愛の嵐
劇場公開日:1975年11月1日
解説
戦後のオーストリアを舞台に、かつてユダヤ人収容所で出会った元ナチス親衛隊員とユダヤ人女性の倒錯した愛とエロスを描いた作品。1957年、ウィーン。元ナチス親衛隊員のマックスは、現在はその素性を隠し、ホテルのフロント兼ポーターとして働きながらひっそりと暮らしていた。ある日、彼が勤めるホテルに、著名なオペラ指揮者が妻ルチアを伴って宿泊する。ルチアは、かつてマックスが強制収容所で性の愛玩物として弄んだ少女だった。ルチアにとってマックスは2度と会いたくない相手のはずだったが、2人は倒錯した快楽に溺れていく。シャーロット・ランプリングがルチアを体当たりで熱演、特にナチス将校たちの前で半裸で歌い踊る姿は強い印象を残した。マックス役に「ベニスに死す」のダーク・ボガード。イタリアの女性監督リリアーナ・カバーニがメガホンをとった。
1973年製作/118分/イタリア
原題:Il portiere di notte
配給:日本ヘラルド映画
スタッフ・キャスト
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2023年4月8日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD
難しそうな変な邦題のせいで、
もっと難しい話かと思ったら、思ってたより、観やすくて、面白いです。
主演の女優が気になって調べてみたら『ベネデッタ』に出てた!
『地獄に堕ちた勇者ども』『エンゼル・ハート』『デューン』(リメイク)…
この方の出てる映画は他にも数本観てたけど、今作で初めて認識。
覚えときます(笑)
大事なセックスシーンをカット、局部のボカシも大きく入ってるのが、この通常版らしく、
それを取っ払った完全版が存在するらしいので、完全版を観なきゃと思います。
どっちみち、もう1回観たいので。
つまり、けっこう面白いです。
でも、センスない邦題。
邦題で損してる映画です。
2022年8月4日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
心を鷲掴みにされました
男と女の究極の愛
だが、これが果たして愛といえるものかどうか分かりません
本作といえばあのポスターのビジュアルのインパクトでしょう
ナチ親衛隊の制帽を被り、上半身は裸
軍服のぶかぶかのズボンをズボン吊りで履く
その下の下着も履いていないのは明らか
薄い乳房がそのズボン吊りのバンドのしたにある
髪は短く刈られ男の子のよう
極度の栄養失調であばらの浮く、細い少女の体型
革の長い手袋
その姿で酔ったナチ親衛隊将校達の中で踊る
なんと背徳的で退廃的な映像でしょうか
サロメのエピソードはその直後にあります
ほとんどの宗教絵画はサロメが所望した聖ヨハネの首が皿に乗って描かれています
本作ではダンボール箱でした
それを観た時のルチアの表情!
恍惚の笑みなのです
自分の望みをここまでして叶えてくれた愛の証
ユダヤ人絶滅収容所の囚人とナチ親衛隊の究極の倒錯した愛
愛なのか?、そうでないのか?
戦後12年経って、過去を偽って日陰で生きる男、解放され優しく裕福で紳士的な夫を得て幸せに生きる女
会ってはならないし、互いに会いたくも無かった
なのに強烈な磁力のように引き合い、愛に狂ってしまう
暴力的に扱われて人の尊厳を剥ぎ取らたときにむしろ喜びを感じてしまう
愛ではないはず
なのにルチアには自己を解放されてのびのびとしている
ラストの道行きは心中の旅路でした
これは愛の成就なのでしょうか?
二人に取ってはそうだったのです
抗えない愛であったのです
正に「愛の嵐」です
理性もなにもかも全てを吹き飛ばしてしまう愛の暴風雨です
身体の中の熱くうずく芯が求める欲望がそう肉体を突き動かしてしまうのです
その意味で1955年のヴィスコンティ監督の「夏の嵐」と同じです
その映画の原題は「官能」邦題は本作と同じく理性を官能が吹き飛ばしてしまった熱い嵐を表現したものでしょう
本作の「愛の嵐」という邦題は、その「夏の嵐」を思い出した日本の配給会社の宣伝マンの類い希な才能が付けたものだと思います
見事です
原題は「ナイト・ポーター」
ウィーンのホテルの夜間受付人の意味です
なんの味わいもないこれよりも邦題の巧みさと味わいが際立っています
2022年5月11日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
ネタバレ! クリックして本文を読む
世界的な映画監督の巨匠であるルキノ・ヴィスコンティが、「悲痛で残酷で、恐ろしいほどの傑作だ」と評価した事で有名な、この映画「愛の嵐」は、原題が「ナイト・ポーター」、ホテルの夜勤のフロント係となっていて、1957年の暗く冷たいウィーンの冬、退廃のムードが妖しく漂う古ぼけたホテルを舞台に、"今なお生きているナチスの悲劇を倒錯した愛の形で耽美的に描いた秀作"で、この映画の原題には深くて、暗示的な意味が込められています。
この主役のナイト・ポーターのマックス(名優ダーク・ボガード)は、かつてナチス親衛隊の将校で、戦時中、収容所の責任者として権力を欲しいままにしていました。
光を恐れる"教会の鼠"のように、今ではうらぶれて、どこか荒廃した冷たさをもって、世間から身を隠すように、ひっそりと生きようとするマックスは、かつてのナチスの仲間たちと、自分たち戦犯の生き証人を抹殺しようとする、ファシズム再興のメンバーとなっていました。
そのマックスの目の前に、ある日偶然にも現れたのが、戦時中、収容所で彼の倒錯した性の対象に選ばれたために、命を永らえたユダヤ少女のルチア(シャーロット・ランプリング)でした。
