あの空をおぼえてる
劇場公開日 2008年4月26日
解説
幼い兄妹がトラック事故に遭い、兄・英治は奇跡的に命を取り留めるも、妹の絵里奈が他界。悲嘆に暮れる深沢家の面々だったが、それでも時が経つとともに、英治や母・慶子は次第に明るさを取り戻していく。しかし、父・雅仁はひとり暗い部屋に閉じこもり、いつまでも悲しみに暮れるばかりだった……。ジャネット・リー・ケアリーの同名児童文学を映画化した家族ドラマ。一家の父・雅仁役の竹野内豊が、「冷静と情熱のあいだ」(01)以来7年ぶりに主演を務める。
2008年製作/115分/日本
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
スタッフ・キャスト
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2021年1月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
山田玲司氏著作『絶望に効く薬』で知った原作(ありがとうございます)。
原作は、主人公ウィル(この映画では英治)があの空にいる妹ウィニー(この映画では絵里奈)にあてて書いた手紙の形で綴られる児童文学。
(原作原題の直訳『ウィニーは翼を持っている』)
読後、心に灯がともったような気分にさせてくれた作品が映画化されると知って、喜び勇んで映画館で鑑賞した。
なんだ、これ?原作の持ち味を殺している。なんでここまで空々しい作品になってしまったんだ。
怒りを通り越して唖然として仕舞った。
原作は、悲しみ・寂しさ・臨死体験の残像、それを周りに理解してもらえない辛さ。それでも生きていかなければならない中で、親をはじめとするいろいろな人の無神経さに傷つけられた心が、少しずつ再生されていくと同時に家族も再生されていく様子を、主人公の少年の目線で綴った名作。
だのに、映画の視点はどこを向いている?息子?父親?中途半端。
モノローグ形式の文学を映画化するのは、とても難しいと知っている。
(直接表現されていない登場人物の心情や動きを、映画スタッフで作り上げなければならないから)
思い入れのある原作の映画化だから、評価が厳しめだとは思う。
それでも、この映画はひどい。
あの家の造りも、原作にもあったツリーハウスなども登場させて、日本舞台では違和感を感じるが、それなりに原作を尊重した作りと、百歩譲って良しとしよう。インテリアやエクステリアのしつらえが、テーマパークかと間違えるような作りも、原作尊重のためと仕方ないと諦めよう。
でも、人物設定が、あまりにもありえないので興ざめ。
一番ひいたのは、カウンセラー。あんな近づき方したら、どんな子どもも心を開かないよ。心の再生って笑顔にすればいいってもんじゃない。リサーチしたのかなあ?
そして家族が家族していない。夫婦が夫婦していない。事故の前から親が親ではない。他人同士の共同生活。遊んで豪華な食事をするだけじゃ家族にはなれないんだよ。
インテリア・エクステリアのしつらえだけでなく、家族関係に生活臭がない。
作品中、重要なエピソードとなるオルフェウスも、日本ではどうなの?唐突に見えた。USAやヨーロッパなら、教養としての位置づけがあって原作ではすんなりと読めたが、日本舞台の映画では違和感ありあり。
と、脚本・演出がグダグダ。
舞台を移しかえるにあたってもっと練っていただきたかった。だた、なぞるだけじゃなくて、物語の本質はどこなのか、変えられるのは?変えられないのは?筋からシーンを選ぶのではなく、主題からシーンを厳選してほしかった。
いや、原作を尊重・なぞっているように見えて、この映画は原作をかなり改悪している。
元々少年目線の話を、家族を俯瞰してみる脚本にしている。それは映画化するにあたってよく使われる手法だ。それ自体は悪くない。
そこに安易に臨死体験・あの空(あの世)の英治のイメージと、在りし日の妹の残像を織り交ぜる。そんなイリュージョンを組み入れるならば、現実をしっかりと描かなければ、映画が絵空事になってしまう。だのにこの映画は、デズニーランドのような家や、トレンディードラマの役者、上っ面だけのセリフ等、現実的・生活感がまったくないからプロモーションビデオのようだ。
かつ、ウィルが書いた手紙で使われていたような説明調のセリフ(手紙の受取人・ウィニーが理解できるように説明するための文章)を会話の台詞としてそのまま入れるので、会話が他人行儀で、家族が家族していないし、子どもが子どもしていない。
映像表現として成立させるんじゃなく、たんになぞっているだけ。
