叛乱(1954)

劇場公開日:

解説

二・二六事件に至る陸軍部内の葛藤相剋を描いた立野信之の直木賞受賞作品「叛乱」を原作に「にっぽん製」の菊島隆三が脚色、「広場の孤独」の佐分利信が監督した。なお、佐分利監督は撮影中病いに倒れたため、阿部豊監督が後をつぎ、これを内川清一郎監督が補佐している。撮影は「銀二郎の片腕」の小原譲治、音楽は「広場の孤独」の早坂文雄。キャストは映画俳優の他、新派、新劇人が大挙出演している。

1954年製作/115分/日本
劇場公開日:1954年1月8日

ストーリー

昭和十年八月十二日。福山から台湾に転出を命ぜられていた相沢中佐は、赴任の途中、陸軍省に立ち寄り、軍務局長永田鉄山を一刀のもとに斬殺した。意外にも犯人には毫も罪の意識がなく、兇行直後、平然と任地に出発しようとして傍人を愕かした。それも理わり、永田少将は満洲事変によってふくれあがった日本陸軍の規模をそのまま対支対ソ戦に切換えるべく財閥と結んで国家総動員体制を企図したいわゆる統制派の中心人物であり、これに対して資本主義による農漁村の疲弊に憤り、腐敗した財界、政界、軍閥を倒して天皇親政の国家改造を断行しようとする皇道派の、相沢はもっとも純粋な分子だった。果然、「相沢につづけ」の合言葉が皇道派青年将校のうちに湧きあがった。これら直接行動派の急尖鋒は、歩一の栗原中尉、それを時機至らずとして抑えているのは同じ歩一の山口大尉、そして民間の志士北一輝、西田税らであるが、相沢公判をめぐる統制派の陰謀に刺戟され、かれらの主張が早急に蹶起へ傾むきかけた矢先、第一師団の満洲派遣が決定した。それも三月。「二月にやろう」との声が歩一から歩三に拡がるが、歩三の安藤大尉のみは依然慎重にかまえている。しかし、その彼も一夜娼家で農村の身売娘の悲惨さを目のあたりにして、同志の声に従う決心をした。西田も山口大尉ももはや大勢をせきとめることは不可能だった。--二月二十六日朝。首相、陸相、侍従長、蔵相、内府、警視庁……あらかじめ、暗殺の目星をつけていた要人の許に、幾手かに分れた総員千七百の蹶起部隊は、夜来の白雪をけって殺到した。要人らの多くは即死、あるいは深傷を負ってあやうくのがれた。軍も政府もなすところを知らなかったが、二十七日に至って香椎中将を司令とする戒厳令が布かれ、二十八日、宮廷内部に統制派の強硬論が通り、一方七千の部隊に叛乱軍討伐の勅令が下った。が、アドバルーン、ラジオ等による香椎中将らの必死の説得で、兵の多くは原隊復帰、主謀者--軍人側香田、安藤両大尉以下十七名、民間側北一輝、西田税以下数名は、弁護も主張もゆるされぬ一方的な軍法会議によって、死刑を宣せられた。十日にわたる無政府状態の末、広田内閣が生れ、かくて統制派の勝利はしだいに財閥との結合による国臨戦体制へと一切をみちびいていった。

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スタッフ・キャスト

監督
脚色
菊島隆三
原作
立野信之
製作総指揮
竹井諒
製作
安達英三郎
撮影
小原譲治
美術
松山崇
音楽
早坂文雄
録音
神谷正和
照明
矢口明
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映画レビュー

4.0古いが貴重な力作

2009年10月28日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

興奮

知的

昭和最大の事変226事件を題材にした映画は
新しくは「226」など幾つかあったが、1954年製作という
その古さからいえば、まだ事件から20年ほどしか経っていない
時に作られた映画。

今の私たちからすればバブル絶頂期の記憶とほぼ同距離なわけで、
226事件に参加した生き残りも多くまだいた頃。
だから小道具に至るまでいいかげんな製作は出来なかっただろう。

青年将校たちが決起に至った動機、彼らをあおっておいて
いざとなると自分の保身のためにハシゴを外して裏切る将軍たちの
行状、あおったけど最後まで裏切らず共に死を受け入れる人間たち。

非常にリアルで、実際にこういう激しい応酬だったろうな、と
思わせる説得力がある。「正義の志士」となって腐敗した日本を
救えるのか、「逆賊」(今でいえばテロリストか)とされて
害虫のように殺されるかふたつにひとつ。 この緊迫感を佐分利
監督は十分に充満させ、観る者をぐいぐい引っ張る。
主人公の安藤大尉役の細川俊夫が煩悶する演技もいい。

こういう大昔の埋もれた邦画を上映してくたWOWOWに拍手!

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ソリッドまさや