硫黄島からの手紙のレビュー・感想・評価
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DVDゲットシリーズ108円。 静かに、悲惨に、戦争はやはりダメだ...
DVDゲットシリーズ108円。
静かに、悲惨に、戦争はやはりダメだ。改めてそう思わせてくれる映画。
日本側の視点をイーストウッドが描く。どちらかに肩入れすることなく極めて冷静に。
それゆえドラマティックとは言えず、やや面白みに欠けるかも。しかし、見るべき作品。
歴史に残る名作
キャスト、演技、構成、表現、また、日本の価値観や文化が細部まで作り込まれていた。日本の製作陣でもこれほどのものが作られるかは分からない、それほどのクオリティの高さであった。そして、硫黄島における壮絶な戦いや、色んな立場における個々の思いが痛いほど伝わった。
登場人物はみな俳優の域を超えてその人物になりきっていた。特に渡辺謙や二宮和也は日本を代表する俳優として、素晴らしいパフォーマンスをみせた。
怖い
戦争映画を続けて観たんですが、この作品は正直怖いなと思いました。
戦争のリアリティなのか、死という描写が残酷すぎたからなのか…よく分からないけど。
昔プライベートライアンを観て同じ感覚になったのを思い出します。
外国人の監督の映画ということで、日本の映画とは違った凄みがありました。
これが本当にリアルな出来事なのかはわかりませんが、現代を生きる私にとっては戦争の悲惨さがあまりにもグロいカタチで見せられてる感じがして、途中で視聴をやめようかと思ったほどでした。
この時代の感覚として、天皇陛下や上官、日本という国に対しての忠誠心が絶対的なものとして描かれていることに対し、恐怖すら感じました。
それでも死への恐怖が大小あるにしても、上官にすら漏れなく描写されているのがまた恐怖心を植え付けられてる気がして、ちょっとメンタルやられました。
この作品は西郷視点の栗林閣下のストーリーなんだと解釈していますが、アメリカ軍にとっても親米かつ優秀な指揮官だからこそなのか、アメリカ人監督ならではのフィルターがかかっているような人物像のような気もします。
私自身付け焼き刃程度でしか知識はプラスしてませんが、この監督のような栗林中将へのリスペクトにも似た描写をしていることが、役を引き立ててて良かったです。
でもやはり戦争とは愚かなものだし、栗林中将も含めてですが、英雄なんていないしそう呼ぶのもおかしな事だと感じました。
本作とともに梯久美子著「散るぞ悲しき」を読むと万感こみ上げる
「地獄の中の地獄」であった硫黄島の闘い。
米軍人ならこの戦場で応召兵が多くを占め、精鋭部隊とは言い難かった日本軍人たちがいかに勇猛果敢な戦いぶりを見せたことを知らぬ者はいなかった。
「イオージマソルジャー」であると知ると、捕虜となった日本兵へ畏敬の念さえ見張りの米兵は見せたという。
本作の主人公は、帝国陸軍中将・栗林忠道。
映画の作中には直接的な描写は出てこないが、彼は陸軍中将という大変な高位の軍人でありながら、硫黄島に死を覚悟して赴任すると島内を毎日のように巡視して、栗林を見たことがない硫黄島兵士は少ないというくらいだったようである。2万以上の日本兵がここで闘い、そのほとんどがこの地で命を落としているが、彼らの「日本本土を守る」という決意は大変なものであったようだ。
栗林はヒューマニストであった。
島内に圧倒的に足りないのは飲み水と野菜。ある時、野菜がひと籠栗林のもとに届けられると、「将軍は目に涙、小刀で雀の餌ほどに細かく野菜を刻ませ、出来るだけ多くのものに分け与えられた。将軍自身は一口も召し上がらず、昭和の乃木将軍かと深い感銘を受けた」と「散るぞ悲しき」にはある。
監督のクリント・イーストウッドはかなりの年齢まで反日家であったようだが、栗林中将のような人物の人格を知り、だんだん考えを改められたようである。
