東海一の若親分
劇場公開日:1961年6月21日
解説
「若き日の次郎長 東海の顔役」のコンビ、マキノ雅弘と小野竜之助の脚本を、「月形半平太(1961)」のマキノ雅弘が監督した、若き日の次郎長シリーズの第二編。「宮本武蔵(1961)」の坪井誠が撮影した。
1961年製作/93分/日本
配給:東映
劇場公開日:1961年6月21日
ストーリー
次郎長が新居を構えることになった。恋人のお蝶と結婚することになったのだ。だが、いいことばかりは続かない。叔父の和田島の太左衛門に、吉原の貸元赤鬼銀次、その兄で三島の貸元の赤鬼金平が難題をふっかけてきた。和田島の縄張りに、女郎屋を開かせようというのだ。次郎長は銀次のところへ仲裁しにいくが、侮辱され、ひとあばれする。殺し屋稼業の剣客政五郎の助けで銀次に鉄弾をぶちこんだ次郎長は金平らに追われることになった。次郎長はお蝶と祝言をすませ、清水港を後にした。島田の宿についた次郎長を政五郎が持っていた。一家に加わって大政と呼ばれるようになった。大野の鶴吉から悲報がもたらされた。太左衛門が、ドモ安の身内神沢の小五郎に刺されたというのだ。次郎長は島田の貸元太市を訪れた。太市は太左衛門の弟だが、ドモ安の人身売買ルートを通じて女郎屋を経営する男だ。太市は頼りにならなかった。次郎長に、やくざ志願の森の石松、みきがまとわりついた。次郎長一行は、石松の父の森の五郎の家に寄った。五郎は甲州信州の不作に乗じて女衒上りのドモ安が娘たちを女郎屋に斡旋していると語った。そのドモ安は秋葉権現の祭礼に出向いているという。次郎長は子分を率いて秋葉山へ向った。秋葉山坂下宿には、ドモ安ほか島田の太市、赤鬼金平ら多数の親分衆が陣どっていた。ドモ安の所には、太左衛門を殺した小五郎もいた。ドモ安は生き証拠の小五郎を殺そうとした。だが、次郎長は瀕死の小五郎から事件の背景をたしかめることができた。大がかりな娘の人身売買が行われている最中、次郎長一家は殴りこんだ。小五郎の死体の前に、さすがのドモ安も降参した。次郎長はドモ安らを斬らなかった。ドモ安の妾おしのこそ、大政のかつての妻であったのだ。娘たちの証文を全部取りあげた次郎長らは、東海道にその度量を認めさせることになった。