ここに泉あり

劇場公開日:

解説

今井正が「にごりえ」に次いで監督する映画で、群馬の地方交響楽団をモデルに「浮雲」の水木洋子が脚本を書き、「愛すればこそ」の中尾駿一郎が撮影に当り、同じく団伊玖磨が音楽を担当する。主なる出演者は「あなたと共に」の岸恵子、「人間魚雷回天」の岡田英次、「学生心中」の小林桂樹、「浮雲」の加東大介、「銀座令嬢」の三井弘次、「姿三四郎 第二部(1955)」の東野英治郎、「哀愁日記」の草笛光子等で、山田耕筰のほか楽団人も特別出演する。

1955年製作/177分/日本
原題または英題:Fountainhead
配給:独立=松竹
劇場公開日:1955年2月12日

ストーリー

人心のすさみきった終戦直後、群馬県高崎市に生れた市民フィルハーモニーは、働く人や小学生に美しい音楽を与えようとしたがマネージャー井田の努力にも拘らず、楽団員の生活も成りたたない有様だった。楽団で唯一人の女性佐川かの子は、音楽学校を出たばかりのピアニストだが、田舎では腕が落ちるのを悩んでいた。新しく東京から参加したヴァイオリンの速水は彼女を励ますが、彼自身も同じ苦しみを味っていた。生活の苦しさに脱退する者もあったが、深山の奥の小学生や鉱山やハンセン病療養所などに出かけて、音楽を喜ぶ人々を見ると、一切の労苦も忘れた。速水とかの子は結ばれて結婚したが生活は苦しく技術への不安も大きくなるばかりだ。軍楽隊上りの工藤や丸屋は、仲間の楽器を質に入れたり、チンドン屋になったりしたが、それでも頑張っていた。井田は東京から山田耕筰指揮の交響楽団とピアニスト室井摩邪子を招いて合同大演奏会を開いた。余りに大きな腕の違いに一同は落胆したが、それから二年後、山田氏は旅の途中で彼等の練習所へ立寄った。生活と闘いながら彼等は立派な楽団に成長していた。かの子は赤ん坊を背に、皆と一緒に、野を越え山を越えて、人々の心に美しい音楽を与えるため歩きつづけた。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.0山田耕筰氏だぁ!!!

2021年7月31日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

単純

知的

音楽の授業で習った偉人が、フィルムの中で動いている!!!
それだけで、テンション上がってしまった。(うん、私、ミーハー(*'▽')ゞ)
 山田氏自身が、日本に常設のオーケストラを作るべく、奔走していたからか?

草の根運動。実話ベース。
 人々に生音を届けたい!という思いと、地方都市に常設オーケストラをと奮闘したマネージャーや楽団員たちの葛藤を描く。
 昭和世代にさえ、遠い過去の話。
 だが、音楽と生活の両立、プロとアマ、地方に”埋もれる”という焦りと”中央”への憧れ、仲間との分断(新陳代謝)等、今のバンドや劇団に置き換えても通じる話。
 ましてや、生音を聞き難い今だからこそ、映画の中での彼らの奮闘を応援したくなってしまう。

 戦後の、まだ闇市があるような、混乱している頃。とはいえ、よくドラマにある焼け野原の風景ではなく、それなりに戦前から戦中、戦後と生活基盤は続いていたらしい。パーマ屋等の商店街は残っているらしい。
 資金稼ぎが主たる目的かつ情操教育を広めようと、出張演奏を繰り返す楽団。その成果もあって?後半、速水が指導する教室に、ヴァイオリンを習いに来る児童~少年が何人も出てくる。
 半面、
 「彼らは、もう一生オーケストラを聞くことはないでしょう。炭を焼いて、一生を終えると先生が言っていた」
 そんな台詞が出てくる。当時としては、当然、出張演奏を続ける意義を確信する感動場面の一つだったはず。
 そこから、現代を見据えれば、なんと時代が変わったのだろう。
 確かに、陸の孤島と言われる地域はまだある。それでも、その気になれば、生音を聞きに来ることは可能だ。高価で手の出なかった車も、今は地域によっては一人一台の時代。オーケストラの追っかけはあまり聞かないが、アイドルや超有名な指揮者とか演奏家となれば、全国をまたにかけるおっかけも多数存在し、問題視されたり、おっかけの落とすお金を期待する時代になった。
 また、職業は、どこに生まれるかで規定されるのではなく、その気になれば、なんにでもなれる時代になった。尤も、その家族特有の様々な制約があると、その制約の中での選択になってしまうが。でも、それは山間だけの話ではなく、どこでも起こること。
 かえって、炭焼きは、需要が少なくなり、かつ海外からの品に押されて廃業する人が多く、職業変更を余儀なくされる。

今井監督作品初鑑賞。左翼系の監督とDVDについていた解説書で知る。
 こんな社会情勢の変化を知ったら、なんというのだろうか?

