「通夜の客」より わが愛

劇場公開日:

解説

井上靖の『通夜の客』を、「硫黄島(1959)」の八住利雄が脚色し、「からたち日記」の五所平之助が監督した抒情編。「伴淳の三等校長」の竹野治夫が撮影した。

1960年製作/97分/日本
原題または英題:The Day of Youth
配給:松竹
劇場公開日:1960年1月3日

ストーリー

敗戦後四年の秋の夜、新津礼作の通夜の席に、見知らぬ女客が現れ、死顔を素早くのぞきこみ、そそくさと去った。水島きよとだけいった。--新津は戦争中、新聞記者として活躍したが、敗戦になると、一人だけで山へこもった。久しぶりの上京の時、突然、死んだのである。妻・由岐子と二人の子が残された。--水島きよは淋しかった。死顔をのそきこんだ時、あの人の眉がピクリと動いた。何を言いたかったのだろう。きよが新津と初めて会ったのは、十七の時だった。彼はきよが身を寄せていた柳橋の叔母の待合に度々遊びにきた。芸者の秀弥といい仲だった。川開きの夜、きよは彼ら二人と飲み同室で寝た。新津がその時いった言葉《大きくなったら浮気しようね》が、きよには忘れられなかった。戦争は激しくなり、きよは成長した。縁談もあったが、断り続けた。南方の特派員から内地へ戻った新津が、ある晩、友達と訪ねてきた。上海へ発つことになったのだ。空襲の下で、きよは新津に身を投げかけていった。--一年後には、戦争は終っていた。きよは焼け残った柳橋に、従妹と住んでいた。新津は社に辞表を出し、中国地方の村で百姓をやることにして、お別れに顔を見せた。彼は空襲の夜のことは忘れているようだった、何もかも。彼の後姿が淋しげに見えた。--彼が一人で村へ行ったことを知ると、きよは矢も楯もたまらず、後を追った、すべてを捨てて。新津は便利した。やもめ暮しみたいな生活に、女の手は有難かった。きよは彼が山にいる間だけ愛してもらうつもりだ。彼は“中国塩業史”の原稿をまとめるまで山にいる。村の人々は、最初きよを妾として扱い、口もきかなかったが、彼女の男への尽しぶりに同情し、打ちとけた。新津が京都へ行った帰途、東京の自宅へ寄ったことが、きよを悲しませ、死のうと思わせた。彼女の愛の底に、その悲しみは本質的によどんでいた。新津の子の誕生日に、彼が上京する時、きよはその支度に励んでいながら、出立を必死におしとどめていた。きよは彼が妻の方を愛しているように思えた。女の一方的な愛。が、新津の本当の気持を知った時、彼女は期限つきで身をひけるだろうか。--一緒に上京した時、彼は倒れ、そのまま死んだのだ。きよは、山の家を片づけ、雨にうたれて去りながら、新津がいいたかった言葉を悟った。《きよ、ありがとう》三年間の御礼の言葉だったに違いない。彼女はその時やっとわが愛について確信した。《わたしは愛したわ!》

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映画レビュー

5.0有馬稲子って誰に似てるな~、なんて事を考えながら鑑賞。そもそも美人...

2024年3月15日
Androidアプリから投稿

有馬稲子って誰に似てるな~、なんて事を考えながら鑑賞。そもそも美人なんて顔が整ってるから美人な訳で、みんな似てくるもんですからね、そんな深く考えての事でもないですが。
ラスト前の雨に打たれる表情に、あ、竹内結子だ!と。
何かホントにそう思ったんだから仕方ない。
そういや、竹内さんの朝ドラでは有馬さんが祖母役でしたし。見てないけど。
まだまだお二人共通点、中村家に嫁いでたりして。それはどうでもいい話し。
とにかく、竹内結子にこの作品をリメイクして欲しかったな。
散々な目にあいながらも、愛したことに納得して、さっそうと山を降りていく後ろ姿。
この先どんな困難も、彼女は負けないと確信できる。
喉元すぎればですよ。
祖母には相談出来なかったのか?
はなれ瞽女おりんも引き継いで欲しかった。
他の女優は思い浮かばない。

ごめんねと言ってるんだね。

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こうた

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