「この親子がどのような旅をしたのか、私にはただ想像するしかありません」砂の器 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
この親子がどのような旅をしたのか、私にはただ想像するしかありません
幸せを捨てた和賀の生き様に、代えがたいほどのエンパシーを感じた。そこまでするのか、そこまでしなければいけないのか。そう、それほどのことなのだ、と。
秀夫という過去を抹殺した和賀は、もう父に会うこともできない。加藤剛のその哀しみの表現が秀逸だった。今までは、和賀が父との過去をも切り捨てたのだと思っていたが、久し振りにこの映画を観て、名前を変えても父を忘れることがない和賀の気持ちがひしひしと伝わってきた。それは、父千代吉の態度からもわかる。二人は現在のお互いの立場を慮るがゆえに、他人の前ではお互いの存在を否定するのだ。お互いがお互いに、心の中ではかけがえのない存在であるからこそに。それを今西刑事が「彼はもう、音楽の中でしか父親に会えないんだ」と台詞で補う。今西は2人をよく理解していた。けして入れ込みすぎることなく、それでいて二人の心情に寄り添うように。
映画の作りとしては、今見返すと無駄も感じる。やはり冒頭は操車場での現場検証からのほうがすっと入れる気がする。秋田の出張は回想でもいい。全国を歩き回った印象を付けたいためか。緒形拳が登場してからさらに画面が引き締まった空気になったのは、さすが名作。
コメントする