斜陽のおもかげ
劇場公開日:1967年9月23日
解説
太宰治の遺児である太田治子の手記(新潮社刊)を、「喜劇 駅前百年」の八住利雄が脚色した。新人斎藤光正の監督昇進第一回作。撮影は「君が青春のとき」の萩原憲治。
1967年製作/92分/日本
原題または英題:The Lonely Life
配給:日活
劇場公開日:1967年9月23日
ストーリー
太宰治の遺児で、しかも「斜陽」の中に描かれている彼の愛人の子であるという宿命は、幼いころから町子の多感な胸を揺さぶりつづけてきた。時には自分が「斜陽」の子であるということに誇りを感じることもあったが、成長するにつれて、それは複雑な思いに変っていった。ただ、町子にはっきりしていることは、父の名と、「斜陽」の子であるということから逃がれられないということであった。それは母のかず子にしても同様であった。町子はそうした気持ちを心の中に秘めながらも誰からも好かれる明朗な高校生だったし、かず子も倉庫会社のまかない婦仲間から“斜陽さん”と呼ばれて人気があった。ある日、町子は大学生谷山圭次と知りあった。彼は町子の高校のOBで、山岳部のコーチに来ていたのだ。大学で太宰治の研究をしているという圭次に、町子は惹かれるものを感じた。町子は、父が自分の誕生の時に命名のお墨付をくれたことや、母から聞いた父の人となりを圭次に話した。圭次もまた、愛人に死なれながら、その子を立派に育ててきたかず子の生き方をほめるのだった。間もなく、圭次から山に行っているという手紙を受け取ったあと、町子は、父の出生の地である津軽を訪れた。そこであたたかく迎えられたことが、何よりも町子には嬉しかった。圭次の母が町子と圭次の交際に反対したことや、就職試験でハネられたことなどで、彼女が、これまで心の隅で感じていたうしろめたさは、一遍に消し飛んでしまった。ちょうどその頃、圭次遭難の電報が町子の許に届いた。急いで帰る途中、彼女は初めて圭次を愛している自分をはっきりと知った。帰宅した町子は、母とともに圭次が登った山に向った。圭次は奇跡的に助かり、山小屋に収容されているということだった。無事な圭次の姿に、町子は喜んだが、その様子を見ていたかず子は、思わず、町子と圭次の二人に向って「生きていてよかった……生きていて良かった」と言うのだった。それは、これまで母と子が背負ってきた宿命の重さを告げる言葉でもあったのだ。