なぜかウンコネタが多いアジア映画。そういえば、かつては中国旅行に行った日本人の土産話はトイレネタばかりだったことを思い出します。胡同(フートン)とは北京の町でも路地裏のようなところ。中庭があり東西南北を棟が取り囲むという伝統的な家屋スタイル四合院。小さな共同体といったこの長屋はイラン映画で見る雰囲気にも似ていました。2008年の北京オリンピックに向けて、取り壊しが進んでいるらしいので、チャン・ヤン監督もこの北京の文化遺産が消え去る光景が名残惜しかったのであろうか、父親がそこに佇む姿によって愛惜の念を投影しているかのようでした。
向陽(シャンヤン)と名付けられた9歳の少年は、文革によって画家の道を閉ざされた父親が突然帰ってくることに戸惑う。いたずらっ子のシャンヤンは今までの気ままな遊びも許されなく、父親によってひたすら絵を描くように強制されるのです。幼き頃は反発といっても可愛いものでしたが、青年期になってからはその英才教育が原因で父と息子の確執が決定的となってしまう。家族の心はバラバラになってしまったのか・・・といった展開。
いくつもの印象的なシーンがあるのですが、その中でも少年期の爆竹騒ぎや大地震、水浴びのシーンが心に響きます。そして父親が帰ってきた夜の夫婦の営みに猫を投げ入れるシーンやウンコちびりのシーン。パラパラ漫画よりも残ってしまうのです。6年間もの強制労働があったために幼いシャンヤンを知らない父親は育て方、接し方が下手。決定的な確執の原因が青年期にやってくるのですが、ここと結婚後の堕胎に関するエピソードが納得できないまま過ぎていきました。
映像だけで判断すると、時代時代の北京は日本から10年は遅れているように感じましたが、北京オリンピックによって近代化が加速して日本と似たような景色に変貌を遂げるのでしょう。だけど、映画の文化やウンコ文化だけは日本が上になることでしょう。