黒い十人の女のレビュー・感想・評価
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当時としては斬新かつスタイリッシュな映画だったのだと思う
リアル感なき表層的シニカルなブラックコメディという括りになるのだろうか。 当時の浅薄で先進的な人間には大いにアピールする映像・演出スタイルだったのだろう。 個人的には脚本的にも演出的にも面白さを見出すことはできなかったが、トップ女優陣の「華と魅力」の幾何かを堪能させてもらえたことに感謝したい。
誰にも優しいてことは、誰にも優しくないってことよ。
船越英二と関係をもつ、妻を含む10人の女たち。全部が山本富士子や岸恵子だったら、船越英二はいけ好かないキザな奴にも見えたのだろうけど、正直、この女に?っていうのも出てくる。そこに、誰にでも優しいって軽さが見える。妻山本富士子も女優山本富士子も、コイツと一緒なの?と同列にされることを不快に思っただろう。じゃあ、自分に対する愛情は本物じゃないんだろうとも思っただろう。だけど、憎めない。そのキャラを演じる船越英二の絶妙さ。育ちの良い金持ちのボンボンにたまにいる、嫌みのなさ。(それは女にだけでなく上司やクライアントの男たちにも。)だから、女たちは忘れられない。他の女にもフラフラする船越英二にジリジリする。自分だけ出し抜くこともできずに共闘を組む。復讐のために?いや、他の女へのけん制のために。もう、船越英二が欲しいというより、こいつらに勝てないまでも遅れをとるまいという意地の張り合い。その丁々発止の探り合いが刺激的だった。 この映画、1961年とあった。もう60年も前か。このテーマをドロドロさせず、とてもスタイリッシュだ。黒というシックなビジュアルがコメディ要素を引き締めてくるし、一人の自殺者がいることでナーバスな一面を見せて不倫を茶化さない。昭和のTV界の空気感、当時最前線を走っていた俳優たちの雰囲気、古くてもとても新鮮だった。
タイトルなし
主体性のない空っぽの男に女たちが取り憑かれるのは、そこに他の女の影(他人の欲望)を認めるからである。宮城まり子だけが幽霊になり、寄る辺をなくした空っぽの男と女の実体だけが同じ空間に同居するというオチは秀逸だった。 カットや演出が斬新で画も良かった 。船越英二が良かった。でも、映画として面白かったかと問われると、制作現場の描写を除けば、微妙だった。
素晴らしかった
なんと言っても和田夏十の脚本が凄い。
彼女だからこそ書ける台詞、動作。
オリジナルと映画版で変わった部分もあるようだが、
それにしても台詞のひとつひとつが素晴らしい
それぞれに切実である上に、洒落ている。
女対女は、それが静かでも激しくても良いし
ましてや男対十人の女は面白くないはずがない
その十人の女に対する風末吉のキャラクターの妙
あの飄々とした、まさに風のような男に
女たちは翻弄され、解放されるのである
風の妻、山本富士子が魅力的である
妻しか出来ない言動や、風とのやり取り
他の女たちへの身の振る舞いが素敵
そして、唯一幽霊となる宮城まり子
彼女の行動でこの作品は暗い影を見せる
と思いきや彼女は霊となって風の周りを彷徨くのだ
なんて挑戦的だろう
最も輝いていたのが、岸惠子だった
彼女は他の女に階級の差を見せつけつつ、
最後には責任を負う
ラスト、炎上する車に見向きもせず、
まるで奈落へと進んでいくような表情は
忘れられない
劇中、何度も挟まれる風末吉を殺すイメージが
たまらなく良かった。
溜飲は下がるし、何より女たちが格好いい
モノクロの効果もあると思うが、
最高に十人のシルエットがクールなのだ
もうこの佇まいでいい映画だってのが分かるよね
何度も見直したい映画です
センス抜群!
