ラスト、目のアップの後、一瞬画面が真っ白になる。そして無音で流れるエンドロール…。
これほどの余韻が残る映画が他にあるだろうか?ラストに向かって高まる緊張感。それが頂点に達してラストのシーン。
混乱なんて言葉では表現できないほどの衝撃、カオス。チラシに「泣くことさえ許されない、衝撃の感動作」とあるが、それを体感する。
実際、鑑賞したのはもう数年前だが、衝撃過ぎて、ずっとレビューを書けないでいた。
作品解説にあるように、青年二人が自爆攻撃に向かう48時間の物語。
毎日銃撃戦が起こり、ロケット弾が突風が吹くように飛んでくる日常。
それでいてどこかのどかな田舎町のような暮らし。だが、将来を描けない閉塞感に押し包まれた雰囲気が伝わってくる。
そんな中で、英雄になることを夢見る青年。
裏切り者の父を持つがゆえに、”尊厳”を奪われて育った青年。
まるでノンフォクションのように、簡単な背景描写と二人の心理葛藤を丁寧に追う。
簡単な背景描写と書いたが、ニュースで報道されるような、対岸の岸からこの二人を眺めるような説明ではない。この二人がパレスチナ・ナブルスという街で、どう育ったか、どう生活をし、どういう未来を描いているか、それを家族や友人・仕事仲間、淡い恋に発展しそうな関係を織り交ぜて、隣に住む若者について語るように描かれている。
そして、決行すれば、どうなるか。
決行しなければ、どんな生きざまになるのか。
青年にとっては、二者択一しか選択肢が見えないところが、やりきれない。
アクシデントで1回目の出陣がキャンセルになった後、幹部が二人に再挑戦するかをきく。その時の言葉が胸に刺さった。
「日々の生活の中で小さい時から尊厳(自尊心)を粉々に砕かれて生きてきた。このままでは生きていけない。だからそれを取り戻しに行くことが大切なんだ」(のような事だったと思う)。
物静かで、自爆攻撃にあまり乗り気ではなかった思慮深いサイードが熱を込めて言う。
その言葉の重み。
この映画を観ていないのに、このサイードと同じことを言う日本の子ども達。一人や二人ではない。
国や育つ環境が違うはずなのに、日々尊厳を踏みにじられながら育つ、多くの子ども。
閉塞感。その中でもがき苦しみ、自分という存在を確かめたいという想い。
その実現が自爆攻撃でしかないという彼らの現実。
頻発する無差別殺人。
遠い国のことではない。すぐ脚元に起こっていること。
「物事を”邪悪”と”神聖”にわけるのはナンセンスだ。私は複雑きわまりない現状に対する人間の反応を描いているのです」ハニ・アブ・アサド監督(チラシから)。
パレスチナ人監督が、イスラエル人プロデューサーらと手を組み、ヨーロッパ各国との共同制作というかたちで作り上げた作品(チラシから)。
たくさんの大人が見て、考えるべき映画です。
(JICA地球ひろばにて鑑賞)