クレージーの花嫁と七人の仲間
劇場公開日:1962年4月15日
解説
「愛染かつら(1962)」の富田義朗と「あの波の果てまで」の芦沢俊郎、「恋とのれん」の菅野昭彦が共同で脚本を執筆。「のれんと花嫁」の番匠義彰が監督した喜劇もの。撮影もコンビの生方敏夫。
1962年製作/86分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1962年4月15日
ストーリー
赤坂にあるすし屋「にしき」の女主人邦江は評判の美人で独身である。それに板前の安治と見習の新吉が邦江を助けている。「にしき」の妹娘友子はK劇場の踊り子で、演出助手の水上順一とは相思相愛である。気真面目な安治にくらべて妹のみどりはチャッカリ娘。昼はテレビのタレント、夜はキャバレーのホステスという具合にちゃっかり稼いでいる。だが、亭主の三郎は大のなまけもので甲斐性なしだ。「にしき」へ来る芸者の千代子はかねてから安治を口説いている。或る日、邦江、友子の叔父で、修善寺で健吉を番頭に、旅館を経営している茂造が上京して来た。東京に小料理屋を出そうと、土地の物色にきたのだった。喜んだのは三郎で、中学時代のポン友で自称土地会社の社長谷口と権田原に土地の相談を持ち込み、手数料を胸算用していた。邦江には以前から電源開発の技師で三木照夫という恋人があった。だが、その照夫が高知へ転勤するというので寂しい気持になるのだった。そんな頃、三郎は茂造に取入って土地の手付金三百万円を受取り、谷口に渡した。ところが、この谷口はペテン師で、金をもらってドロン。それと知って慌てた三郎も何処かへ逃げ出した。怒ったのは安治で、「義弟が馬鹿なばっかりに修善寺の旦那に申し訳ない」と、貯めた百万円を持って修善寺へ、それと知って千代子も、安治の力になるんだと修善寺へ。安治に総てを話されて茂造はガックリ。安治の金も受取れず、「パーね」と言って諦めるのだった。その晩、安治の持って来た金が盗まれて宿は大騒ぎとなった。その頃、宿の裏山では谷口と千代子がほくそ笑んでいた。芸者の千代子は谷口の情婦だったのだ。それから--。修善寺の街はまさにてんやわんやの騒ぎになるのであった。