリが本作を撮る際に決めたルールは唯一つであった。
すなわち、「合理的、心理的イメージを一切排除し、文化的な説明を成り立たせるような発想を受け入れぬこと」で、これはシュルレアリスムの定義と合致する。
その中でも特に有名な冒頭のシークエンスは、シュルレアリスムの最重要概念である"不気味さ"を強烈に表現した名場面といえる。
本作は誰が見てもその気味の悪さに耐え難くなってくるだろうが、次第に一貫性のなさ、破壊的イメージに(シュルレアリスムの原則に忠実にのっとっているのだが)ある種の心地よさを覚える。
かつてブニュエルはこういった。「愚かなる群衆は、実際には絶望的なもの、殺人への情熱的な訴えにすぎないものを「美」とか「詩的」だと考えた。」(ジョルジュ・サドゥール著「世界映画史」)
2021年8月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
シネマヴェーラで16㎜フィルムでの視聴。
前に観たのは、たしか国立新美術館の「ダリ展」で、あのときはディズニーとダリが組んでつくったアニメ『ディスティーノ』なんかも流していた。
20年代アヴァンギャルド映画(本来アヴァンギャルド映画というのは、この時期のヨーロッパ前衛映画を指す固有名詞である)の頂点を成す作品であり、シュルレアリスム「映画」の最有名作でもある。その文脈において、本作にはこれまで幾多の批評語や精神分析的解釈が投下されてきた。
ただ今回は、「恐ろしい映画」というくくりでの特集上映。
おお、なるほど。
たしかに、『アンダルシアの犬』には、間違いなく「怖さ」を志向した要素が横溢している。
切り裂かれる女の眼球。
道に落ちているちぎれた手首。
唐突に車に跳ね飛ばされる女。
手の穴から這い出てくる蟻、蟻、蟻。
グランドピアノ上の目のないロバの死骸。
海岸に半身を埋められた男女のデコラティヴな死体……。
あれ? やってること、ルチオ・フルチとかとあんまり変わんないんじゃないの??(笑)
『アンダルシアの犬』には、フェルメールやダブルイメージの活用、性的隠喩や同性愛的要素のほのめかし、ミレー〈晩鐘〉を意識したラストカットなど、いわゆる「ダリらしい」アイテムや呪物が満載である。とはいえ、ダリが絵画作品において、ここまで即物的な死体玩弄や人体破壊をやったという印象が、あまりないのもたしかだ。
なぜ「映画」でだけ、こんなにホラー要素が強いのか?
その淵源をブニュエルに求めるのもひとつの考え方だろうが、「映像というメディアには、生々しいグロテスクとショッカー演出の親和性がきわめて高い」とダリ本人が考えていた可能性だって十分ある。
そう考えると、『アンダルシアの犬』は、やがて60年代のハーシェル・ゴードン・ルイスを経て70年代に花開くことになる、スラッシャームーヴィー、ゴアムーヴィーの嚆矢といってよい存在なのかもしれない。
今回改めて観て、なんとなく記憶していた以上に一応筋らしきものもあるようで、単なるイメージの集積というよりは、それなりに「夢」のリアルに近いものを志向して作ってあるんだな、と思った。
あと、いきなり男装の麗人(?)が轢かれるシーンや男女の性的なドタバタ、ピアノの上のロバ(ああこれ、まさに「ミシン台の上のこうもり傘」なんだな)、それを遮二無二牽く男と、なぜか一緒に釣れてくる修道士など、明快なコミック要素も結構あったんだな、と。
修道士のうちの一人はダリ本人らしいが、ついモンティ・パイソンの「まさかの時のスペイン宗教裁判!」を思い出して笑ってしまった。
フィルムの状態が悪く、冒頭の月とか、ラストの海岸の死体もボケボケで、もともと中身を知らないとよくわからないようなところもあったが(ネット上には段違いでクリアな画質のものが、何種類も落ちている)、付随して流れている音楽の出来がよくて、感心した。
なんかシュトックハウゼンの現代曲みたいな音楽なのだが、正直、巷間に流布している「トリスタンとイゾルデ」とタンゴの取り合わせ(超絶チープ)や、電子音楽風のやつ(B級SFみたい)、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「パバドゥ」(いい話くさい)なんかより、よほど気がきいていて、映画の殺伐としながら詩的な空気にもよくあっているうえに、ショックシーンのあとに「ガーン」と鳴ったりして、「あれ、曲ピタじゃん」と驚かされた。これ、なんの曲当ててあるんだろう? このフィルム向けのオリジナル? 詳しい方がいたらぜひ教えてください。
総じて懐かしく観たが、同じ時期の前衛なら、ルネ・クレールの『幕間』みたいにファンキーで動的なアクションのある映画のほうがうやはり愉しいし、時代のくだったケネス・アンガーやパトリック・ボカノウスキーのほうが個人的にはしっくりくるかも。『アンダルシアの犬』は、素材の扱いがすこし荒っぽい感じがするんだよね。
2020年12月12日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
ルイス・ブニュエル×サルバドール・ダリ。目ん玉、手の平から蟻、羊たちの沈黙。話は何のこっちゃ訳が分からないが、シュールさとブラックユーモアが中々笑える。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ 」が2度流れる。やはりとても良い曲。聴き入ってしまう。
シュールレアリスムの名作とのこと。
難解すぎて。。。ただ、ピアノのところは笑った。
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