とむらい師たち
劇場公開日:1968年4月6日
解説
野坂昭如の同名小説(講談社刊)を、「勝負犬」の藤本義一が脚色し、「座頭市血煙り街道」の三隅研次が監督したコメディ。撮影は「ある殺し屋の鍵」の宮川一夫。
1968年製作/89分/日本
原題または英題:The Funeral Racket
配給:大映
劇場公開日:1968年4月6日
ストーリー
火葬場従業員の伜に生れたガンめんは、仏の心をないがしろにする既製葬儀会社に義憤を感じ、自ら国際葬儀協会を設立した。ガンめんは霊柩車運転手のラッキョウ、役所の戸籍係ジャッカン、美容整形医の先生らとともに、奇抜なアイデアを生かして商売を始めた。デスマスク、死顔美容、テープレコーダーによる遺言吹き込み、あらゆる形式をもつ葬儀方法を武器に、“国葬”は順調に発展していった。ある日、先生が女子大生に手を出し、あげくの果てに中絶手術を施して罪の意識に悩んでいるのをみたガンめんは、水子地蔵の建立を思いついた。マスコミもこの計画に目をつけたため、中之島公園には、身に覚えのある女たちでごった返す有様となった。その後も参拝する人は後を絶たず、賽銭箱はまたたく間に一杯になり、ガンめんたちは大儲けをした。さらにガンめんはテレビで、世界最初の葬儀コマーシャルを流し、おかげで“国葬”の名は全国に広まった。ついにラッキョウ、先生、ジャッカンはサウナ風呂もある葬儀会館を建て、金儲け一途に走って最初の崇高な理想を忘れてしまった。そのためガンめんは三人とたもとをわかって、ひとりで出直す決心をしたのである。ガンめんの計画は、生きている人間の祭典、万博の向うをはって、仏の祭典である葬儀博覧会の開催である。ガンめんは地下に広場をつくって、大阪死八景、棺桶作り、地獄絵作り、など鮮烈な死の世界の再現に打ち込んだ。一方、他の三人は死顔様教団まで作って金儲けに狂奔していた。ある日、地下のガンめんは大衝撃を感じて地上に出た。地上は水爆でも落ちたのか、一面瓦礫と化していた。世界全部が葬博や、と狂ったように叫びながら飛び出したガンめん。その姿もいつしか消えて、あたり一面に死の静寂が包んでいた。