こんなハイセンスな映画があるなんて知らなかった。 洒落ていて、粋である。いま観ても全然古さを感じさせない(題名も秀逸です)。 まず物語の着想がユニークだ。そのストーリーをユーモアが包み込んで、観客を魅了していく。 そして、ワンカット、ワンカットがカッコいい。 モノクロームの、大胆に余白をとった画面構成。素敵です、キマってます、シビレます。 豪華な女優陣の競演は、さながら「妖怪大戦争」のようにも感じられますが(失礼!)、見どころたっぷり。 それぞれの名女優の演技を存分に堪能することができました。 僕が生まれる前の映画なので、皆さん、僕の知ってる顔とは、かなり違っていて、「中村玉緒、こんなにふっくらして可愛かったんや」とか「岸田今日子、めっちゃカッコええやん」とか、そんなことも愉しめた。 それから、クレージーキャッツの出演もあり、サービス満点。 市川崑監督の映画づくりのセンスの良さを再認識させてくれた、そして、和田夏十の脚本づくりの巧みさに感心させられた、貴重な上映でした。 小西康陽さんが推すのも納得です(小西さん、ありがとう!)。 追記 上映が終わった瞬間、場内の何人かの人が拍手をしたので、僕もつられて手を叩きました。 映画館で拍手を聞いたのはほんとうに久しぶりでしたが、監督と作品へのリスペクトが感じられ、こころ温まる思いがしました。 やっぱり、映画は映画館で観たいですね。
お見事でした💐 でもまだ続く
ザ・女優の二人、岸惠子と山本富士子の火花散るセリフのやりとりと表情の応酬に痺れました。何度も見たい聞きたい場面がてんこ盛りの映画です。 和田夏十の脚本がまず最高に素晴らしい。そして市川崑監督のオープニング・クレジットと演出とカメラワークに心掴まれました。時間構成もカット割もかっこいー、面白い!山本富士子にあんな恰好やあんな表情させてあんなセリフを言わせるなんてすごい。それに応えてこなす山本富士子も凄い。どんな役者もイメージとかふさわしい役柄というのはあるだろうが、主役級の役者がこれだけ幅広い演技ができてそういう役を与えられる・受けるという昔の映画の世界ってすごいなあと思った。岸惠子は女優の役。まさに適役ですっごくかっこよかった!岸惠子が「悪魔の手毬唄」に出演したように、市川崑監督の横溝作品に出る山本富士子を見てみたかった。 1961年の映画なのにあまりにアクチュアルで予言的なことに感動しつつ総毛立った。女はみんな仕事をして経済的にも人間としても自立して好きな男でも本性が透けて見えることは織り込み済み、「ふたり並んで乞食しましょう」と肝が据わっている。男は「仕事」や「会社」がないと居場所を失い言い逃れや言い訳もできなくなる。振り返る必要も時間もなく場当たり的にやり過ごしてゆくことに慣れてるテレビ局の仕事。そして今、職種に限らず空間も時間も「仕事」に奪われ(或いは自ら捧げ)監視されることにも慣れてしまった世界に私たちは生きている。 最後の持って行き方、ゾクゾクした。ラストの予言、その予言は更なる予言を生み出すような。 おまけ クレジットで「一三」?と思ったが、本人見て伊丹十三さん!とすぐわかった。若い時から素敵。手が痒いのはアトピーだろうか?そんなところにもこの映画の予言性を感じた。あとクレイジーキャッツの演奏とコントがすごく嬉しかった。みんなわっかーい!
クレイジーキャッツはgood!
女優の市子(岸)、TV局スタッフの五夜子(岸田今日子)、TV局の下請け印刷業を営む未亡人の三輪子(宮城まり子)、それにCMガールの四村塩(中村玉緒)。TVプロデューサーという職業に加え、女に優しすぎるため次々と愛人が増えてゆく風。
風の提案で妻の双葉にピストルで撃たれる芝居を打ち、1ヶ月ほど姿を消すという計画を立てる。双葉の経営するスナックの2階座敷に10人の女が集まり、計画通り空砲を放ち死んだフリをさせる。9人の女たちはまんまと騙され、しばらくして三輪子は自殺する。半月後には女たちは風が生きていることに気づき、双葉を責める。双葉は離婚することで責任を逃れ、市子が彼を匿うことにした。
ラストには女優を引退した市子が車を運転するが、対向車線では事故で火災が発生中。これが逃げ出そうとした風が事故ってたのか?と考えると恐ろしくもなるが、あくまでも想像の中だけのこと。
途中に出てくる妄想の映像がとてもいい。海岸で10人の女に囲まれるところはとてもスタイリッシュなのだ。ただ、宮城まり子の幽霊はコメディともとれるし、どうも違和感がある。それにサスペンスタッチではあるのに、主人公の死の恐怖というものが感じられないところが残念すぎる。働き蜂のようになるTV局であるはずなのにのほほんとしている様子もイマイチだ。
21世紀の現代人は、心と心を触れあわせることの出来ない生き物になってしまっていないでしょうか?