イーストウッド氏曰く「戦争映画は人間性に焦点を当てて描かねばならない」とのことで、本作は日本人の心情をアメリカ人である彼がよくここまで描いてくれたと思うほど感動的なものである。
是非、この名作を多くの人にご覧いただきたい。また、原作と言ってよい内容の「散るぞ悲しき」は文庫化されているので、こちらも是非。
日本以外の世界を見てきた経験が、視野の広さに影響している
戦前の日本の軍人といえば、中村獅童演じる伊藤海軍大尉のように、部下を怒鳴り散らし無闇に玉砕したがる人間がステレオタイプだ。しかし栗林中将や西中佐のような、部下を大事にし、戦局を冷静に見れる人間もいることが分かる。この差が生まれるのは、栗林中将や西中佐がアメリカに居た経験が、彼らの考え方に大きな影響を及ぼしているからだろう。彼らは、当時のアメリカが日本よりも文明が発達していて豊かなのを目にしてきている。そしてアメリカ人にどのような人達がいるのかを、実際の交流を通じて知っている。インターネットも無く、交通手段も発達していない当時において、こういった経験の差が考え方に大きな影響を及ぼすことは想像がつく。
西中佐が、捕虜のアメリカ人サムの母親からの手紙を読み上げるシーンは切なくなる。戦場で戦う日本人もアメリカ人も、皆誰かが愛する子どもであり親である。彼らには人種の違い以外根本的な差は無い。それが戦争を理由に憎しみ合い殺し合う哀しさが、このエピソードに表れている。
栗林中将の考え方は、日本の軍人としての誇りを持ちつつ、できるだけ長く生き延びることにあるのが、彼の採る戦略や発言から分かる。洞窟を掘って立て籠もる戦略を立てたのも、危なくなったら部下に退却するように命じたのもそのためだ。アメリカ軍にギリギリまで抗い続けようとした。その時に考えられるベストを尽くす栗林中将の姿勢に、尊敬の念を抱いた。
大掛かりな大量殺人事件。被害者にも共犯者にもなってはいけない。
映画はエンターテインメント。
視聴者が楽しめる脚本で、映像と音声で雰囲気を出せれば良い。
硫黄島を守る日本兵視点の戦争をクリント・イーストウッドが、どのように描くのかが見どころ。
ノンフィクションをうたっているが、ほとんど想像で補ったようなことを監督クリント・イーストウッドが円盤の特典映像で語っていた。
何を描きたかったのだろうか。
硫黄島での攻防戦。
連合艦隊も補給すらもあてにならない状況。
海軍と陸軍の隔たり。
アメリカに対しての理解のある将校と
鬼畜米英天皇万歳の兵士。
摺鉢山が徐々に陥落していくなかで
天皇万歳で自害。
いったい天皇ってなんだ?
これは現実でも思う。
この不景気の中NYに夫婦で移住。
国のお金を一切使ってないならいいが警護費用はどこから・・・
国の象徴?戦後真っ先に廃止されるべきだったのでは・・・
脱線しましたが。
傷ついた米兵を助けるよう指示を出す将校。
捕虜になるべく脱走した日本兵を
保護した後に上官を無視して殺害した米兵。
同じ思いを持った「人間」は確実にその場に存在していたのに
交わることが出来ない「戦争」と「人種」という壁。
この作品は「父親たちの星条旗」と併せて観ていただきたい。
考えさせられる作品でした。
他の戦争映画に比べたら迫力が見劣るように思える。 戦争映画に迫力を...
他の戦争映画に比べたら迫力が見劣るように思える。
戦争映画に迫力を求めてみることに問題があるように思え自省する。
日米一方を悪く描いてないからかもしれない。
クリント・イーストウッドのアクション映画の方がドキドキ感はある。
最後に米兵に囲まれてスコップを振り回す西郷が撃たれないのが不思議だった。
今のアメリカじゃ戦時下でもないが射殺されてもおかしくない。知らんけど。
小さな島で応援も無く勝てる要素の無い戦争を当時の兵さんたちはどう思っていたのだろう?
