破戒(1962)

劇場公開日:1962年4月6日

解説

島崎藤村原作を「黒い十人の女」の和田夏十が脚色、同じく市川崑が監督した文芸もの。撮影は「続 悪名」の宮川一夫。出演は「ぼんち」の市川雷蔵、「人間狩り」の長門裕之など。

1962年製作/118分/日本
配給:大映
劇場公開日:1962年4月6日

あらすじ

天の知らせか十年ぶりで父に会おうと信州烏帽子嶽山麓の番小屋にかけつけた、飯山の小学校教員瀬川丑松は、ついに父の死にめに会えなかった。丑松は父の遺体に、「阿爺さん丑松は誓います。隠せという戒めを決して破りません、たとえ如何なる目をみようと、如何なる人に邂逅おうと、決して身の素性をうちあけません」と呻くように言った。下宿の鷹匠館に帰り、その思いに沈む丑松を慰めに来たのは同僚の土屋銀之助であった。だが、彼すら被差別部落民を蔑視するのを知った丑松は淋しかった。丑松は下宿を蓮華寺に変えた。士族あがりの教員風間敬之進の娘お志保が住職の養女となっていたが、好色な住職は彼女を狙っていた。「部落民解放」を叫ぶ猪子蓮太郎に敬事する丑松であったが、猪子から君も一生卑怯者で通すつもりか、と問いつめられるや、「私は部落民でない」と言いきるのだった。飯山の町会議員高柳から自分の妻が被差別部落民だし、お互いに協力しようと申しこまれても丑松はひたすらに身分を隠し通した。だが、丑松が被差別部落民であるとの噂がどこからともなく流れた。校長の耳にも入ったが、銀之助はそれを強く否定した。校長から退職を迫られ、酒に酔いしれる敬之進は、介抱する丑松にお志保を嫁に貰ってくれと頼むのだった。町会議員の応援演説に飯山に来た猪子は、高柳派の壮漢の凶刃に倒れた。師ともいうべき猪子の変り果てた姿に丑松の心は決まった。丑松は「進退伺」を手に、校長に自分が被差別部落民であると告白した。丑松は職を追われた。骨を抱いて帰る猪子の妻と共に、丑松はふりしきる雪の中を東京に向った。これを見送る生徒たち。その後に涙にぬれたお志保の顔があった。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

映画レビュー

眠狂四郎よりずっと魅力的

2025年8月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 日本に根強く残る部落差別を120年前に取り上げた島崎藤村の小説の映画化作です。

「炎上」や本作の様な現代劇で見せる不安な表情の雷蔵の方が眠狂四郎より断然魅力的だな。カッチリした構図のモノクロ映像は、画面隅の小道具にまで神経が行き届いているのが伝わり、監督・市川崑/カメラ・宮川一夫のセンスに唸らされました。集中力が高まるシーンで、良く見ないと分からぬほどの非常な微速でカメラが寄って行くのに気付いて、なるほどなぁと感心。

 また、今回の雷蔵映像祭中でも多くの作品に出演している藤村志保さん(今年6月逝去)は本作でデビューし、原作の島崎藤村から「藤村」を、役名から「志保」を取って芸名としたと知って驚きました。この作品でも清冽な若さが魅力的です。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
La Strada

3.5お志保さん

2025年5月6日
iPhoneアプリから投稿

役名を芸名にしたとは驚き。凛とした筋の通った強さを表す藤村志保。豪華な出演陣ではあるがそれぞれの配役にしっかりと意味づけがなされている。凄みを感じさせる三國連太郎にひっそりと控える妻、岸田今日子。社会と個人を包含する最後に吐く言葉が、題材に対して実に雄弁である。
終盤は意外な着地である。恋愛色と青春色が混ざって焦点はボケる。それでもこれだけの布陣でこの作品に取り組んだ姿勢は好感がもてる。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
Kj

4.5W市川によるコンビ映画第三弾!

2024年11月13日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル、DVD/BD

泣ける

悲しい

怖い

ネタバレ! クリックして本文を読む
コメントする (0件)
共感した! 1件)
活動写真愛好家

4.0「実は私は部落民なのです。どうぞ私の言うことを覚えておいてください。噛んで含めるように訴えたと覚えておいてください。」

2022年11月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

昭和37年(1962)、今から60年前の映画。先日も真宮祥太郎主演で同作が上映されたが、やはり時代時代の部落民に対する世情が色濃く反映されているなと感じた。なにより、今よりもなお、「部落」と差別されている人たちの存在が身近だったはず。物語の舞台である明治37年(1904)に少年少女だった人たちが、まだ老人世代として健在だったのだから。差別意識は廃れていたとしても、子供時代の記憶にまざまざと刻まれていたことだろうなあ。

市川雷蔵。この役者の幅の広さにつくづく敬服せざるを得ない。シュッと端正な顔立ちでありながら、まさしく部落民の苦悩を表している。かつて、容姿も蔑まれた彼ら部落民のなかにも、稀に美形の女子が生まれたという。高柳代議士の妻のように。だから、丑松が「市川雷蔵」であっても不思議ではない。それを好機と素性を隠し、悪い言い方をすれば「うまく平民に成りすました」丑松。だけど、根っからの彼の正義が、彼自身をずっと責めるのだよな。そこにもってきての、猪子に対して自分が部落民と名乗れぬつらさ、罪の意識。苦悩する「市川雷蔵」はなぜにこうも美しいのだろう。
そして、カミングアウトしたあとの丑松のすがすがしいほどの決意。ラストの決意も決別も、原作ほど不自然ではなかった。むしろ、とても現実的で希望に満ちていた。なにより、子供たちのいじらしいまなざしと、それに応える丑松の言葉が印象的だった。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
栗太郎

他のユーザーは「破戒(1962)」以外にこんな作品をCheck-inしています。