悪徳の栄え(1963)

劇場公開日:

解説

十八世紀フランスの作家マルキ・ド・サドの『ジュスティーヌまたは美徳の不幸』及び『ジュリエット物語または悪徳の栄え』の原作を、「戦士の休息」のロジェ・ヴァディムとロジェ・ヴァイヤンが脚色し、ヴァディムが監督したもの。撮影は「危険な関係」のマルセル・グリニョン、音楽はミシェル・マーニュ。出演者は「フランス女性と恋愛」(離婚篇)のアニー・ジラルド、「パリジェンヌ」第四話のカトリーヌ・ドヌーヴ、「戦士の休息」のロベール・オッセン、O・E・ハッセ、フィリップ・ルメールなど。製作はアラン・ポワレ。黒白・ディアリスコープ。

1963年製作/108分/フランス
原題:Vice and Virtue
配給:MGM
劇場公開日:1963年6月11日

ストーリー

第二次大戦中、ドイツ軍占領下のパリ。ここに正反対の性格を持つ二人の姉妹がいた。姉のジュリエット(アニー・ジラルド)は逞ましく現実的だった。彼女はドイツ占領軍司令官フォン・バンベルグ将軍の情婦だった。これに反し妹のジュスティーヌ(C・ドヌーヴ)は純情可憐な娘だった。フォン・バンベルグはナチの指導者の戦略を批判したので、ナチス親衛隊の将校シェーンドルフ(ロベール・オッセン)に毒殺された。ジュリエットはシェーンドルフの残忍な魅力の虜となってしまった。彼女とシェーンドルフの異常で激しい交情がはじまった。そして二人はドイツへ向った。彼らより一足先にジュスティーヌもドイツにいた。ある日ドイツ兵に捕えられ、この騎士館という建物へつれてこられたのだった。ここの女達は、この家の客、ナチス・ドイツのお歴々の慰み物になるのだった。だが、ジュスティーヌは幸いずっと難をのがれていた。シェーンドルフとジュリエットがベルリンに着いた頃は、ドイツももう最後の時が来ていた。彼らはベルリンを見捨て、まず騎士館へ、それからチロルの別荘にのがれようとしていた。館では奇怪な裁判が行われていた。ジュリエットは被告達の中にジュスティーヌの姿を見つけた。すきをみてジュリエットは一緒に逃げようと説いたが、ジュスティーヌはこれを頑としてはねつけ、嫌悪と憐みの眼で姉をみつめるばかりだった。シェーンドルフはソ連軍のベルリン占領と総統の自殺の電報を受け取った。とうとうアメリカ軍が突入してきた。こんな中でシェーンドルフはジュリエットに毒入りのシャンパンををのませた。アメリカ兵が侵入し逃げようとしたシェーンドルフは射殺された。ジュリエットは二階の欄干からこれをみていた。彼女の眼はぼうっとかすんできた。フォン・バンベルグの毒殺の時のことを思い出しながら、薬のきいてきた彼女は階下に崩れ落ち、最も愛し最も憎んでいた男シェーンドルフのそばにしかばねを横たえた。一方、ジュスティーヌは無事救出され、はれて自由の身となった。

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映画レビュー

3.0女優を美しく撮る、情熱

2018年9月2日
Androidアプリから投稿

付き合った女優を美しく撮る、ロジェ・バディムが マルキ・ド・サドの原作を、第二次世界大戦下の フランスに置き換えたもの(と、いうより インスピレーションを受けたくらいか…)
話を引っ張ってゆくのは、ナチス高官の情婦として 安穏とした生活を送る、ジュリエット(悪徳の栄え)で、アニー・ジラルドが好演している
レジスタンスの彼が連行され、探し回っているうちに、ナチの騎士館に送られてしまうその妹 ジュスティーヌ(美徳の不幸)をドヌーブが演じている
ドヌーブを美しく撮る、ことに集中が感じられるのだが、 騎士館の存在も 妙にメルヘンチックな曖昧模糊としたものになり、変
大体、彼女に惚れたらしい管理者(性的不能)が
彼女の被害を最小限に抑える、なんて話は必要なのだろうか?
この後、ブニュエルが「昼顔」で 代わりに鞭打ってやった、と思えるほどである

最後に アメリカ軍によって、妹は解放され めでたし、めでたしとなる

しかし、最近の話では フランスの女性達の解放軍による、戦後被害の話も語られ始めた…
本当に戦争による 女性被害は辛い
悪徳の役回りのジュリエットだって、ある意味 自分の性を等価交換して、被害を最小限に抑えたともいえる

ナチスによる 女性蹂躙は諸説あり 正確には解明されてはいない
女性被害が 見直されたり、 政治利用されたりもする、昨今なので 何か不思議な感覚で この映画を見た
バディムは ナチスも ドヌーブを美しく撮る為の背景、ぐらいにしか考えていなかったのだろう!

ロベール・オッセンの親衛隊将校が、怖い

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jarinkochie
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