切腹

ALLTIME BEST

劇場公開日:1962年9月16日

解説・あらすじ

「人間の條件」などで知られる社会派の名匠・小林正樹が初めて本格時代劇に挑み、1963年・第16回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した作品。滝口康彦の小説「異聞浪人記」を原作に、「七人の侍」などの名脚本家・橋本忍が脚色を手がけ、武家社会や武士道の残酷さを描いた。寛永7年10月、井伊家の江戸屋敷に津雲半四郎と名乗る浪人が現れ、生活苦から切腹したいので庭先を貸して欲しいと申し出る。近頃、江戸では金に困った浪人が他人の屋敷の玄関先で切腹すると申し出て金品を巻き上げる手口が横行していた。井伊家の家老・斎藤勘解由は半四郎に、春先に同じ用件でやって来た千々岩求女という浪人の話をする。浪人たちの強請同然の手口に悩まされていた勘解由は、死ぬつもりなどない求女に庭先を貸し与え、本当に切腹にまで追い込んだのだ。話を聞き終えた半四郎は、勘解由に衝撃的な事実を語りだす。半四郎を仲代達矢、勘解由を三國連太郎が演じた。

1962年製作/133分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1962年9月16日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第16回 カンヌ国際映画祭(1963年)

受賞

審査員特別賞 小林正樹

出品

出品作品 小林正樹
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映画レビュー

4.0 いや、よくぞ血迷うた!

2023年12月3日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

興奮

知的

決めつけて話を聞かない、そういう場を与えない、遮る、制止する。「もういいから。」「それはいい。」こういうトップっているいる。。
そしてトップに同調するメンバー。まあ顔がイケズなこと。誰一人として意義を唱えません。現代でも会議の場などでこういうイケズな場面ってあるわー。

お宅をお借りして切腹をしたいと訪問し、嫌がる相手からお引き取り料をもらい受けるという強請・たかり。これも現代で似たような例あるな。笑
武士の時代だからといって全く高潔な話ではない。相手を騙して金を取ろうとしたり、集団でイケズな振る舞いをしたりするなど現代にも通じる「人間の小ささ・卑猥さ」を武士の時代を舞台装置にして表現したところが、この映画の秀逸で共感を呼ぶ部分であろう。
(そういえば黒澤監督の名作「羅生門」も自己正当化・虚栄心の映画であった。)

圧倒的迫力。カメラワーク、演出、音響!センスが唸る。そしてやはり演技。
凄い演技力だと思っていたら仲代達矢だったのか。後に無名塾を起こすのも納得の凄み。「待ていッ!待たれいッ!」と斬りかかろうとする家臣たちを一喝する声。周りの空気が震えている。丹波哲郎との果し合い、腰を落としたどっしりした剣の構えだけで「明らかにこいつの方が強い」を観客に認識させていた。娘は綺麗な人だなあと思っていたら、若き日の岩下志麻だったとは。なるほどなー。で、家老の勘解由は三國連太郎とな。イケズから狼狽まで表情の演技が秀逸。ワナワナという擬音が今にもみえてきそうだった。
脚本、演出、カメラ、音響、そしてこの俳優陣の迫真の演技があって、この作品を名作たらしめたのだ。

武士の面目を体現していたのは誰か?
半四郎が該当しそうだが、彼も「庭先切腹たかり」の件を興味深く求女に話していて求女に釘を刺されていたな。
彦九郎は求女に切腹を執拗に強いていたがそれは武士が言い出したことに責任を持たせようとしただけでイケズではないような。自分が半四郎に髷を落とされた際には切腹しているし。実は彦九郎だけが該当する様な気がする。でもそれはあんな融通の利かない、杓子定規な人間である、ということなのだ。

少し長いけど、圧倒された。
これがたった¥500で観れるとは。京都文化博物館、素晴らしい!

※登場人物の名前が変わった名前で難しい。下記に記載しておく。
津雲半四郎(仲代達矢) → つくも はんしろう
千々岩求女(石濱朗)  → ちぢいわ もとめ
斎藤勘解由(三國連太郎)→ さいとう かげゆ
沢潟彦九郎(丹波哲郎) → おもだか ひこくろう

※しかしオッサンの集団イケズほど醜悪なものはないな。
※竹光での切腹シーンは思わず目を背けた。周りの人ものけぞっていた。
※脚本が秀逸なので収録されている本「日本名作シナリオ選下巻」をポチッとした。よく聞き取れなかったところもよくわかる。シナリオ通りでない場面もあるな。
※急に会社が倒産したり、これまでやってきた仕事が時代の荒波で消失したりして、家族を医者に見せられないような苦境に陥らせないよう、常に備えないといけないなと強く感じた。(「武士は食わねど高楊枝」は世帯をもっていない武士だけがやるべし。)

コメントする 3件)
共感した! 12件)
momokichi

5.0 スリリングな会話劇❗️日本映画屈指の名作📽️

2025年10月9日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

驚く

ドキドキ

15年前に観たことないの?って教えてもらってからレンタルDVDやら配信サービスやら、時代によって何度も観てきた、生涯ベストムービーを35mmフィルムで初スクリーン鑑賞。