映画は、セリフ回しがところどころ、妙に理屈っぽく冗長。
 言い方も、左翼系の監督作品にありがちの、ちょっと言い放ったような、棒読みっぽい箇所もある。
 若い夫婦の言動も、モダンスタイルなのか?今の基準でいくと、そこ、自分の布団を敷くだけ?等、当時としては思いやっている方なのだろうが、今基準で見ると「は?」というところが多い。
 それでも、妻の矛盾をしっかりと書いているところはすごい。その言葉を発しているかの子自身が、その矛盾を抑圧・スプリットしていることに気が付かないところがリアル。
 他には、山田耕筰氏に対して、態度は”先生”とあがめ祭っているのに、「先生」とは呼ばない。「さん」で通す。私の周りの社交辞令と違い、作為的で、ちょっと引いてしまう。
 元署長に対しても、さっき「署長さん」と呼んでいた同じ人間が次は「署長君」。
 ハンセン病者に対しても、上から目線。患者会から「実態と違って誤解を生む描写」とカットを要求されたのに、直さない(DVDの解説書から)。患者会が問題視した描写がどこかは知らねども、私的には「未来永劫救いのない」という台詞に反応。シーンとしては、感情ポルノと揶揄されても仕方がないような感動をわざと作った箇所。映画とはそういうものなのだから、素直に感動していればいいのかもしれないが、違和感。時代の違いなのだろう。

細かいところはともかく、映画の筋は感動的なのだが、編集が悪い。
 実際のオーケストラ等を使っているから切れなかったのか、聞かせたかったのか、間延びしてしまうところが何か所かある。
 そして、最初の素人楽団での演奏と、玄人が集まって、人々を感動させるシーンの演奏の差がわからず。中盤、「実力の差を思い知った」という演奏とかの子の演奏の差もわからない(岸さんの演技は迫真だが…)。なので、最初の小学生たちと、終盤の小学生の態度の差が今一つピンとこない。最初の学校でも、あんなふうな演出で子どもの心を掌握すればよかったじゃないかと思ってしまう。プロとアマの違いをはっきり示す場なのだが。
 これは私の耳の問題なのだろう。わかる方には違いが判るのであろう。
 そして、実話ベースであり、ラストに「実は」という展開を持ってきたかったからか、ラストが魔法のよう。唐突すぎて、ハッピーエンドの感動としらけ感とを行き来してしまう。
 なので、感動話でさわやかなのだが、すっきりしない。

そんな中でも、役者がすごい。
 小林氏演じる亀さんは、手八丁、口八丁で楽団を維持しようとする。途中、それは奥さんに対してひどすぎるのでは、甘えすぎなのではという場面もあり、決して好人物として描かれているわけではないのだが、小林氏が演じると、どこかに愛嬌があり、つい、与太話に乗ってしまいそうになる。
 けれど、私的にMVPは東野氏。この映画だけを見るとそんなに際立っていない。でも、黄門様とも違う。『用心棒』の居酒屋の亭主・『赤ひげ』の大家・『太陽の王子ホルスの大冒険』の刀自(声)、すべてにおいて違う人物になりきっている。この映画では、不正には毅然としているくせに、慣れぬことをさせられてオタオタしてどもりながらも、ここぞというときには一本背負いを決めたくせに、相手にケガさせていないかと慌てる署長さん。うまい。七変化とはこういうことを言うのだろう。立ち位置が笹野高史氏に似ているが、笹野氏の方が”演技してるぞ”という灰汁がある。東野氏は、その役柄だけをみれば、あまりにも自然すぎて、その辺にいるお爺さん。だのに、見る映画ごとに違う人を見せてくれる。
 大滝氏も出演されているらしいが、私はどこにいらっしゃるのかわからなかった。あれほど、灰汁が強い人が霞むほど。
 草笛さんもわからず。演じられた役の名は出てくるが、どこに出演?
 そして、ノンクレジットで、原久子さんや奈良岡朋子さん…。他にもどこかで見たような…。
 古い映画はそんなところも楽しい。

《蛇足》
子どもたちのヴァイオリン合奏が、一瞬『崖の上のポニョ』に聞こえてびっくりした。
私の耳はその程度です(笑)。

(台詞はすべて思い出し引用)

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とみいじょん

4.0良質の音楽映画

2019年12月17日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 冒頭の蒸気機関車C50の映像がすごい。人々は客車のみならず、屋根の上、窓から乗り出し、無茶苦茶な乗車率なのだ。貴重な映像ドキュメントとして、これだけでも満足(おいおい)。

 高崎市民フィルハーモニーは細々と学校や田舎を巡業。ロクな入場料も取れないまま、楽団員の給料も半年に1回という始末だ。一応専業のミュージシャン達とともに、医者やパーマ屋の主人など、バイトがてらに参加している者も多い。小学校では児童は誰も音楽など聴いてないし、中にはケンカを始める児童もいた。

 1年後、速水とかの子は結婚。相変わらず貧しい生活の中で楽団を続ける。病院慰問コンサートの最中に難産の末、無事出産したかの子。楽団も10人未満のまま、速水は才能教育で月謝を稼ぎ、コントラバスの工藤(加東大介)をはじめとするメンバーたちはちんどん屋をやって小銭を稼ぐ。金に困った団員の一人が他人の楽器を質に入れるまで追い詰められていたくらいだ。そうして楽団は解散へと追い込まれ、山奥の分教場で最後のコンサートを開くことになった。そこでの子ども達の反応は素晴らしいモノ。今までにない感動を楽団員のほうがもらうことになる。最後に演奏されたのは子供たちが一緒に歌う「赤とんぼ」。コンサートの帰り路、山奥から聞こえてくる「赤とんぼ」には涙なしでは見られない。

 数年後、ゲスト出演している指揮者の山田耕作が再び高崎へ降り立ち、楽団が未だ存続していることに驚く。その練習場で指揮者としてタクトを振る。そして、再び東京管弦楽団との合同コンサート。最後にはベートーベンの第九交響曲合唱付きで締めくくる。

 終盤は蛇足とも思えるほどで、実話をベースにしているから仕方ないことだけど、「赤とんぼ」を聞きながら再起に向けて決意するシーンで終わりのほうが感動できる。

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kossy