CUREのレビュー・感想・評価
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会話等のチープさが日常感・現実感を奪っているため、まったく怖くないホラー映画
1)映画の構成
本作は、①社会には周囲に殺意を喚起させ、残忍な方法で人を殺させてしまう「伝道者」なる存在がいるというホラー的側面、②人は誰も奥底に殺意を秘めているという心理的側面を、二重写しに描いた作品である。
世評的には「怖い」映画らしいのだが、小生にはどこが怖いのか、皆目わからなかった。恐らくそれは、全編に漂う安っぽい作り物感、非日常感のためだと思う。
2)何故、この映画は「怖くない」のか
冒頭、精神病院の診察室らしき部屋で診察らしきことが行われるのだが、診察室にしてはだだっ広すぎて、精神病院の雰囲気とか精神病患者の異常性とかがまるで伝わってこない。
殺人と捜索シーンを挟み、「伝道者」の登場となるのだが、萩原と相手の「何処?」「白里海岸」「何処?」「千葉の白里海岸」「白里海岸、それ何処?」「きょう何日?」「2月26日」「ここ何処?」てなバカバカしい会話にウンザリさせられ、日常感覚から遠ざけられる。
こんなバカ、普通の社会は相手にしないさ。同じようなバカげた会話は作中で何度も何度も繰り返され、そのたびに日常感覚、現実感覚からズレていく。
そうした安っぽい作り物感は、白里云々の殺人者が運び込まれる病室には到底見えない「病室」らしき部屋とか、同じく診察室か処置室かわからない部屋で、診察もろくにせずカルテらしきものばかり書いている洞口演じる女医、刑事とコンビで犯人を取り調べる警察の嘱託医等々、全編に満ち溢れている。
そのズレまくった世界で人が殺されるから、それは日常社会、現実の殺人ではなく、ただの作り物の中の「殺人」に転化してしまい、結局、怖くもなんともないのである。
それが意図的だとしたら何のためにという疑念が湧くが、その効果らしきものは見当たらない。そもそも役所と中川の夫婦生活そのものにしたって形だけで、濃密な愛情や倦怠は伝わってこないのだから、あるいは意図的というより日常を描くのが下手なだけかもしれない。
3)人は誰でも殺意を秘めているのか
人間は状況的存在だから、一定の状況におかれれば誰だって人を殺しうると小生は認識している。
戦争や正当防衛などは、ごく分かりやすい一例にすぎない。親殺しはギリシャ神話に出てくるし、夫婦間だって友人間だって、さらには中学生間の殺し合いだってあるではないか。
それが恐らく社会的な常識なのだが、そんなこと語る必要もないから語らないだけで、別にこと新しい認識でもないだろう。
殺意とまではいかなくても、内部に秘めた鬱屈、怒り、憎悪等を開放したいというのは、まさに日常の感覚そのもので、それを社会は「ストレス解消」と呼んでいる。この映画の表題CUREは、それをことさら殺意にまで拡大しているだけの話だ。
つまり、この映画に見える人間の殺意にも、何一つ新しさがない。
4)評価
大きな倉庫のような伝道者の隠れ家シーンなど、いくつか印象的な映像はあるものの、いかんせん伝道者の会話のチープさ、全編の作り物感が災いして、とても高く評価できる作品ではない。
海外の友人から勧められて鑑賞。 黒沢監督の映画は面白い!と絶賛して...
萩原聖人の狂った犯人役は恐ろしかった。 物静かで自分では手を下さな...
タバコ吸っていい?
娼婦が鈍器で殴られた後、頸動脈をX証に切り裂かれるという惨殺事件が発生。
犯人はすぐに捕まったが、至って普通の男でとても凶悪犯とは思えない。
近辺では似たような事件が相次いで起きていた。
刑事の高部は一連の事件を友人の心理学者とともに捜査するが、なかなか真相を掴めない。
そんな時、捜査線上に間宮という不審な記憶障害の男が浮上する。
一度だけでは完全に理解しきれない。
観れば観るほど深みにハマりそう、ただ一度でも十分面白かった。
軽快な音楽で始まるタイトルバックから次第に巻き込まれていく主人公。
明らかにコイツが怪しいと分かっているのに晴れないモヤモヤ。
間宮という男の不気味さが進展すればするほど重くのしかかってくる。
常人の中の潜在的な怒りや憎しみを表出化させ、束縛する何かから解放させる。
まさにcure、治療、癒し。
そう考えると、ある意味「褒める」や「励ます」、「寄り添う」という行為も催眠の一つなのかもしれない。
やはり、普通の人が突如躊躇いもなく人を殺す姿は衝撃的。
そしてかなりの残忍ぶり。
早期解決を願うも、負の連鎖は止まらない。
音や光など物語上重要となってくるものへのこだわりが強かったように思う。
思い返せば、踏切の遮断機にカメラが寄っていた。
X関連はイマイチ腑に落ちない部分もあったが、猿のミイラといい佐久間の部屋のものといい、Xが現れるたびにゾッとする。
特別だった高部は伝道師となった。
あんたすごいよ。
こんな人殺しが許されていいわけないのに、鬱屈した不満への救済だと考えるとなんだか合点がいってしまうのが怖い。
私もまた、間宮の噛み合わない会話にイラつき、まんまと間宮の術中に陥り、cureされたのでした。
私にはまだまだ難しかった
【”心の闇を、霊術により救済する伝道師” ”こちらの世界”と”あの世”との狭間を描き続ける、黒沢清監督の名を国際的に高めたサイコ・サスペンス。】
