ひなぎく
劇場公開日:2014年5月10日
解説
1966年チェコスロバキアで製作されたポップなガールズムービー。奔放な姉妹が繰り広げる大騒ぎを、色ズレやカラーリング、実験的な光学処理、斬新な効果音など冒険心に満ち溢れた手法で描き出す。男たちを騙して食事をおごらせた挙句に嘘泣きして逃げ出したりと自由気ままに生きている2人の姉妹。部屋の中でも牛乳風呂に入ったり紙を燃やしたりとやりたい放題。そんな彼女たちが、今度は党のパーティーに忍び込み……。
1966年製作/75分/チェコ
原題:Sedmikrasky
配給:チェスキー・ケー
日本初公開:1991年3月3日
スタッフ・キャスト
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1966年の映画。こっちはまだ見てないけど市民ケーンと同じ年公開らしい。なんだかジュリマリのMVとか思い出す。この時代に既にこの感覚の映像があったなんてすごいな〜と鑑賞。
で、見た結果そのあと検索して当時の社会情勢を一通り確認してから見た方が映画のバックボーンが分かって面白いと思いました。
冷戦真っ只中資本主義国と社会主義国の境にあった社会主義国のチェコスロバキアで1968年の「プラハの春」の直前に作られたってのが大事で、その後ワルシャワ条約機構で軍事介入される1969年からこの作品の監督は長期で活動停止になってる。
ひなぎくはチェコの花言葉では貞淑って意味らしいよ。
マリエ2人とも少しも貞淑じゃなくて良い感じでした。貞淑を頭にのせて自由奔放に振る舞うってのは意味ありげで皮肉。
最後のオチを見るとプラハの春後に作られたのかと思ったけど、その前の民主化運動の盛り上がりの中で出てきた作品みたいですね。当時の映画は国家予算で作られてたっていうから、これが支持されていたってのは政権への国民不満がめちゃくちゃ高まっててガス抜きとして放映が許される状況だったのかもね。
2人のマリエの奔放な熱量で民主化への期待みたいなものも感じるし、社会的メッセージを当時の人たちがどう受け取っていたのか想像すると中々面白く調べるのも楽しい。あと、可愛いには力があるね、可愛いからこそ見て面白いし良かったなって思います。
2020年8月24日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
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おじさまたちにご馳走させて、おいしいものをたくさん食べて笑い、家の中で好き放題果物を食べたり、牛乳風呂に入ったり、彼女たちの食欲は止まることを知らない。
後半で、党のパーティーに忍び込み、ご馳走を楽しく食い散らかす。手でソースを鷲掴みしたり、、どんどんエスカレートして、ケーキを食べては互いの顔面に投げ、最後はテーブルもその上の食事もぜんぶぜんぶ踏み潰してランウェイのように歩き回る。そのうえ、2人を照らすシャンデリアに乗り、落として壊す、混沌。ここまでくると、食べるという表現に、嫌悪感すら感じられる。でも、おそらくその嫌悪感は正しくて、当時のチェコの
政治を、その政治を動かしている党への何らかの批判が現れているのではないか、と、そう感じた。
楽しくておいしい「食べる」を冒涜しなければいけないとき、そこには何が暗示されているのだろう。ポップで可愛いガールズムービーという裏に隠された政治的メッセージは何なのだろう、(当時のチェコは政治的なメッセージはそんな可愛い女の子映画で包み隠さねばならないほど検閲などが厳しかった、?)そして、罰として、自分たちで掃除をする。でも破壊されてしまったものは、当たり前に元に戻ることはない。
映画の最後、「サラダを踏み潰されただけで怒りを感じる人にこの映画を捧ぐ」というメッセージは、おそらく当時のチェコの社会状況、政治、党について知識がないときっと読み解くことはできない。
2020年3月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
個人評価:3.2
これほど社会性が強い作品は滅多に無い。
その強烈なメッセージを、ポップなガールズムービーというパッケージで覆い隠す。そうしないとこの時代は放映できなかったのだろうか。
女の子映画の決定版という間違った冠は、誰がつけたのだろう?政治に興味を引かない普通の人達にもメッセージを届けたい監督の意向を、まだ現在もメディアを通し汲んでいるのだとしたら納得する。
最初は自由を奪われた姉妹や市民の願望を投影しているのだと見ていたが、最後のシーンで政治の不安定なチェコスロバキアで至福を肥やす政権側の目線で描いているのかとも感じさせる。
晩餐会でチキンやケーキを踏み潰し、最後に自ら粉々にした惨状を掃除させられ、さらにシャンデリアが姉妹に落下する。踏み潰された晩餐会の惨状にテーマを詰め込み、ラストに「踏みにじられたサラダだけを可愛そうと思わない人にこの映画を捧げる」。
この暗喩に込めたメッセージを正確に紐解くには、もっと勉強が必要だ。
2018年2月10日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
面白いとか面白くないとかそういう次元の映画じゃない。
"可愛さだけで神に反抗する存在"
嘘泣きも悪ふざけも、めちゃくちゃな行動の全てに意味なんてないの、ただ今を楽しみたいだけ、だって私たちは女の子だから。
最高にクールな思考回路でしょ。そして、それが成立しちゃうのは可愛い女の子だから。男の子じゃダメなんです。何の役にも立たない女の子だからこんなにキュートでポップでクレイジーになれるんです。
映画の最後の「踏みにじられたサラダだけを可哀相と思わない人に捧げる」は実は誤訳で、直訳は「踏みにじられたサラダだけを可哀相だと思う人に捧げる」らしい。
意味は"この映画を観て「料理がもったいない」としか思えない人達(サラダしか可哀相だと思わない人達)は可哀相だと言いたかった。ものすごい皮肉。"
最高かよ。