ウッド監督は戦争でも他の戦争ものとは違う。
正直、あまり戦争ものは見ないし、得意でもない。
クリントイーストウッド監督ということで見てみた。
どの戦争ものでも同じようにも思うところもあるとはいえ、この作品は現地での人間関係、特に同じ日本軍でも分裂したり仲間割れするシーンもあり、生々しい。
公開からだいぶ経つが、色褪せることのない作品。
戦争は人間の顔をしていない
戦争がなぜ不条理かといえば、そこでは述語がほとんど機能しないからだ。誰がどういう人間だとか、どういう出自を持っているかとか、そんなことは微塵も考慮されない。肌の色がどうとか、勲章の数がどうとかいった物理的な事実だけが絶対的権能を有している。
本作において頻発するコテコテのフラッシュバック描写は、軍人たちが皆それぞれに固有の過去を背負っていることを示す。単に郷愁や感傷を掻き立てるためではない。それらは戦火の中で否定され、焼け爛れ、やがて判別不能の灰燼となって中空に霧散する。彼らの想いはどこへも通じない。彼らの過去が饒舌に緻密に語られれば語られるほど、その絶望的なまでの不通性が強調される。戦争は人間の顔をしていない。
日本軍の描き方について、本作は安直なステレオタイプに陥っていないと感じた。特に、栗林中将と西郷一等兵の関係は「戦争映画」によくあるナショナリスティックな同胞意識とは一線を画していたように思う。
西郷はのっけから日本軍に不信感を抱いており「俺たちはどうせ死ぬんだ」というシニシズムに浸りきっている。それを見透かされてか上官から過酷な肉体労働を強いられていたところ、島に上陸したばかりの栗林の鶴の一声でその苦役を解かれる。
栗林は体罰やバンザイ突撃といった無意味な根性論的行動に対して懐疑的だ。窮状にあってもあくまで現実主義的に作戦を展開する。軍の中には彼の進歩的なやり方を「生温い」と非難する声も多かったが、西郷は次第に彼への尊敬の念を強めていく。
とはいえかつて駐在武官として欧米人との交流を深めてきたという栗林のキャリアを鑑みれば、彼の「進歩的」性格は、そのまま「欧米的」性格とも換言できる。そしてそこへ反日本軍的な西郷が憧憬の眼差しを送る。という図式は、結局のところ欧米的価値観を頂点とした史実の恣意的な読み換えに過ぎないのではないか。
この読みは安直だろう。栗林は「作戦を実行する」という物理的次元においては確かに欧米流の進歩的性格を有していたが、「戦争に臨む」という精神的次元においては、古臭く強固なナショナリズムに浸りきっていた。欧米の要人との会合で「それは君の信念か?それとも君の国の信念?」と尋ねられて「どちらも同じでしょう?」と返すシーンは印象的だ。彼は表層と深層で真逆の極を持つ人物だといえる。
また、西郷が栗林を慕うのは、彼の強靭なナショナリズムに思わず愛国心が萌したからではない。西郷は最後までバンザイを叫ばない。自決もしない。「日本軍」なるもののために命を捧げることを最後まで拒絶する。
彼はもっと素朴で人間的な恩義から栗林を慕っていたのだと私は考える。あらゆる述語が失効する戦争という空間において、なお優しく手を差し伸べてくれる栗林という存在、それは実際に見たことも触れたこともない「天皇」や「国家」よりもよっぽどアクチュアルに西郷の心を打った。彼はそんな栗林の個人的な優しさに対して個人的に報いるため、戦地へ赴くのだ。
栗林の遺体からコルトM1911を盗んだ米軍海兵に対して西郷が狂ったようにスコップを振り回すシーンは美しく切ない。西郷の命を顧みない恩義の発露に対し、米兵たちはうんざりしたような表情を浮かべる。極東の猿の考えは理解しかねる、といった具合に。彼らには西郷のごく個人的な怒りと悲しみは伝わらない。彼らは「日本軍」というフィルターを通じてしか日本人を見ることができない。
むろんそれは日本兵たちも同じだ。彼らは「鬼畜」と呼んで忌み嫌っていた米兵が、自分たちと同じように故郷を持ち、家族を持ち、優しさを持っていることを知って当惑していた。
両軍のギャップは永遠に埋まらない。戦争が終結しない限りは。
繰り返すようだが、戦争においては述語はほとんど機能しない。人が人を殺すためには、相手が人間であることを絶対に認めない必要があるだろうから。ナショナリズムとアドレナリンの美酒が効いているうちはそれでいい。極東の猿でも鬼畜米兵でも好き放題に殺しまくったらいい。
しかし酔いが覚めたとき、彼らはふと気が付くことになるだろう。己の撃った銃弾が、己の胸を貫いていることを。
全編・日本語・ほぼ日本人キャストのハリウッド映画
努力して観ました。
たとえ努力しても観なければならない映画はある。
