縄張はもらった(1968)
劇場公開日:1968年10月5日
解説
「講道館破門状」の石松愛弘と、「大幹部 無頼」の久保田圭司が共同でシナリオを執筆し、「みな殺しの拳銃」の長谷部安春が監督したアクションもの。撮影は上田宗男。
1968年製作/95分/日本
原題または英題:Retaliation
配給:日活
劇場公開日:1968年10月5日
ストーリー
八年ぶりにシャバに出た一文字組代貸寒河は、今や一文字組は狭間組に縄張りを奪われ、すっかり落目になっているのを知った。組長源造の勧めで、寒河は狭間組組長と会った。狭間は、新興工業地帯の二大勢力青葉組と遠野一家をたたけば、その土地は自由にしてもよいという約束を寒河としたのである。寒河は一文字組を盛り返すため、早速、作戦を練った。その土地は土地買収問題にからんで、青葉会と遠野が争っていたのだが、寒河は二派を互いに闘わせて、自滅させようと図ったのである。寒河はまず、青葉会の賭場に部下の新庄を潜入させ、賭場を混乱に陥れた。この騒ぎで新庄はつかまり凄まじいリンチを受けたが口を割らず、殺された。また寒河は中津に命じて、遠野一家の幹部春田を殺させた。この二つの出来事で、まんまと寒河の計略に乗った二派は、大乱闘となった。そして、間もなく急行した警官隊によって一網打尽になったのである。寒河は作戦が図に当り、また地主たちの信望もかち得て土地買収も整い、自ら日新建設をスタートさせたのだった。工事は順調に進んでいた。ところが、寒河の手際のよさに、狭間は脅威を感じ、工事妨害の策に出たのだ。しかも、寒河が親しくなった大地主早船の娘佐衛子は、狭間組の車にひかれ、殺されてしまったのだった。このままでは、一文字組を盛り返すこともかなわなくなる、と思った寒河は、佐衛子の死に感じた怒りをそのままに、単身、狭間の邸に乗り込んだ。待ち受けていた狭間の子分たちと寒河は、激しい拳銃戦を展開したが、野獣のように、突き進む彼を妨げる者はいなかった。