秩父水滸伝 必殺剣
劇場公開日:1965年9月4日
解説
村松梢風の梢風名勝負物語“秩父水瀞伝”を、宮本智一郎と岩崎孝が共同で脚色、「賭場の牝猫」の野口晴康が監督した剣豪もの。撮影もコンビの中尾利太郎。
1965年製作/89分/日本
配給:日活
劇場公開日:1965年9月4日
ストーリー
明治十七年維新の創業成るとはいえ、秩父地方では剣術が盛んであった。中でも小野派一刀流と甲源一刀流は、毎年知々夫神社の奉納試合で名誉を賭けて争っていた。小野派一刀流高野道場には“秩父の小天狗”と異名をとる早乙女玄吾が、甲賀一刀流逸見道場には“鬼”と呼ばれる岡田伝七郎がいた。この地方では剣術興行が盛んに行われたが、剣士仲間の怒りをよそに、玄吾も道場主源三郎も剣術の普及、その他の理由から、興行に賛成していた。だがその興行も地元のやくざの介入から、本来の意義を逸脱し、腐敗した方向に進められることが多かった。怒りをぶちまける玄吾に、興行元のやくざ上州虎は、逸見道場の伝七郎に助けをもとめた。だが玄吾は伝七郎との対決をきっぱりと断った。道場主源三郎は、そうした玄吾を誉め、知々夫神社奉納試合には玄吾を代表として送ることを言い渡した。玄吾はそれから打倒伝七郎を胸にきざんで修業に励んだ。そんな頃、同門の田代は自由党に入り政府打倒の運動を続けていたが、玄吾は剣術の道に励んだ。ある日、玄吾にひそかに憧れる娘おあいに横恋慕する佐々木善一郎に襲われ、今年は奉納試合は中止だと聞かされ、今迄の努力を思い愕然とした。伝七郎を逸見道場に訪ねた玄吾は、伝七郎ら逸見道場の連中と、上州虎が秩父自由党に入ったことを知り、不安に襲われた。田代は自由党を“延期社”と名を代え総理におさまっていた。延期社は貧乏人には有り難い存在となった。だが一方では伝七郎一味が延期社の名を使い、弱いものいじめを始めていた。玄吾はことごとに伝七郎に対決を迫ったが、かわされ遂に玄吾は佐々木を斬った。伝七郎は佐々木の仇討ちと玄吾と対決した。知々夫神社で対決する二人、伝七郎は真剣で、玄吾は木刀で対峙した。勝負は玄吾にあがった。源三郎に送られ、東京に修業に行く玄吾の顔は明るかった。