東京オリンピック
劇場公開日:1965年3月20日
解説
和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎、市川崑の共同シナリオを軸に、ニュース、劇映画のキャメラマン一六四人が、イタリアテクニスコープ・カメラ五台と、二〇〇ミリ、一六〇〇ミリの超望遠レンズ、その他光学技術最高の技術をふるって撮影した、五輪映画初のワイド版。また監督の一員として参加した安岡章太郎が、体操と一人の選手のエピソードを担当、谷川俊太郎がカヌー競技の撮影にあたった。総スタッフ五百五十六人、総監督市川崑。2004年に市川監督自身が再編集し、音声を5.1ch化した「東京オリンピック 40周年特別記念 市川崑 ディレクターズカット版」(148分)が発表された。
1965年製作/170分/日本
原題または英題:Tokyo Olympiad
配給:東宝
劇場公開日:1965年3月20日
ストーリー
ブルドーザーが鳴り、東京の街々は“東京オリンピック”の歓迎準備は万端整った。ギリシャに端を発した近代オリンピックの火が、太平洋を渡って、今、東洋の国日本に近づいている。羽田空港には、アメリカ選手団を初めとして、各国選手が到着した。万国旗のひらめく中、聖火は点火され平和を象徴する鳩が放された。翌日から競技が開始された。一〇〇米男子決勝ではアメリカのへイズが、走高跳男子決勝ではソ連のブルメルが優勝。つづいて、砲丸投男子決勝でアメリカのロングが女子決勝ではソ連のタマラ・プレスが優勝。円盤投男子決勝ではアメリカのオーターが、女子決勝では再度タマラプレスが勝った。そして薄暮の中で、熱戦をくり広げた棒高跳は、ついにアメリカのハンセンの上に輝いた。翌日、雨空だった競技場で、一万米決勝でアメリカのミルズが優勝、つづい男子二〇〇、女子走高跳、女子槍投とうが行われた。八〇〇米女子決勝では、イギリスのパッカーが優勝。競技場のあちこちでは美しく逞しい身体がゆき交う。いそがしく動く報道陣の群れを追うように、国歌が流れ、女子八〇メートル・ハードル期待の依田選手が口笛を吹いて緊張をほぐしている。体操では、日本選手が堂々と君が代を鳴らした。今度初めて参加した国もある、チャドだ。三名の選手が参加した。二度と来られないだろう。競技場の晴れの舞台で、独立国の責任と喜びを味わった。日本のお家芸、重量挙、レスリング、柔道も、予想以上の成績だった。フェンシング水泳、フリーライフル、自転車、サッカー、ホッケー、バスケット、水球、馬術、そして、バレーボールでは、東洋の魔女が君が代を鳴らした。カヌー、ボート、ヨット、競歩、近代五種と競技は展開し、オリンピック最後を飾るマラソンは、アべべの楽勝で終った。すべて終了した。メキシコで再会する日を祝して、聖火は太陽へ帰った。メキシコの国旗がメインポールに翻えっている。
スタッフ・キャスト
- 総監督
- 市川崑
- 監修
- 青木半治
- 今日出海
- 南部圭之助
- 田畑政治
- 竹田恒徳
- 与謝野秀
- 脚本
- 和田夏十
- 白坂依志夫
- 谷川俊太郎
- 市川崑
- 企画
- オリンピック東京大会組織委員会
- 製作
- オリンピック東京大会組織委員会
- プロデューサー
- 田口助太郎
- プロデューサー補佐
- 清藤純
- 熊田朝男
- 谷口千吉
- 撮影
- 林田重男
- 宮川一夫
- 長野重一
- 中村謹司
- 田中正
- 美術監督
- 亀倉滋作
- 音楽監督
- 黛敏郎
- 録音監督
- 井上俊彦
- 録音
- アオイスタジオ
- 編集
- 江原義夫
- 音楽演奏
- 読売日本交響楽団
- 制作デスク
- 宮子勝治
- 大岡弘光
- 監督部
- 細江英公
- 亀田佐
- 日下部水棹
- 前田博
- 中村倍也
- 錦織周二
- 奥山長春
- 柴田伸一
- 渋谷昶子
- 杉原文治
- 富沢幸男
- 山岸達児
- 安岡章太郎
- 吉田功
- 記録
- 中井妙子
- 写真
- 国際フォトマン・グループ
- 技術監督
- 碧川道夫
- 撮影部
- 伊藤義一
- 松井公一
- 三輪正
- 中村誠二
- 小川信一
- 斎田昭彦
- 瀬川浩
- 潮田三代治
- 山崎敏正
- 山口益夫
- 照明部
- 村瀬栄一
- 中村栄志
- 嶋昌彦
- 録音部
- 加川友男
- 水口保美
- 田中雄二
- 編集部
- 林昭則
- 石川英夫
- 松村清四郎
- 宣伝担当
- 土屋太郎
- 協力
- 防衛庁
- 警視庁
- 東京消防庁
- ナレーション
- 三国一朗
- 現像
- IMAGICA