「硫黄島の戦い」は1945年2月19日〜1945年3月36日。
日本兵・2万933名のうち2万129名が戦死したそうです。
アメリカ兵も6821名が亡くなりました。
日本人の捕虜は約200名だったそうです。
硫黄島は小笠原諸島にあり現在も日本の領土です。
草ひとつ樹々も一本も生えない無彩色の島です。
火山性の硫黄(二酸化炭素)の臭気が島を覆っている。
なんとも救いのない光景でした。
戦争も末期の末期・・・指揮する栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)も、
敗戦を覚悟しています。
名誉の戦死・・玉砕・・がもう脳裏をかすめています。
そんな死戦(しにいくさ)に、若妻と顔もまだ見ぬ乳児の娘のために絶対に死ねない男がいました。
クリント・イーストウッド監督自ら、この役・西郷陸軍一等兵(二宮和也)を、
脚本で更に書き加えて肉付けして主要な役にしたそうです。
藁も束ねれば強くなる・・・の例えの如く・・・生きて帰る・・その一念は、
幸運も重なり・・・
無駄死とも思える敗戦間近の戦死者たち。
二宮和也が最後に浮かべた安堵の笑みは、この映画の救いでした。
それにしてもハリウッド映画で監督は名匠・クリント・イーストウッド。
タイトルに書いたように全編ほぼ日本語。
俳優は99%日本人。
そして第二次世界大戦、最後のアメリカ兵と日本兵の死闘を描いた映画が、
世界でも日本でも大ヒットして認められ、多くの人が感動した。
続けて「父親たちの星条旗」も観たいと思います。
感動したが、直近の現実問題でも
久々に感動しました。
第二次大戦末期の、ほぼ日本軍の視点で描かれた、太平洋の孤島を舞台にした戦争映画ですが、ドンパチやって勝った負けたのスリリングな戦争映画を期待する人には少々物足りない映画でしょうね。
しかし原作が素晴らしいからか、スピルバーグ&イーストウッド両巨匠の関わりも有り、現実の戦争なんて決してドラマチックではなく、こんなに残酷で悲惨な物であるのだという事を上手に描いているなと思いました。
今現在ロシアがウクライナに侵攻していて、リアルタイムでこのような事が彼の地で行われているのかと思うと胸が痛みます。
是非今だからこそ皆さんに観ていただきたい映画だと思いました。
硫黄島の戦いの日本側からの視点。 渡辺謙のような上官やトップがもっ...
硫黄島の戦いの日本側からの視点。
渡辺謙のような上官やトップがもっと多かったら日本は違う道へ進めたんじゃないかと思ったり。
ただ忠誠を尽くすだけの日本人を描いたのではなく、二宮和也のような現在に通じる人間を登場させることによって、戦争の無意味さや切なさがわかりやすく伝わってきた。
日本軍の中に共存する狂気、合目的性、素朴さを見事に描き出すことで、戦争の酷さを感じさせる傑作
クリント・イーストウッド監督・制作の2016年公開の言語は日本語の米国映画。原作は「玉砕総指揮官の絵手紙」(栗林忠道著、吉田津由子)。原案がアイリス・ヤマシタ(日系アメリカ人2世)とポール・ハギス(アカデミー脚本賞受賞者、制作総指揮を兼任)、脚本がアイリス・ヤマシタ。撮影はトム・スターン。
主演は渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加藤亮、中村獅童も出演。
舞台となる島の景観を意識してか、色調をを少し抑えた映像が実に美しくて、とても気に入った。
アメリカ留学経験あり赴任早々体罰禁止し、闘い方も合理的なものに変えた栗原陸軍中将を演ずる渡辺謙は流石の演技で、長期間戦えたことに説得力満点。一方、世界に誇れるこの様な知的且つ戦略的で指導力有する人材が中央で指導的位置におかれないことに陸軍組織の致命的欠陥を感じた。
恥ずかしながら見ている時二宮と分からず、パン屋だった陸軍応召兵演ずる二宮和也が擦れていない普通のヒト感を満載に示して素晴らしかった。嵐とは結び付かず、天才的な若手俳優が出現したと思った。まあ今となれば演技に定評有るが、その軍人らしからぬ素朴な人間らしさが強く印象に残る演技であった。イーストウッド監督の演技指導も多分良かったのだろう。
そして、中村獅童演ずる海軍大尉は撤退した部下を殺害しようとし玉砕を信奉するある種、典型的な日本軍指揮官を表現。地雷を持って死体のふりをして戦車の下に潜り込もうとしたが長時間の恐怖からか放心状態となり投降する姿が、日本軍の狂気を見事に表現していた。
外国制作の映画で日本軍に違和感がこれほど全くない映画は、初めて見た。監督の情報収集及び事前学習の凄みを感じた。
