人間魚雷回天

劇場公開日:

解説

回天特別攻撃隊員津村敏行の手記を、「若者よ! 恋をしろ」の須崎勝彌が脚色したもので「慈悲心鳥」の松林宗恵、西垣六郎が夫々監督、撮影に当っている。出演者は「億万長者(1954)」の岡田英次、木村功、「女性に関する十二章」の津島恵子、「慈悲心鳥」の和田孝、細川俊夫、高原駿雄、沼田曜一、宇津井健、加藤嘉、原保美などである。

1955年製作/107分/日本
配給:新東宝
劇場公開日:1955年1月9日

ストーリー

戦争末期、某海軍基地では戦局挽回のために、水中特攻艇回天の猛訓練が行われていた。隊員の大半は学校出身の予備士官だった。多くの犠牲者を出し、また同期生岡田が命を失ったことから、彼等はこの作戦に対し、懐疑的になっていた。学校士官関屋中尉は彼等を理解し、大野上水、田辺一水等は彼等に同情したが、隊長陣之内大尉は軍人精神で押切っていた。出撃した村瀬少尉と、北村兵曹が生還した。玉井少尉等は喜んだが、同輩に罵倒された北村は一人悩んでいた。出撃を前に訓練は激しくなり、北村は疲労と、母親恋しさから精神錯乱を起し、自殺した。出撃命令が下りた。川村少尉は自分の回天に珠数をかけて祈り、ある者は碇荘で酒と女に我を志れた。玉井は碇荘の一室で、恋人早智子と最後の逢瀬を楽しんだ。朝倉少尉は一人宿舎に残り、田辺一水と語り明かした。関屋、朝倉、村瀬、玉井等を乗せた潜水艦が出発した後、早智子はひかれるように海に身を投じた。潜氷艦が赤道直下に至る頃、敵の駆逐艦に会い危くなった。関屋は回天に乗り、駆逐艦に体当りをした。艦隊司令から帰投命令をうけた時、敵艦隊の出港をキャッチした。朝倉、玉井、村瀬等は最後の別れを告げ回天に乗った。故障して海底に横たわる朝倉、早智子の写真を見つめて突っ込む玉井、必死に目標を追い突撃する村瀬。潜水艦は成功の喜こびに湧いたが、爆撃を受け浮上不能となり、回天に続いて自爆した。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