■頻発する、”クロス”に首筋を切り裂かれた猟奇殺人が、短期間に3度発生する。
実行犯は別人。
<Caution! 以下、内容に触れています。>
・猟奇殺人事件の捜査を進める高部刑事(役所広司)。
・友人の心理学者佐久間(うじきつよし)の協力を得ながら、”間宮”(荻原聖人)と言う記憶障害の青年に辿り着く・・。
・高部自身も、妻(中川杏奈:早逝されている・・)が、精神に病を抱えており、心に屈託を持っている・・。
・間宮と関わる人々(警官(でんでん)であったり、幸福な生活を営んでいた結婚していた男であったり・・、彼を診察した女医(洞口依子)が、彼の”無意識の催眠暗示”により、行った事・・。
・間宮の部屋を訪れた高部が目にした、膨大な精神病理学の書物。間宮は、精神医科大の生徒であった・・。
”メスナー”という18世紀のオーストリアの精神病理学者に入れ込んでいた間宮が、打ち込んでいた事。
”メスメリアン”
【間宮が、高部に言った言葉。 ”あんただけが、俺の言葉を理解できる・・。” 】
・佐久間が高部に見せた、1898年に撮影されたモノクロの、村川すずと言う、”息子を十文字に切り裂いた”母親の診療風景の映像。
佐久間の
”当時は、診療とは呼ばずに、”霊術””オカルティズム”と呼んでいた・・”と言う言葉。
・その佐久間も、自ら命を絶つ・・。
<間宮を廃病院で拳銃で殺めた佐久間が、”晴れ晴れとした顔”で、行きつけのファミレスで食事をし、ウェイトレスに珈琲を頼み・・。
そのウェイトレスが、無表情に手に持ったモノ・・。
”ごく普通の人々が、ごく普通に遭遇するであろう恐怖を描こうとした”と黒沢監督が語った、
”登場人物たちが放出する掴みどころのない恐怖に焦点を当てた”
黒沢ワールドの萌芽を感じさせる、サイコサスペンスである。
黒沢清監督のワールドワイドな、快進撃が始まった記念碑的作品でもある。>
ゴウンゴウン鳴る洗濯機
黒沢清 97年。監督のブレイク作。見てたつもりで見てなかった。
細かな何気なくも不穏なショットの積み重ねと長回しがテンションを高めていく。いきなり来るショッキングさも上手い。この頃から世界観は完成されてる。サイコサスペンスと思わせて実は系列違う。
センシティブな部分もエンタメとして吸収させる力量、音響、編集共に完成度が高い。最後も実にらしい幕切れ。
役者としての萩原聖人はたとえこれ一作としても邦画史に残るでしょう。
黒沢清監督と役所広司のコンビ。作品のチカラ。
日本のサイコサスペンス系の作品の中では1番好きな作品。
役所広司さんも大好きな主演作品だと語る様に、
この後に何本もの黒沢作品の常連になります。
黒沢清作品を薦める時にこの作品と「回路」を薦める様にしてます。
黒沢監督は、演技の指示をほぼしない、
リハーサルも少なく、早撮り。
この映画の様に気づいたら、黒沢清作品の中に存在する。
出来上がったものは、紛れもなく黒沢清作品。
長回しの中でこそ起こる映画的な瞬間。
廃墟。壁のシミ。
世界水準のサイコスリラーなのは間違いない
これは怖い、そして引き込まれる
世界水準のサイコスリラーなのは間違いない
序盤こそグロいシーンをチラ見せするが、中盤を越えるにしたがって一切見せない
それ故に怖い
終盤に近づくと、もはや現実なのか、妄想なのか、妄想ならそれは誰のものか
全てあやふやになっている
意識下の知らないこと
現実と思っている薄皮の下にある妄想が現実かも知れない怖さ
時系列すら怪しくなってくる
見事な演出だ
そしてそれを破綻させる事なく、最後まで目をそらさせない見事な演技
役所広司が首吊りを発見して声を出さない絶叫のシーン
萩原聖人の不気味な存在感は特筆すべきものだ
エンドロールの何か見えない、いや見えているのに見えない何か
本作のテーマそのものかも知れない
クリーピーを観て面白かったのでこちらも鑑賞。 クリーピーのようなわ...
黒沢清にしてはマァマァ
20年ぶりに再見して
間宮を捕えた後、警察がこういう行動はとらないだろう、というか無策に過ぎると思った。
普通、催眠をかけて殺人させたことを証明するために策を講じるだろう。
前半はサスペンスだが、後半はリアリティーのないホラーになり、疑問符が浮かんだまま話が進んでしまう。
あの廃校は何なのか、重要参考人の間宮を銃殺するなんてことがあるのか、そもそも間宮を逃がすなんてできるのか、終盤は全部が高部の夢だったのか、レストランでウェイトレスに催眠をかけたのか、奥さんを本当に殺したのかそれとも想像なのか、黒沢氏は最後に矢継ぎ早に謎をぶつけてくる。
が、高部の夢みたいなシーンのために高部のことも理解できなくなり、感情移入もできず、誰の視点での映画だったのだろうと疑問に思い、この作品が言いたい事を考えてみようとまで思わなかった。
それから、権力はオカルトを弾圧するっていうのは陰謀論であり幼稚。そんなに権力は暇じゃないだけだ。
黒沢氏が脚本も担当した、42歳の時の作品。頭の良い人なのだろうが、いま同い年になった私の心は動かなかった。
CURE
悪夢に似ているのかもしれない…怖い!
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