劇場公開日:

解説

真継伸彦の同名小説を「宮本武蔵 一乗寺の決闘」の鈴木尚之が脚色「五番町夕霧楼(1963)」の田坂具隆が監督した文芸もの。撮影もコンビの飯村雅彦。

1964年製作/165分/日本
原題または英題:The Sharks
配給:東映
劇場公開日:1964年6月20日

ストーリー

越前海岸の或る村に、父無し子として生れ、育った少年サメは、鮫を獲って母子二人の貧しい生活を送っていた。しかし、母も土一揆のあおりをくって死別。この日から、サメは憧れの京への旅へ出た。最初に手をひいたのは鋳物師だった。が、この老人も折からの大飢饉で、途中餓死してしまった。京への道案内を失ったサメは、ひもじさに耐えられず、人肉を食べ、女の欲望をまるだしにした三十女に連れられて京へ来た。だが京は、応仁の乱以後の混乱で巷には難民があふれて、死臭がただよっていた。サメは隻腕の盗賊四郎左に拾われ、食物にありつけた。「生きる為には、何でもやる」四郎左の言葉は、少年サメの心に強く響いた。窃盗傷害、殺人と、サメは、男に成長していった。がサメは、次第に指導者としての、四郎左に憎悪と反感をもち、ついに四郎左は、サメの兇刀に倒れた。自信を持ったサメは、侍を志して合戦に加わった。しかし、下賤の出身で誰からも相手にされないと知ると、サメは、戦場で知り合った筑紫の源次らと徒党を組み、京へ戻って掠奪を始めた。源次のやり方は、四郎左に増して、残忍であった。金持、貴族を専門に狙い、女から肌を奪って殺す。衝動的な野獣の暴虐だった。或る夜、尼寺を襲ったサメは、若い尼僧の夜目にも白い裸身に、哄笑を浴びせた。だが、尼僧の成行きを待つ如く静かな面のもつ、異様な美しさに、今迄一度も体験しない恐ろしさを感じた。貧しさゆえに刀で生きようとした、サメの心に、あの見玉尼と呼ばれる、仏尼は、美しい人間の心をよみがえらせたのだ。サメは、見玉尼の静かな面を思って、泣いた。

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映画レビュー

3.5早よう好きなようになされませ。あとで南無阿弥陀仏と申されませ。

2024年12月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

田坂具隆監督の文芸もの。中村(萬屋)錦之助の子供役にはさすがに無理はあったが、青年に成長し、夜盗へと闇落ちしていく姿は見ごたえがあった。
越前海岸(三国湊近く)で流民として暮らす鮫。漁民たちからさえ蔑まれ、怯え、身を縮めてほそぼそと生きている。越前を抜け出し、世間を呪い、しまいには京で血の通わぬ悪党へと変り果てる。その鮫を、尼僧の言葉が目覚めさせる。地獄でお釈迦様に出会ってしまったかのように。ある意味、三蔵法師に出会った孫悟空のように。そして迷う。「俺はどこに行こうとしてる?俺は何を探している?」と。その自問こそが、目覚めだ。自分が弱く、欲深く、愚かで、何者にもなれていないと迷うことこそ、人間としての成長の第一歩であり、ひとりの従順な仏徒の誕生だ。残念ながら人間は、鮫ほどの後悔を持たないと、目覚めぬ生き物なのだろう。

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栗太郎