そして、彼女はいまをときめくアメリカの新進気鋭の指揮者の妻になっていました。
この二人の宿命的な出会いは、過去の退廃的で暗く倒錯した性の追憶を、悲劇的な愛へと高めていきます。
性の不条理とナチズムを結び付けた危険なエロティシズムが暗く沈んだ映像を通して描かれていきます。
ルチアの夫が仕事で単身フランクフルトへ発った後、ホテルの室内で向かい合うマックスとルチア----、恐れから逆上したマックスは、ルチアを怒鳴りつけ、殴りかかろうとします。
二人は激しくもみあううちに、思いがけない事態が起きます。
ルチアは体の底から湧き上がってくる、ほとばしるような性衝動にかられ、いつか獣のようにマックスと抱き合ってしまいます。
このシークェンスで描かれる、リリアーナ・カヴァーニ監督の女性ならではの、ルチアが過去のおぞましい記憶の中から最も憎むべき男に情欲の炎を燃やして変貌していくスリリングな展開は、女性の感性を通して鮮烈に描いていて、まさしくこの映画の重要な鍵を握るシーンになっていると思います。
ナチズムとかファシズムというものを、観念的な概念として考えてしまうと、この「愛の嵐」は、危険な香りの漂う、不可解で難解な映画となってしまうかもしれません。
しかし、その危険なボーダーラインのギリギリのところで、この映画ほど、第二次世界大戦後のヨーロッパ社会を浸し続ける死相を肉体化し、具現化できた映画は稀なような気がします。
このような優れて人間の本質を描く心理的な映画は、監督の映画に託した製作の意図が重要な意味を持ってくると思います。
リリアーナ・カヴァーニ監督は、「ナチズムが悪いという事は、誰もが承知している事で、そんな事は今更、主張しても仕方のない事です。私が言いたいのは、我々一人一人の中にナチズムが潜んでいる----という事です。ナチズムを他人事で済まそうとする小市民主義の中にこそ、来たるべき危機の温床がある」と語っていて、"全ての人がそれぞれの共犯関係にある"のだと指摘しています。
この指摘には深くて重いものがあると思います。
そして、「ナチズムにおいては、それからの救いとしての性が不思議な人間性を帯びている」とも語るリリアーナ・カヴァーニ監督のナチズムへの偏執的な美学は、サロメを連想させる生首の場面等で遺憾なく発揮されていて、死をイメージさせる仮面のような親衛隊員を前に、半裸のルチアが軍帽とだぶだぶのズボン姿で歌う「ひとつでも、希望を持っていたなら」の中の"幸せになりたい、でもそうなればすぐにも昔が懐かしくなる"という歌詞は暗示的ですらあります。
映画のラストシーンで、ナチスの軍服と少女姿の二人が、朝日がうっすらとさすドナウ河にかかる橋を歩いていると、二人の背後から二発の銃弾が飛んでくるという、悲痛で甘美な情死行を、リリアーナ・カヴァーニ監督は、「夜(悪夢)を逃れ、昼の光の中に戻る」事だと語り、女性ならではの感性でナチズムの悲劇を冷静な視線で見つめ、そして、原題の意味がこのシークェンスにおいて締めくくられます。
映画を観終えた後、忘れられないマックスの二つのセリフがあります。
「全てが失われたと感じられた時に、思いがけない事が起こるものだ」と「狂気か正気か、誰に裁けます。私達は皆、同じボートに乗っているんですよ」
映画の全編を通して流れるのは、モーツァルトの「魔笛」で、ナチズムがそれから一世紀半後に破壊し尽くした同じヨーロッパの崇高な芸術と対比されるように奏でられます。
そして、色彩は緑と黒を映像の基調に意識的にしているような、耽美的でデカダンス的な香りと退廃のムード漂う映像美の世界が展開し、我々観客を陶酔の世界へと誘ってくれます。
2021年10月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD、VOD
ー シャーロット・ランプリングという稀有な女優を知った作品である。今作を演じた時は御幾つだったのであろうか。
ナチスのSSだったマックスとの愛。それは、生き残るための表面上の愛だったのかもしれない。
だが、戦後、元SS達がヒッソリと暮らす中、ルチア(シャロート・ランプリング)は著名なオペラ指揮者の妻として、マックスが働くホテルに投宿する・・。
数年ぶりに出会った二人の間に沸き上がった想い。ー
◆感想
・シャーロット・ランプリングの憂愁を帯びた、灰色の瞳には、毎回魅入られる。
私が観た映画「レッド・スパロー」「さざなみ」などでは、一切笑顔無く、怖い教官や、齢を重ねた深い憂いを、眼で表現していた。
ー 私の中では、あの瞳に拮抗しているのは、エヴァ・グリーンだけであると思っている。瞳の色は違えど、雰囲気が似ていると思う。ー
・余りにも有名なナチス帽を被ったトップレスサスペンダー姿で、ナチスの宴で振舞う若きショートヘアのルチアの姿。
・年を経て、元SS達が、自分の身を保つために、行っていた事。
それを知りつつ、ルチアはウィーンに一人留まり、マックスも制止の声を聞きつつ、ルチアとの禁断の恋に、陥って行く。
<橋上で二人を襲う凶弾。
だが、それを覚悟の上での禁断の恋だったのであろう。
戦中の禁断の愛が、年月を経て真の恋になって行く。
Forbidden Loveと言えば、「戦場のメリー・クリスマス」のヨノイ大尉(坂本龍一)と、英国将校のジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)の姿を彩るメインテーマが脳内を過るが、デヴィッド・シルビアンがあのテーマに歌詞を載せて歌った「Forbidden Love」を思い出してしまう。
忘れ難い作品である。
近作の「DUNE/砂の惑星」に登場した、年老いたシャーロット・ランプリングの姿を見ても、”流石だなあ・・”と思ってしまったなあ・・。>