何度も観て知ってるはずが、初めて観たように感じるのはスクリーンで観る情報量の違いなのか!会話劇の質の高さに改めて感動です。

✴️未見の方のために少しだけご紹介します。

映画の中ではあまり多くは語られないが、話のきっかけとしてモデルにしたのは、1620年元豊臣家臣の福島正則の安芸広島のお家取り潰し(徳川家がお城の雨漏りを直したことにいちゃもんつけて追い詰めた)により、浪人が大量に発生したことがモチーフだと思われる。

その頃、江戸でも食うに困った浪人が武家屋敷の軒先で切腹させてくれと願い出て、ゆすりたかりを行うことが横行していた。

三國連太郎演じる家老のいる、赤備え(赤い甲冑)で知られる井伊直政を先祖に持つ井伊家にも、仲代達矢演じる、元安芸広島福島家家臣の年老いた浪人が切腹を所望して訪ねてきた。

そこで、三國連太郎の口から、数ヶ月前にも若い浪人が同じく訪ねてきて、普通ならいくばくかの金を与えて追い払うところ、本当に切腹をさせたという話をし始める。

という冒頭。

「切腹」というタイトルもインパクトありますが、ボクの祖母の幼少期の明治時代の家屋には四畳間があり、「四」は「死」ということで、「切腹」専用の部屋があったことを聞かされたことがあります。今は信じられない話ですが、日本も約150年前にはそんなだったみたいですよ。

1962年公開、武士社会の不条理さを描き、カンヌでも審査員特別賞。時代劇ながら海外でも高い評価を今だに受け続ける傑作。

最近の言葉でいうと、ワンシチュエーションドラマのサイコホラー、サスペンス。

主人公、仲代達矢の真の目的が徐々に明かされ、それにより、逆にジリジリと追い詰められていく三國連太郎。二人の息を呑むほどスリリングな会話劇が繰り広げられます。

ラストの決闘シーンは真剣を使ったというコンプラ無視のリアリティ。また、冒頭からラストまでの緊迫感を持続させる、武満徹による琵琶の劇伴。

パワーゲームに敗れて、土地を追い出され全てを無くした難民が、ささやかな幸せを持つことも許されず、テロに走る。体制を維持するためには不都合なことは公文書も改変、捏造し、部下の犠牲すらも闇に葬る。これが社会の普遍性とは思いたくないが、現代でも全く変わらない人の世でござるよ。

ちょっと前にSNSで映画「セブン」未見の人がリバイバルでの初鑑賞ということをみんながうらやましがる現象が起こってましたが、この映画の鑑賞体験もそんな感じ、いやそれ以上かと。

武士として人として、いかに生きるか、いかに死ぬか?

時代を超えて問いかけてくる、日本映画屈指の名作です。

この映画、観ないで死ぬのはもったいない!

あまり機会はありませんが、是非スクリーンで観ていただきたい作品です。

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minavo

5.0 「切腹」――知られざる原作と橋本忍の脚色の力

2025年9月13日
PCから投稿
ネタバレ! クリックして本文を読む
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共感した! 1件)
KIDOLOHKEN

4.5 Period Drama

2025年9月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

驚く

斬新

 武士に焦点を当てた時代劇には、大きく二つの特徴がある。一つ目は、神格化された武士像である。何より武士を格好良く描く。強く、逞しく、勇ましく、時には心優しい。そんな武士像を描くことが多い。二つ目は、「勧善懲悪」という思想である。悪者は善者によって懲らしめられ、その解決ぶりに爽快感を得る。しかし、この二つの特徴がまるでない時代劇がある。それが「切腹」である。
 この映画は第16回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しており、特に、海外で高く評価されている。なぜ評価されたのか。前述したように、通常の時代劇では「勧善懲悪」の思想が色濃く反映されている。しかし、このような勧善懲悪の構図は、東アジアの物語文化において顕著であり、ドイツの哲学者ヘーゲルが植え付けたヨーロッパの根本思想には、このような勧善懲悪的な、善者が悪者を征伐するような思想がない。西洋思想では「正(テーゼ)」に対して「反(アンチテーゼ)」が生まれる。これは決して「悪」ではない。そして、この二つから「合(ジンテーゼ)」を導き出す。正義が悪を滅ぼし、正義だけが生き残る構図はなく、そこから新しいものを導き出す。「切腹」の構図で考えてみても、切腹を迫られた際、「待ってくれ。猶予が欲しい。」と言った求女の気持ちもわかるし、竹光で無理にでも腹を切らせた解由の考えもわかる。それに対して「なぜ、求女が猶予を求めたのか。話だけでも聞いてやれなかったのか。」と言った半四郎の言い分もわかる。この誰が悪いとも言い切れないリアリティにこの映画の核心が潜んでいる。ヨーロッパでは「切腹」から「ギリシャ悲劇」が連想された。このような構図は、西洋においてはヘーゲルの弁証法にも通じるものがあり、また、ギリシャ悲劇に通じる「避け難い悲劇性」をも感じさせる。ギリシャ悲劇を連想させた根本的要因は、このヘーゲルの思想を介して、類似点を見出したからではないだろうか。そのことを踏まえると、この構図が海外で評価されたことは間違いないだろう。
 その他にも、時間軸を錯綜させた脚本。静と動。全編通した、ただならぬ緊張感。様々な要素がこの映画を形作り、色付けてゆく。この作品において、「正義」とは誰のものだったのか。「責任」とは何に帰すべきなのか。それを問うこと自体が、この映画の根幹なのかもしれない。

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あんのういも