歴史的事実として硫黄島の戦いは、米軍の死傷者が28686名で、日本軍のそれを上回る稀有の戦い。予定では5日で攻略が1ヶ月以上を要し、米軍が日本本土上陸を避ける一要因にもなったらしい。この大激戦を米国側だけでなく、敵側の日本からの視点からも映画を制作したイーストウッド、スピルバーグ(製作の一人)、ポール・ハギスら米国製作陣に大拍手を送りたい。
好みでいうと、はまらなかった
星条旗~から続けて観て。
引き続き簡単な感想が難しい内容。この広く深いテーマにどっぷり浸からないことにはろくな感想も出てきそうにない。。
なので戦争映画として好みでいうと、はまらなかった、ということになる。それぞれのエピソードもどこかありきたりでさらっとしてるし、ずしーんと胸に響くものがなかった。星条旗~で思った戦争映画として今一歩な印象から変わることもなく。ただ、これはそもそもの期待値が高かったからで、作品としてくだらないとかでは決してない。なので以上。
戦争
誰もが幸せにならないのに。
人が人を殺す 決して望んだ訳じゃないのに自分の意志に関わらず戦わなくてはならない人生
クリントンイーストウッド監督
アメリカの俳優でもあり監督
二宮が出演しているのに観ていなかった
渡辺謙と話するところは今風な感じがした
この映画で何を言いたかったのかアメリカ兵を介抱した時アメリカ兵の手紙が私と同じ内容の手紙を書いていると清水が言った。人は国籍に違いはあっても人の心は同じであることを伝えたかったのだろうか。
最近ONODAの映画を観た監督がフランスの人で小野田さんの生き方に焦点をあてた作品で戦争の犠牲者として捉えた映画だった。
日本人の監督とまた違った感覚が今風なのかもしれない
今なお戦いが起きている。いつになっても戦いは終わらないのかもしれない。人間に欲がある限り 戦争は…
生きることの意味
負けることがわかっている戦い
帰ってこれないことがわかっている場所へ行く者と 送り出す者
想像するだけで胸が裂けそうだ
勝つとは何か 負けるとは何か
そもそも いったい何と戦っていたのだろうか
死ぬことがわかっていても
大切な人に手紙を書き続けた
それが届くかどうかは重要ではなく
手紙を書くこと自体が
生きている唯一の証になっていたのだろう
故郷を想うその時だけは 間違いなく生きていた
生きることの意味を あらためて考えさせられた
指揮系統が徐々に崩壊していく様子にリアルを感じた。
孤立無援の中、水、糧食、補給品等不足し、指揮系統も混乱して、まともに作戦も立てられず、徐々に崩壊していく部隊を指揮する栗林中将の苦悩がよく理解できました。
印象に残ったのは、西中佐が助けた捕虜の米兵が持っていた母親からの手紙で、家族の身を案じる思いは世界共通だなと胸が熱くなりました。
また、自ら進んで投降した清水が米兵の都合によって殺されてしまった場面では、これはこれで人間らしい状況判断だなと思い、綺麗事だけでは片付けられない戦争の悲惨さを感じました。
装備、規模、国は違えど、やはり人間同士の争いなので、情もあれば非道もある。
それを手紙を通して表している本作品は秀逸な作品でした。
そして、やはり渡辺謙さんは演技が上手い!
話し方、トーン、立居振る舞いが全て自然!
やはり彼は日本を代表する俳優であると改めて思い知りました。
両方見なきゃダメ
父親と手紙、両方でワンセットですから両方観ましょう。
一旦戦場に出てしまえば、大義名分や建前は消滅して、ひたすら目の前の敵を倒す、仲間がやられたら悲しい、自分は死にたくない、の一心に集中され、弾に当たったら誰でも死ぬ、という意味では「米兵も日本兵も同じ」と言ったイースト君はその確信通り、どちらにも肩入れせず、善いも悪いも語らず、反戦も声高に叫ばず淡々と凄惨な戦闘風景の描写に努めたんでしょう。
その意味で、二作は表裏ではなく、同じ方向を向いた並列作品です。
敢えて比較すれば、父親は戦闘以降の話、手紙は戦闘以前の話に焦点をあてています。物語としては、父親が旗を掲げた六人は誰だ問題に終始しているのに対して、手紙は様々な階級の軍人の硫黄島に至るまでの人生が丁寧に描かれていてドラマチックです。手紙の方がオスカー候補になったのはよくわかります。
私も手紙は五点、父親は四点です。父親だけなら五点だったかも。
ただ、手紙の方はさすがのイースト君も日本語のニュアンスは演出できなかったと思うので、セリフのトーンがバラバラのきらいがありました。まあ、それは小さいことです。
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