ウィル≒英治の気持ちを、本当に理解しようとしたのだろうか。理解したつもりになっているだけにしかみえない。だから、登場人物に命が宿らない。
改悪しているのは、目線だけではない。
原作は、自分が死んだらどうなるのか、生きるとはという命題にも応えている、心の再生物語だ。”あの”トンネルを駆け抜ける勇気を持ち”あの空”でのびのびと駆け回っている妹と、駆け抜けられずに引き返してしまって、現世にいる自分(ウィル)との対比が繰り返し出てくる。
だが、映画は、少年のその葛藤はスルーしてしまって、安易な家族の再生物語にしてしまった。
だったらもっと真正面からリアルな家族を描くべきなのに、家族そのものの現実味がない。
何もかも中途半端・上っ面だけ。
加えて、竹野内氏、水野さんの演技がリアリティをもたない。演技を一生懸命にやっていることはわかるんだけれど、その佇まいやセリフに、子どもたちを育ててきた歴史が見えない。苦しんでいるさまが空回りしてしまっている。
子どもが生まれて子どもと共同生活していたけれど、心が親になり切れなくて、この出来事を経て”父”に”母”になる過程を映画で描き出したかったんなら、せめてラストには”親”の顔になっていて欲しかったが、それもなかった。
かえって子役の方が活き活きと演技していた。
この映画のスタッフはこの映画で何をとりたかったのだろう。
ただ、トレンディードラマの役者を使っておしゃれに撮りたかっただけなのだろうか?
生と死に向き合う気を持って作っていただきたかった。
作品自体は原作を冒とくしているようにも思えて本当は☆マイナスにしたいが、子役に免じて☆1つです。
ぜひ、原作を読んでいただきたいです。
片方の子死んだら片方の子いじめる親いらんは、腹立つ
そもそも、死んだ長女を愛する余り、長男と妻をないがしろにするストーリー。
良い加減にしろ!甘えるのも良い加減にしろ!
製作者はこんな境遇にある人の気持ちなど考えたことも無いのだろう。
最初から、どんなに苦しくても、こんな仕打ちをする親はいない。
長女、確かに、この世のものとも思えないくらい可愛い。
でも父親の女々しい姿は、はらわたが煮えくりかえる!
最後に目覚めたから、良い物語だが、しかし、嘘だ。
こんな、父や母がいるから、子供の自殺や虐待死が無くならない。
本当に胸クソ悪い、クソ映画です、くたばりやがれ監督、偏見の塊の化け物どもよ死にやがれ。
2018年10月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
最近の水野美紀の出演作としては、『口裂け女』、『図鑑に載ってない虫』しか記憶にないので、まともなキャラだとどうしても違和感があった。へんてこなダンスを竹野内豊と一緒に踊るシーンによって爆笑態勢になっていたのに、感情は泣きの方向に・・・
物語は、娘を亡くした悲しみに暮れていた両親が立ち直り再生の道を歩むという、どこにでもあるような設定なのですが、兄である小4の少年目線で描く作り方がユニークなため感情移入しやすいし、最初から最後までのめり込んでしまいました。
あらすじを知らずに観ていると、まず、交通事故に遭った兄の英治(広田亮平)が死んでしまう物語なんだと錯覚するのです。死んだはずの妹絵里奈(吉田里琴)はちょくちょく英治の目の前に現れるし、誰も死ななかったのか?それとも『シックスセンス』のパターンか?などと勘違いさせられる。やがて、ツートンカラーのサングラスや英治の松葉杖によって過去の映像がフラッシュバックしていることに気づき、英治の目に焼きついた妹像だとわかるのです。極めつけは、中盤まで“絵里奈が死んだ”という事実が一言も語られない!こと。
トンネルの探検、父の撮った写真、快活な性格の妹との楽しかった思い出など、英治が中心となり父(竹野内)や母(水野)の記憶とともに観客も一傍観者家族となってしまう演出。特に、絵里奈の名前を口にしただけで父親に怒られる強迫観念は痛いほどよくわかるのです。広田亮平の演技もさることながら、『ごめん』でも思春期の少年の心理を鋭く描いた冨樫森監督の才能なのでしょう。もしかすると、秘密基地のおかげかもしれませんが・・・
学校カウンセラーの小日向さんは聞き上手という設定のキャラ。誰かに悩みをしゃべるだけでふっきれることってあるよな~という感じで、ワンポイントとして効いていました。ただ、残念なのは学校の先生である小池栄子の存在。演技力の問題じゃなく、あのシチュエーションでオルフェウスはないだろうな・・・キツすぎるぞ!
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