テレビ局が舞台です 昔も今も24時間切れ目もなく稼働し続けている仕事場であることを本作は丁寧に紹介します 岸恵子が演じる市子は、テレビ局プロデューサーでプレイボーイの風にこういいます あなたは(ピーターパンのように)影の無い人だって誰かにいったことがあるけど、現代の社会機構の中に巻き込まれると誰でもそうなるのよ 忙しく飛び歩いて事務的な事の処理は大変上手くなるけど、心と心を触れあわせることの出来ない生き物になってしまうのよ 女が男に求めることはもう無いのよ、あなたの中には この台詞こそが本作のテーマだと思います 21世紀の現代においては、ネットによって24時間オンラインで繋がって、男も女もいつオンだかオフだかよくわからない状態に置かれているのです 本作のテレビ局員のような忙しさはいまや普通の人々までそのような生活を送っているのです 新幹線や飛行機で飛び回ってもいます ハッと気がつけばCAでもないのに1週間毎日飛行機に乗っていた、どうりで疲れる筈だとか しかも、それでいてPCやスマホで仕事を進行させながらです こんな生活をを続けていると、ナチュラルハイになります 高ぶった精神を鎮める場を求めて、疲れているのに深夜にバーに繰り出して強い酒を煽ったりするようになるのです 人によっては本作の風プロデューサーのように女性に向かうようにもなります 風の行動は非常識なものですが、とても納得できるありそうな行動だと、自分には経験からそう思います そうです 心と心を触れあわせることの出来ない生き物になってしまっているのです これが昨今の結婚しない男女が増えている本当の原因のように思えてなりません 本作は21世紀の現代の社会機構の問題を60年も前に正確に予見していたのだと思います スタイリッシュなフランス映画を思わせる映像と音楽は他の日本映画にはみられない素晴らしいものです モンキーパンチの初代ルパン三世をどことなく思わせる程です ラストシーンの夜の国道 道端で横転して炎上する事故車はこれから起こることを暗示した不安の余韻を残す見事な終わり方でした 日本映画オールタイムベストにリストアップされて当然の傑作です
ラストのシークエンスには痺れた
市川崑監督作ってことで鑑賞。噂には聞いていたが見逃していたタイトル。 「誰にでも優しいってことは、誰にも優しくないってことよ」と言われてしまう男・船越英二をめぐる十人の女の話。なんとも奇妙な味わいの映画。どこに進むかわからない会話と物語。最後の台詞の応酬は禅問答のよう。ブラックコメディというよりももっと別の何か、という感じがした。 女優はやはり山本富士子と岸恵子の存在感が群を抜いてた。あと岸田今日子と中村玉緒が特殊な輝きを放っておりましたな。 だがこの映画で一番すごいのは船越英二ではないだろうか。手当たり次第に女を口説き詰め寄られても意に介さないスタイル。のらりくらり。実際に居そうな雰囲気が見事。 監督の公私共にパートナーである奥様の和田夏十の脚本ということで、この映画の半分以上の功績は和田夏十さんにあるように思いました。
男女関係を描いたサスペンス風ドラマかと思っていたら全く違った。当時...
男女関係を描いたサスペンス風ドラマかと思っていたら全く違った。当時の社会性がよくわかると共に人生の意義についても考えさせられた。このタイプの優男には船越英二がまさにはまり役。
よかった
ずっと気になっていたのをWOWOWで録画してみた。手当たり次第に手を出しているようで10人の女の中ではそれほど魅力的でない女もいて、いかにもこういう人がもてそうだと思った。改めておっかない顔の女はおっかないと思った。
船越英二のいい加減な感じが先日見た『ドン・ジョン』の主人公とは全然違っていてこれはこれで憎めない。全然アプローチが違うのにどっちも熟女がいいという結論だった。
市原悦子が自殺したのはかわいそうだった。最も愛情深いのは彼女だった。
やっぱりいい。
撮り方が何ともいい。市川崑。ちゃんと他の作品も見たい。 男ってほんとバカだ、こういう奴いるよな、と思いながら見ていたが、後々女が男をダメにするのだと思った。さげまん。女は怖い。集まって男の悪口を言うところなんか、凄まじい。中村玉緒のカスみたいな男なのよ、には思わず声を出して笑ってしまった。喧嘩のシーンも最高。
とにかく画が綺麗 陰影が濃く 被写体の画角内への収め方が素晴らしい...
とにかく画が綺麗 陰影が濃く 被写体の画角内への収め方が素晴らしい ほとんど被写体を真ん中に置かない 右端、左端に置く 市川崑はアニメーションからこの世界に入っただけあって、美しい画がまるで写真の様だ
ごふじょ、どこですか?
市川昆監督追悼の意味で上映された
映画「黒い十人の女」(故・市川昆監督)から。
岸恵子さん、山本富士子さん、宮城まり子さん、
中村玉緒さん、岸田今日子さんら、
今では考えられない女優たちが顔を揃えていた、それも白黒。
船越英二さんも若くて、笑ってしまうほどだった。
当時の映画らしく、気障な台詞が飛び交い、
逆に、今の私にとっては新鮮なフレーズとなってメモが増えた。
しかし・・なんといっても、この台詞には勝てない。
たしかに、大女優が口にした。
(実は、若すぎて誰なのかわからなかった)
「ごふじょ、どこですか?」
う〜ん、モノクロの映像よりも、時代を感じた一言。
あっ、読者でもわからない世代が多いかも。
「ごふじょ」イコール「トイレ」
だから「トイレどこですか?」という意味なんだよなぁ。
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