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見放題やレンタルなどサブスクで「皆殺しの天使」を楽しむ方法をまとめて紹介します!
「皆殺しの天使」の配信サービス一覧
配信サービス | 配信状況 | 料金 | |
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「皆殺しの天使」の配信サービス詳細
おすすめポイント
配信本数業界最大級、見たい作品がきっと見つかる!
配信形態
見放題 / レンタル / 購入
無料期間
初月
月額料金
プレミアムコース550円(税込)/プレミアム&見放題コース1,078円(税込)
ダウンロード可否
可能
※セル作品をダウンロードすることが可能
特典
(ポイント付与等)
毎月550ポイント発行/クーポン50枚付与
支払い方法
クレジットカード(VISA/MASTER/JCB/アメリカンエキスプレス/ディスカバー/ダイナースクラブ)、キャリア決済、Googleのアプリ内課金
全作品数
250,000本以上
※2025年5月時点の情報です。最新情報は各社サイトにてご確認ください。
作品紹介

解説・あらすじ
「アンダルシアの犬」の異才ルイス・ブニュエルが1962年にメキシコで手がけた作品で、ある邸宅に閉じ込められたブルジョワたちがたどる意外な運命を、ブラックなブルジョワ批判を交えつつ描いた不条理劇。
オペラ観劇後に晩餐会に招かれ、ノビレ夫妻の邸宅を訪れた20人のブルジョワたち。晩餐を終えた彼らは客間にすっかり腰を落ち着かせ、夜が明けても全員が帰る方法を忘れたかのように客間を出ることができなくなってしまう。そのまま数日が過ぎ、水や食料も底を突いて命を落とす者まで出現。ブルジョワたちの道徳や倫理が崩壊していく中、事態は異様な展開へ転がりはじめる。
第15回カンヌ国際映画祭では賛否両論を巻き起こし、同映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞。日本では1981年に劇場初公開(フランス映画社配給)。2017年、36年ぶりにリバイバル公開(アイ・ヴィー・シー配給)。2024年、特集上映「シュルレアリスム100年映画祭」でも劇場公開(トレノバ配給)。
オペラ観劇後に晩餐会に招かれ、ノビレ夫妻の邸宅を訪れた20人のブルジョワたち。晩餐を終えた彼らは客間にすっかり腰を落ち着かせ、夜が明けても全員が帰る方法を忘れたかのように客間を出ることができなくなってしまう。そのまま数日が過ぎ、水や食料も底を突いて命を落とす者まで出現。ブルジョワたちの道徳や倫理が崩壊していく中、事態は異様な展開へ転がりはじめる。
第15回カンヌ国際映画祭では賛否両論を巻き起こし、同映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞。日本では1981年に劇場初公開(フランス映画社配給)。2017年、36年ぶりにリバイバル公開(アイ・ヴィー・シー配給)。2024年、特集上映「シュルレアリスム100年映画祭」でも劇場公開(トレノバ配給)。
レビュー

因果さん
投稿日:2024-10-14
とにかく邦題がカッコいいルイス・ブニュエルの代表作。とはいえやっていることはいつものブニュエル。不条理な物語とブルジョワへの手厳しい風刺は『黄金時代』『ブルジョワジーの密かな愉しみ』といったその他の代表作にも通底する彼の十八番だ。
本作はとある洋館のパーティーに訪れた20人のブルジョア男女が洋館から出られなくなる…という舞台設定から始まる。どこぞの密室モノかシチュエーションスリラーのようだが、ブニュエルなのでそんなありきたりな方向には転がらない。
まずもって「出られなくなる」という状況からして異常だ。ブルジョアたちは部屋から出られないことを嘆くものの、彼らがそこから出られない物理的理由は一切存在しない。誰も鍵をかけていないし、どこも壊れていない。出ようと思えばいつでも出られるはずなのになぜか出られない。
『皆殺しの天使』というタイトルから各ドアに描き込まれた天使の絵画が何か超自然的な作用をもたらしているのか…と邪推もしかけたが、そもそも不条理劇とはそういう合理的解釈を一切合切はね退けているからこそ不条理劇なのである。
扉は開け放たれているにもかかわらず、ブルジョアたちはそこで無意味なサバイバルを試みる。水道管を破壊して水を得たり、なだれ込んできたヤギを焼いて食料にしたり。しかしそこにサバイバル映画の緊張はない。なぜなら彼らはいつでも逃げられるのだから。ここではあくまで彼らの普段の飽食ぶりが極限状態においても全く同じ様相で繰り返されているばかり。要するに「閉じ込められごっこ」だ。
最終的に彼らは自分たちの初日の言動を再演することで自分たちが「家に帰りたい」のだということに気がつき、ようやく洋館からの脱出を果たす。
しかしその後の聖堂での葬式のくだりでは、彼らが聖堂内に閉じ込められるところで映画が終幕する。ここにおいて明らかになるのは、彼らがある空間に閉じ込められるのは、退屈な日常に非日常を招き入れたいという彼らの至極ブルジョア的な欲望の表れに過ぎないということだ。
一生そういうくだらない遊びに現を抜かしておればよい、とブニュエル御大は笑いながら映画の幕を下ろす。ブニュエルのフィルモグラフィーを貫く一つの単語があるとすればそれは「挑発」に他ならないが、本作はブルジョアに対する挑発としては出色の出来だといえる。
本作はとある洋館のパーティーに訪れた20人のブルジョア男女が洋館から出られなくなる…という舞台設定から始まる。どこぞの密室モノかシチュエーションスリラーのようだが、ブニュエルなのでそんなありきたりな方向には転がらない。
まずもって「出られなくなる」という状況からして異常だ。ブルジョアたちは部屋から出られないことを嘆くものの、彼らがそこから出られない物理的理由は一切存在しない。誰も鍵をかけていないし、どこも壊れていない。出ようと思えばいつでも出られるはずなのになぜか出られない。
『皆殺しの天使』というタイトルから各ドアに描き込まれた天使の絵画が何か超自然的な作用をもたらしているのか…と邪推もしかけたが、そもそも不条理劇とはそういう合理的解釈を一切合切はね退けているからこそ不条理劇なのである。
扉は開け放たれているにもかかわらず、ブルジョアたちはそこで無意味なサバイバルを試みる。水道管を破壊して水を得たり、なだれ込んできたヤギを焼いて食料にしたり。しかしそこにサバイバル映画の緊張はない。なぜなら彼らはいつでも逃げられるのだから。ここではあくまで彼らの普段の飽食ぶりが極限状態においても全く同じ様相で繰り返されているばかり。要するに「閉じ込められごっこ」だ。
最終的に彼らは自分たちの初日の言動を再演することで自分たちが「家に帰りたい」のだということに気がつき、ようやく洋館からの脱出を果たす。
しかしその後の聖堂での葬式のくだりでは、彼らが聖堂内に閉じ込められるところで映画が終幕する。ここにおいて明らかになるのは、彼らがある空間に閉じ込められるのは、退屈な日常に非日常を招き入れたいという彼らの至極ブルジョア的な欲望の表れに過ぎないということだ。
一生そういうくだらない遊びに現を抜かしておればよい、とブニュエル御大は笑いながら映画の幕を下ろす。ブニュエルのフィルモグラフィーを貫く一つの単語があるとすればそれは「挑発」に他ならないが、本作はブルジョアに対する挑発としては出色の出来だといえる。
鑑賞日:2024年10月14日 で鑑賞
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