こころ(1955)
劇場公開日:1955年8月31日
解説
夏目漱石の原作を「女給」の猪俣勝人と長谷部慶次が共同脚色し「青春怪談(1955 市川崑)」の市川崑が監督、「狼」の伊藤武夫が撮影を担当した。主なる出演者は「楊貴妃」の森雅之、「月夜の傘」の新珠三千代、「青空の仲間」の三橋達也、「志津野一平 地獄の接吻」の安井昌二、「うちのおばあちゃん」の田村秋子など。
1955年製作/122分/日本
原題または英題:Hearts
配給:日活
劇場公開日:1955年8月31日
ストーリー
日置にとって野淵先生は最も尊敬する先生であったが、何かしら不可解な心情の持主の先生でもあった。ある夏、日置は海水浴に出かけ、ふとこの先生に出会ったが、その一瞬日置は強くこの先生にひきつけられた。これが縁となり日置は東京へ帰ってからも繁々と本郷西片町の先生の自宅へ勉強に通った。先生には美しい奥さんがあり、子供はなく、たった二人だけの静かな家庭であった。しかし先生と奥さんの仲は決して悪いのではないが、かといって幸福でもなさそうであった。日置はその生活の中に入りこんでいくにつけ先生の孤独な境涯に同情をよせるようになったが、一方どうしてこの夫婦はこのような暗い空気におおわれているのか不審をいだくようにもなった。そうした懐疑はやがて先生の徹底した人間嫌いの思想の根本をつきとめようとさえ感ずるようになった。翌年日置は大学を卒業し、先生に就職口を依頼して重病の父の看病に信州の田舎に帰ったが、その間に先生は自殺してしまった。先生は明治天皇崩御の報をきいて、明治の精神の終焉を淋しく悟りながら死んで行ったのだった。先生は就職の約束を果そうと思い、せめて自殺の前に一目会いたいと日置に電報を打ったが、あいにく日置の父も危篤で上京出来なかった。そこで先生は、自分の歩いて来た今日までの、荊の道を、細々と書きつらねて日置に送った。日置は重病の父の床でこの手紙を手にした。その文面には「この手紙の着く頃には、自分はこの世にはいないでしょう」と書いてあった。日置はいそいで車中の人となった。その手紙は先生の遺書であった。先生はかつて伯父のために故郷の財産を横領され、のみならず、政略結婚をまで強要されそうになり、それが原因して人間への信頼を失うようになった。大学に入ってから先生は哲学を専攻する学生梶と親交を結び、縁故を頼って戸田山家に下宿した。その家は未亡人と娘の二人暮しであった。先生と梶は娘をめぐって暗黙のうちに恋を争った。梶は仏教を研究していたが、性格は陰気で意固地であり、一本気であった。先生は娘が自分よりも梶に心を傾けているならば、自分の恋は告白する価値のないものだと思っていたが、未亡人が梶を嫌っているのを知り、ある時、思いきって結婚を申し込んだ。先生の願いはきき入れられた。梶はそれを知り憤慨した。「お嬢さんが俺の部屋に入ってくる度に、俺の心はお前を裏切る罪の意識とお嬢さんを愛する喜びでおののいていた」とよく語った梶にとって先生の行為はまさに裏切りであった。そして梶は落胆のあまり自殺した。友を意識しながら愛情にひかれ、友を裏切った罪悪感に先生の厭世思想ははげしくなっていった。やがて娘と結婚した先生は月一度梶の墓参にいったが、それにも決して妻を一緒に連れていかなかった。それも梶のことを妻に思い出させたくない先生のエゴイズムからであった。日置は以上のことを知り謎が解けたような気がした。本郷西片町の先生の家は暗く沈んでいた。奥さんは日置をみるや、玄関をかけおりて来た。奥さんの泣きはらした頬にまた新しい涙が流れた。