5.0回天搭乗員が「僕達が死んで行くのは、無謀な戦いを無謀なものだと気付かせるためなんです」と語るシーン それが本作のテーマです

2020年10月18日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1955年1月9日公開、新東宝作品 松林宗恵監督は元海軍出身、しかも日大芸術学部を短縮卒業して海軍兵科予備学生となり、1944年に海軍少尉に任官しているのですから、劇中の回天搭乗員達と同じです 監督は、155名の兵を率いる海軍陸戦隊長として南支那廈門島に着任したのですが、まかり間違うと回天搭乗員に選抜されていたかもしれなかったのです だから本作には細かなディテールに至るまで恐るべき迫真性の高さがあります 何気ない所作、言葉遣い、服装、調度品、小道具などまで神経が行き届いているのが伝わって来ます 物語は1944年11月中頃から12月12日まで 前半は回天訓練基地での日々を、後半はイ36潜水艦に搭載され南太平洋の米軍泊地への出撃という構成です 概ね史実をベースにしています 冒頭の訓練基地は1944年9月、瀬戸内海の山口県大津島に設立されています 回天の最初の出撃は同年11月8日で、11月19日から20日にかけて攻撃が行われたが、故障が起こり発進出来なかった回天もあったそうです 宇津井健の演じた村瀬少尉のエピソードはそれがモチーフになっています 史実では次の出撃は、12月の下旬から行われています 劇中に登場するイ36潜水艦の出撃は、史実では12月30日で、ウルシー南泊地の攻撃は1月12日とのことなのです ちょうど1ヶ月前倒しでの物語になっています ただし戦果は小さな歩兵揚陸艇1隻だけでした 劇中にあるような大型空母や戦艦が撃沈されたような華々しい戦果を回天が挙げた事実は終戦まで一度もないのです あのようなシーンは搭乗員と送り出した人々の願望が見せた、そうに違いない、そうであって欲しいという妄想だったのです 本作のように、洋上で潜水艦が駆逐艦とに取り囲まれて、逆襲に回天が発進した例は実際にあったそうです 戦時中の公式の戦果報告書は、そのような思い込みで書かれています 戦後米軍資料と突き合わせて、本当の戦果がこんなものでしか無かったことがはっきりしたのです 回天作戦は回天搭乗員80名~87名の犠牲を強要したにも係わらず戦果は僅かに撃沈3隻、しかも一番大きいものでも武装タンカーでした 損傷を与えたのも4隻に過ぎなかったのです それでも米軍は恐怖に陥ったそうです 逆に言うとそれくらいの効果しかなかったのです 回天の名称は「天を回らし戦局を逆転させる」 つまり天運の挽回という意味だそうです 回天の部隊は別名「菊水隊」と呼称しています 劇中の回天搭乗員達の制服のワッペンや、回天には波と菊を図案化したマークが付いています 菊水は大楠公の旗印から採られたモチーフ しかしその波の上の菊のマークが、海上の爆発の図案に見えてしまうのです なんという皮肉でしょう いやよく見ると、実際の菊水マークの菊の花弁が間引きされています それで本作での菊水マークは菊ではなく、爆発に見えるようにわざとマークを改変した図案にしていたのです 監督の演出意図だったのです 飛行機による神風攻撃は有名で沢山映画になっていますが、海の神風攻撃である回天の映画はそう多くはありません 飛行機なら目標が見つからなかったり、故障したりすれば帰還するなり、不時着したりする可能性も少しあります しかし回天は、母艦から発進すれば確実に死ぬ それ以外のことはないのです しかも軍医から回天発進前に青酸カリまで搭乗員に渡されるのです 万一、座礁して捕獲されて秘密が漏れるのを防ごうとまでしていたのです 飛行機の特攻隊員以上の精神の破壊が、回天にはあるのです このような非人間的な兵器を生み出してまで戦う そのような時点で、もう戦争に負けています もはや戦争に勝ってはいけないという存在になっているのです そのことを、本作は訴えていると思います 劇中、回天搭乗員が「僕達が死んで行くのは、無謀な戦いを無謀なものだと気付かせるためなんです」と語る 「暴力には必ず限度がある」とも 飛行機の特攻隊員でも、同様の主旨のことを話す映画がありました 戦果は大してない、それで戦局が挽回されることなんか有り得ない そんなことは死んで行く彼ら自身が分かっていたのです 無意味な死を自ら積み重ねて見せて、日本人を正気に返らそうとしていたのだと思います その意味で、本当に尊い犠牲だったのです 彼らのその思い、平和への意志は、戦後75年を過ぎても私達に届いていると思います 瀬戸内海の山口県大津島の基地跡地そばに回天記念館があるそうです 一度訪れてみたいと思います 特撮について 水中での回天や、母艦の潜水艦の動きはもちろん特撮が使われています しかし特撮を誰が担当したのかのクレジットはありません 新東宝特殊技術とのみタイトルバックにあるだけです 新東宝の1953年の「戦艦大和」の特殊撮影には上村貞夫、黒田武一郎の名前がクレジットされているのでこの二人である可能性が高いと思います 円谷英二は、戦後の1948年に東宝を公職追放され、独立プロダクションを設立して各映画会社の特撮を担当したりしていましたが、1952年米軍占領が解かれて東宝に復帰しています そして「太平洋の鷲」、「ゴジラ」、「ゴジラの逆襲」を1955年までに担当しています 本作は、1954年11月の「ゴジラ」と、1955年4月「ゴジラの逆襲」の間に当たるから、ゴジラ完成後の11月から12月にかけての期間であれば円谷英二が担当できる可能性はないとは言えませんが、やはり無理があると思います 水中の特撮シーンはそれなり程度の出来です 当時のことをおもえば頑張っている方だと思います 空中の敵機の豆粒ほどの小ささが逆にリアルでした 出撃時のイ36潜水艦の実物大セット、潜水艦内のセットは目を見張る素晴らしい出来映えです 今までみた日本映画の潜水艦の映像の中でも屈指のものです

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あき240