赤い鳥逃げた?

劇場公開日:

解説

28歳の青年が、弟分とその恋人のブルジョア娘との共同生活の中で反逆と無頼のうちに過ぎ去った青春への郷愁を断ち切るべく、その欝屈した心情を無意味な行動によって暴発させ、自滅していくまでの過程を描く。脚本は「喜劇 三億円大作戦」のジェームス・三木、監督は脚本も執筆している「エロスの誘惑」の藤田敏八、撮影は鈴木達雄がそれぞれ担当。

1973年製作/98分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1973年2月17日

ストーリー

坂東宏は、反逆と無頼で青春を使いはたし、今では口の中で「なんとかしなくちゃ」とつぶやくだけである。彼の弟分、南部卓郎は、この年令にありがちな人生への楽観があり、いつでも「なんとかなるさ」で物事をかたずけ、そのくせ宏なくしては何ごとも手出しができない小心のチンピラである。宏がしたたか者の不動産会社々長・中根の悪だくみの芝居を手伝ったのも、宏にしてみれば欝屈した心情の発露にしかすぎなかった。しかし、下賎なゼニのため、中根を半殺しにしてしまった宏は、卓郎が気安く“俺んち”という、若い娘のマンションに身を隠すはめとなった。マコというその娘は、石黒京子というブルジョア娘の友人の代りに部屋と九官鳥をあずかっているのだという。いつも上半身裸で、それが彼女の部屋着のようだった。翌日、宏は中根の入院している病院に行き、見舞い客をよそおって中根を脅した。しかし、それはあまりにもドジだった。居合わせた刑事に恐喝現行犯で逮捕されてしまったのである。宏がいなくなると卓郎はもう何もできない。マコと二人で、宏を探しに出かけた途中、大道売りとのケンカで叩きのめされてしまった。一方、留置場の宏は、口から出まかせに、マコから聞いていた富豪・石黒病院の名をかたったおかげで、釈放された。次の選挙にうって出ようとする石黒が行方不明の娘の消息を知りたいばかりに保釈金を払ったのである。宏、卓郎、そしてマコ(実は彼女こそ石黒京子自身なのであるが)の三人はあてのない旅に出た。それから二月後。ひなびた温泉宿で、卓郎とマコはシロクロ・ショウを実演していたが、それとて未熟な二人ではゼニにもならない。「することがなくなりゃもう老人なんだ。誰も俺たちを探しちゃいない、誰も俺たちを待っちゃいない。このままじゃ俺は、28歳のポンコツさ。俺たちゃ中年をとびこして、いっぺんにジジイになっちまうんだ」。宏のことばにマコが思いつめたように云い出した石黒京子誘拐、すなわちマコ誘拐に、三人は久しぶりにゾクゾクと胸が騒いだ。横浜棧橋の外れ。連絡を受けた石黒雅彦と弁護士の長谷川の乗る車が棧橋についた。宏は身代金を受け取るべく石黒と交渉した。しかし意外にも石黒はマコを見て京子ではないと、交渉を拒否し、その場をたち去ってしまった。石黒の言葉に呆然とした宏たちもやむなく車を動かした。だが走る車のトランクの中から、元刑事中村が顔を出して騒ぎ始めた。先程、駐車場で会い、気絶させて入れておいたのである。パトカーの追跡が始まった。激しい銃撃戦。撃たれた卓郎に代って、宏が銃を棄ててハンドルを握る。パンパンと響く銃声を楽しんでいるかのような宏。目の前には碧空がとこまでも広がっていた……。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.5すでに桃井かおりは「桃井かおり」になっています それが本作の最大の収穫です

2023年4月26日
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1973年2月公開、 東宝でありながら、日活の藤田敏八を監督に招聘して製作された作品 そのため東宝の撮影所組合の反発を受け撮影所の使用もできず外部スタッフを集めて撮られたといいます 東宝が何故そこまでして本作を製作したのでしょうか? 1971年8月公開の「八月の濡れた砂」で示した藤田敏八監督の優れた才能を東宝は欲したのだと思います 日活はこの年の秋、経営不振の挽回策としてロマンポルノ路線を打ち出しました まともな映画は日活ではもう撮れないだろう 人材の流出が始まるに違いない ならば才能ある人材を東宝が他社に先んじて確保できるようにしようということだったと思います 現実にはそういう目論見通りにはならず、ご存知の通り藤田敏八監督はその後も日活で傑作を何本も撮ることになります 当時の東宝は生え抜きだけでなく、広く才能のある監督を外部からも求める気概をみせていました 藤田敏八監督だけではありません 大林宣彦監督も然りなのです 黒澤明監督、市川崑監督の次の時代を担う才能を自社だけでなく広く業界全体を見渡して求めていたと言うことです でもそんなことは全部建前だと思います さて本作の内容は、一口に言えば70年安保闘争に敗れ、目標を見失って自暴自棄になり刹那的に生きる若者達を描いているものです 宏は60年安保闘争を、卓郎とマコは70年安保闘争を象徴しているのです 本作公開のちょうど1年前 1972年2月、あさま山荘事件が起きています これを知らないで本作を観たら何も見えて来ないと思います 本作のクライマックスで猟銃を使うのはあきらかにこの事件を意識しているものです あさま山荘を車に代えただけのものです 赤い鳥とは、道玄坂の歩行者天国で飛んだおもちゃの鳥のことではありません 日本の共産革命のことです そんなものは誰も欲しがらなかったのです 宏をボコボコにしたのは機動隊をなぞらえているようで、実は内ゲバを表現していると自分には見えました このように紐解くと、藤田敏八監督を東宝が使ったのも、東宝の撮影所組合の反発も、単に彼に才能があるからとか、他社の監督を使うなというものではなく、本当は両者ともに左翼闘争の残り火だったのだと思えます 本作を半世紀を過ぎた21世紀の私達が共感できる作品であるとは、とても言えません まして日本映画オールタイムベストの一角を占めるほどの価値と意義を持つ作品であるかというと、そこまでの作品か?と大きく疑問に思います 桃井かおりは1971年5月の市川崑監督の「愛ふたたび」が映画デビュー ATG の「あらかじめ失われた恋人たちよ」は同年11月の公開 本作が3作品目 彼女が広く注目され記憶されるようになったのは本作が最初であったと思います 本作では、すでに桃井かおりは「桃井かおり」になっているのです それだけが本作の最大の収穫なのだと思います

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あき240

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